北天佑の奥さん・栄美さんの現在は表舞台の外|女将を継いだ次女と旧二十山部屋の土俵

北天佑の奥さん・栄美さんの現在は表舞台の外|女将を継いだ次女と旧二十山部屋の土俵

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「北海の白熊」と呼ばれ、大関の座を44場所も守り続けた北天佑勝彦さん。

端整な顔立ちで女性ファンから黄色い声援を浴びた力士でしたが、2006年に45歳という若さで亡くなりました。

その北天佑さんを支えた奥さんが、栄美さんです。

近年、次女の有希奈さんが元大関・貴景勝と結婚したことで再び名前を見かけるようになり、「奥さんは今どうしているのか」と気になった方も多いはずです。

結論から言えば、栄美さんは公の場に出る人ではなくなり、女将としての役割は次女の有希奈さんへと受け継がれました。

この記事では、栄美さんがどんな人だったのか、二十山部屋の女将として何をしてきたのか、そして北天佑さんが遺した建物が今どうなっているのかを整理してお伝えします。

この記事を読むとわかること

  • 北天佑の奥さん・栄美さんがどんな人物で、現在どのような立場にいるのか
  • 北天佑の死後、二十山部屋と女将の役割がどうなったのか
  • 次女・有希奈さんが湊川部屋の女将になるまでの流れ

北天佑の奥さん・栄美さんはどんな人だったのか

栄美さんの現在を知るには、まず「北天佑家の中でどんな存在だったのか」を押さえておく必要があります。二十山部屋の女将であると同時に、北天佑さん本人が家族の中心に置いていた人でした。

北天佑の奥さんの名前は栄美さん

北天佑さんの奥さんの名前は栄美(えみ)さんです。北天佑さんの本名が千葉勝彦さんなので、結婚後は千葉栄美さんということになります。

力士の妻は、夫が部屋を持てば「女将」として弟子の生活を丸ごと引き受ける立場になります。栄美さんもまさにその道を歩いた人でした。

なお、一部の個人サイトでは旧姓を挙げているものもありますが、確かな出典が確認できるものではありません。この記事では確認できる事実だけを扱います。

歌手・高田みづえが「すごくきれいな女性!」と驚いた

栄美さんの人物像を伝えるエピソードとして知られているのが、歌手・高田みづえさんの証言です。

高田さんは1985年に大関・若嶋津との婚約を発表しました。その後、初めて北天佑さんと顔を合わせたとき、車の助手席に座っていた栄美さんを見て「すごくきれいな女性!」と驚いたと語っています。

角界の内側にいた人が思わず声を上げるほどの美貌だった、ということです。北天佑さん自身も端整な顔立ちで人気を集めた力士でしたから、夫婦そろって目を引く存在だったのでしょう。

北天佑が子どもたちに「母をいちばん大事に」と言い聞かせた

北天佑さんは、妻である栄美さんをいちばん大事に思うよう、子どもたちに言い聞かせて育てたと伝えられています。

これは単なる仲の良さの話ではありません。相撲部屋は住み込みの弟子を抱える共同生活の場で、女将は食事も体調管理も金銭の面倒も引き受けます。その大変さを一番わかっていたのが北天佑さんだった、ということです。

次女の有希奈さんが後年、家族について語る機会が増えたのも、この教えが家の中に根づいていたからだと考えると腑に落ちます。

掃除に厳しかった北天佑と、家庭を回していた栄美さん

有希奈さんによれば、北天佑さんは非常に綺麗好きで、掃除機のかけ方や雑巾の掛け方が悪いと娘にもやり直しを命じたそうです。その厳しさは二十山部屋の力士に対しても同じでした。

一方で、子どもの運動会には部屋の弟子たちを引き連れてビデオ撮影をしたり、玉入れや綱引きに参加したりする一面もありました。

厳しさと賑やかさが同居する家で、日々の生活を回していたのが栄美さんだったわけです。

1994年の二十山部屋創設で本格的に女将となる

北天佑さんは1990年9月場所を最後に引退し、年寄「二十山」を襲名しました。しばらくは三保ヶ関部屋付きの親方でしたが、1994年6月に内弟子6人を連れて二十山部屋を興します。

この独立によって、栄美さんは正式に二十山部屋の女将となりました。東京・墨田区の建物に土俵を構え、ロシア出身の白露山を幕内力士に育て上げた部屋です。

弟子の数は最終的に11人。決して大所帯ではありませんが、10年以上にわたって部屋の裏方を担ったことになります。

2006年、45歳の北天佑を腎臓がんで失う

転機は突然訪れました。

審判委員を務めていた2006年3月場所中、北天佑さんは体の不調を訴えて緊急入院します。当初は「多発性脳梗塞」と発表されましたが、精密検査でわかったのは腎臓がんと、その転移による悪性脳腫瘍でした。

すでに末期で、親しい知人には「1年もたないかもしれない」と自ら死期を語り、遺言を作って身辺を整理していたといいます。

同年6月23日、東京大学医学部附属病院で死去。45歳でした。番付発表の直前だったため、7月場所の番付には「二十山勝彦」の名が載ったままだったことでも知られています。

二十山部屋は閉じ、弟子は北の湖部屋へ

師匠がいない力士は土俵に上がれません。二十山部屋には跡を継げる親方がいなかったため、11人の弟子は北天佑さんが病床で事後を託した兄弟子・北の湖親方の部屋へ移籍しました。

つまり栄美さんは、夫を失うと同時に、女将という立場そのものを失ったことになります。40代半ばでの出来事でした。

大関4人衆の家族ぐるみの付き合いが支えになった

北天佑家には、長く続いた家族ぐるみの付き合いがありました。北天佑・琴風・若嶋津・朝潮という同時代の大関4人の家族です。

子どもたちが幼い頃はバスを貸し切って草津へ行き、台風で初島旅行が中止になったときは電車で千葉県内の温泉に切り替えたといいます。大関4人がカラオケを歌えば、末っ子の有希奈さんが踊って場を盛り上げました。

後年、子どもたちが写真を持ち寄って親世代へのサプライズ上映会を開いたときには、全員が思い出に浸って涙を流し、栄美さんは涙でDVDが見えないほど泣いていたと有希奈さんが明かしています。

北天佑の奥さん・栄美さんの現在と、女将を継いだ次女

ここからが本題です。北天佑さんの死から20年近くが経ち、栄美さんと北天佑家をめぐる状況はどうなっているのでしょうか。

現在は公の場に姿を見せていない

栄美さんの現在について、まず押さえておきたいのは「本人が表に出る形での発信をしていない」という点です。

もともと栄美さんは芸能人ではなく、力士の妻・部屋の女将という立場の人でした。夫の死によって二十山部屋が閉じた以上、公の場に出る役目そのものがなくなっています。

近年、北天佑家が報じられるときに名前が出るのは、貴景勝と結婚した次女・有希奈さんです。栄美さんについては「妻である女将さんと有希奈さんは、北天佑さんの遺したものを守ってきた」といった形で言及されるにとどまっています。

旧二十山部屋の建物は取り壊されずに残っていた

栄美さんの現在を語るうえで欠かせないのが、東京・墨田区にある旧二十山部屋の建物です。

2006年に部屋は消滅しましたが、建物と土俵はそのまま残されました。2020年の報道でも「北天佑さんが支えていた都内の旧二十山部屋は現在もそのまま。土俵もある」と伝えられています。

相撲部屋の建物は普通、部屋がなくなれば用途を失います。それでも土俵ごと残されていたという事実が、後の展開につながっていきます。

次女・有希奈さんは元ファッションモデル

次女の有希奈さんは1992年8月13日生まれ。オスカープロモーションに所属し、ファッションモデルとして活動していました。

2017年11月の記事では、自分の結婚を仮に想像して「きっとプレッシャーでしかないでしょう」と、「大関の娘」と結婚する相手の男性の立場に立ったコメントを残しています。

父が果たせなかった横綱昇進の重さを、娘なりに理解していた発言と言えます。

2020年、大関・貴景勝と結婚

その有希奈さんが、2020年8月30日に大関・貴景勝との婚約を発表します。きっかけは同年2月放送の『ジャンクSPORTS』での共演でした。

婚約発表の時点で、有希奈さんはすでに所属事務所を退社し、貴景勝のサポートに専念していたと報じられています。同年11月場所で優勝した貴景勝が、一夜明け会見で場所前の入籍を明かしました。

この結婚には角界の縁がありました。北天佑さんをスカウトした9代三保ヶ関の息子・増位山大志郎さんは「うちのおやじは『北天佑を横綱にできなかったことが一番の悔いだ』と言って死んだ。その北天佑の娘さんが貴景勝と間柄になって、これも因縁だと思う」と述べています。

孫の誕生と、貴景勝が超えた義父の優勝回数

2023年1月、貴景勝は初場所を制し、義父・北天佑さんの幕内優勝2回を上回りました。場所後の会見では、有希奈さんとの間に長男が誕生していたことも発表されています。

さらに2025年10月には、断髪式の場で有希奈さんが同月中旬に第2子を出産予定であることが紹介されました。

栄美さんにとっては、孫が育っていく時期にあたります。

2026年、旧二十山部屋の建物が「湊川部屋」として生き返った

貴景勝は2024年9月場所中に現役を引退し、14代湊川を襲名しました。

そして2026年1月、部屋付き親方を務めていた常盤山部屋の師匠が定年間近となったため、湊川部屋として部屋を継承します。その拠点となったのが、結婚後に貴景勝自身も住んでいた、かつての二十山部屋の建物でした。

北天佑さんが遺した土俵の上で、再び弟子が稽古をする形に戻ったことになります。

有希奈さんが湊川部屋の女将に。栄美さんから受け継がれたもの

この継承にともない、有希奈さんは湊川部屋の女将となりました。

母・栄美さんが二十山部屋の女将として担っていた役割を、同じ建物で娘が引き継いだわけです。相撲部屋に生まれ育ち、女将の仕事を間近で見てきた有希奈さんにとって、これ以上ない環境だったと言えます。

栄美さんが現在も表に出ないのは、役目が終わったからではなく、次の世代に渡し終えたからだと見るのが自然でしょう。

まとめ:北天佑の奥さん・栄美さんの現在

北天佑さんの奥さん・栄美さんの現在について、わかっていることを整理します。

  • 奥さんの名前は栄美さん。北天佑さんが「いちばん大事に思うように」と子どもたちに言い聞かせた存在だった
  • 1994年の二十山部屋創設で女将となり、2006年に北天佑さんを腎臓がんで亡くすまで部屋を支えた
  • 部屋の消滅後は公の場に姿を見せておらず、本人発信の情報はない
  • 墨田区の旧二十山部屋の建物と土俵は残され、2026年1月に湊川部屋として再び相撲部屋になった
  • 次女・有希奈さんが元大関・貴景勝と結婚し、その湊川部屋の女将を務めている

栄美さんの現在は、表舞台の情報としてはほとんど出てきません。

ただ、北天佑さんが遺した土俵が今も使われ、そこで娘が女将として立っているという事実そのものが、栄美さんが守ってきたものの答えになっているように思います。

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