永六輔さんの国籍について調べていると、「中国系なの?」「帰化した人なの?」といった話が必ず出てきます。
実は永六輔さんご本人が、自分のことを「在日本外国人17代目」と語っていたんです。
この言葉の意味を知ると、永さんという人の面白さが一気に伝わってくるので、順番に見ていきましょう。
・永六輔の国籍として公表資料で確認できる範囲
・「在日本外国人17代目」と自称していた理由と先祖のルーツ
・父と祖父が姓を「ヨン」と名乗っていた背景
永六輔の国籍は日本|一族17代のルーツ
まずは永六輔さんの国籍について、公表されている情報でどこまで言えるのかを整理します。
そのうえで、なぜ「中国系」という話が出てくるのかを、ご本人の言葉からたどっていきますね。
国籍は日本|公表資料で確認できる範囲
永六輔さんは1933年4月10日、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区)で生まれています。
公表されているプロフィールでは、一貫して日本の放送作家・作詞家・タレントとして紹介されてきました。
都民文化栄誉章(1995年)や菊池寛賞(2000年)、毎日芸術賞特別賞(2013年)といった受賞歴も、日本で活動する表現者としての実績です。
一方で、戸籍上の国籍について本人や公的機関が明言した記録は、公開情報の範囲では確認できません。
ここは正直に書いておきたいところで、「日本国籍である」と証明する一次情報が表に出ているわけではないんです。
つまり、日本生まれ・日本育ちで日本人として活動してきたことは確かですが、国籍そのものを断定できる公的資料は確認できない、というのが実際のところです。
「在日本外国人17代目」という自称の意味
永六輔さんの国籍の話でいちばん有名なのが、この自称です。
ご本人は自分のことを、江戸時代初期に渡来した中国の学僧を先祖にもつ「在日本外国人17代目」だと語っていました。
17代目という数え方が、なんとも永さんらしいですよね。
もちろんこれは、いまの国籍を指した言葉ではありません。
何百年も前に海を渡ってきた一族の子孫である、という出自の話を、あえて「外国人」という言い方で表現したものです。
永さんは生前、日本人が当たり前だと思っている感覚が、日本で暮らす外国人にとっては失礼になりうる、という話を繰り返ししていました。
作家の辛淑玉さんとの対談本『日本人対朝鮮人』を出しているのも、その延長線上にあります。
自分のルーツを「外国から来た一族の17代目」と言い切るのは、日本社会の内と外を行き来しながらものを言うための、永さんなりの立ち位置の取り方だったと考えられます。
先祖は江戸初期に渡来した中国の学僧
では、その先祖とはどんな人物だったのでしょうか。
伝えられているところでは、徳川幕府に招かれて中国から来日した学僧が永家のはじまりだとされています。
江戸時代初期の日本は、中国から渡ってきた僧が寺を開いたり、幕府に学問で仕えたりすることが珍しくない時代でした。
長崎の唐寺や黄檗宗の広がりを思い浮かべると、当時の空気が少し想像しやすいかもしれません。
永家がそのまま日本に根を下ろして寺の家系になった、という流れ自体は、時代背景と矛盾しません。
ただし、この渡来の経緯を裏づける公文書や系図が公開されているわけではなく、永六輔さんご本人が語ってきた家の言い伝えという性格が強い話です。
先祖が中国から渡ってきた僧だという点は、あくまで一族に伝わる由来として受け取っておくのが妥当だと思います。
父と祖父は姓を「ヨン」と名乗っていた
永家のルーツを感じさせる話として、姓の読み方のエピソードがあります。
「永」という字は、中国語では「ヨン」に近い音で読まれ、永六輔さんの父・永忠順さんと祖父はその読み方で名乗っていたと伝えられています。
日本では「えい」と読むのが一般的ですから、家の中と外で読み方が違っていたことになります。
……これ、なかなか強い話じゃないですか。
渡来から何代も経ってなお、音の記憶だけが姓に残っていたわけです。
父の永忠順さんは1900年生まれ、1991年に亡くなっています。
「ヨン」という読みは、永家が自分たちの出自をどう扱ってきたかを示す、いちばん分かりやすい手がかりだといえます。
韓国・朝鮮系という誤解が生まれる理由
ネット上では、永六輔さんを韓国・朝鮮系ではないかとする書き込みも見かけます。
ここは整理しておきたいところです。
永さんご自身が語ってきたのは中国の学僧を先祖にもつという話で、朝鮮半島にルーツがあるとした発言は確認できません。
それでも誤解が生まれるのには、いくつか理由が考えられます。
| 誤解の入口 | 実際に確認できること |
|---|---|
| 「ヨン」という読み | 中国語読みに由来すると伝えられている |
| 「在日本外国人」という自称 | 先祖の渡来を指した表現で、現在の国籍の話ではない |
| 在日コリアンの問題に関する発言や対談 | 差別への問題意識からの言論であり、本人の出自とは別 |
とくに三つ目は混同されやすいところで、その立場から語ること自体が、当事者だからだと読み替えられてしまったのだと推測できます。
語られてきたルーツは中国であって、朝鮮半島に結びつける根拠は公表情報の中には見当たりません。
本名は永孝雄|珍しい姓「永」の読み方
永六輔というのは、実は本名ではありません。
本名は永孝雄(えい・たかお)さんです。
「六輔」のほうは、19歳で放送作家として駆け出しだったころ、コントを書きながら自分でも出演していた子供番組の役名が、そのままペンネームになったと伝えられています。
芸名の由来が役名というのも、いかにも初期のラジオ・テレビらしい話ですよね。
姓の「永」は日本ではかなり珍しく、読み方を間違われることも多かったといいます。
本名の時点で読み方が説明を要する姓だったことが、永六輔さんの出自に関心が集まり続けた土台になっています。
永六輔の国籍を調べる人向けの関連情報
ここからは、国籍とあわせてよく調べられている実家や家族、経歴の話をまとめます。
永さんという人の輪郭が、ぐっとはっきりしてくるはずです。
実家は浅草の最尊寺|父は住職の永忠順
永六輔さんの実家は、東京・浅草にある寿徳山最尊寺です。
父の永忠順さんが住職を務めていました。
渡来した学僧を先祖とする一族が、そのまま寺を守る家として続いてきたという流れになります。
浅草の寺の子として生まれ育った経験は、のちの語り口や庶民感覚にも色濃く出ていました。
寺の家に生まれたことと、外から来た一族の子孫であることが同居しているのが、永六輔さんの出自の面白さです。
学歴は早稲田大学第二文学部を中退
学歴についても触れておきます。
旧制の早稲田中学校を経て、1952年に早稲田大学第二文学部史学科へ入学し、同年のうちに中退しています。
入学した年に辞めているわけで、すでに放送の仕事のほうへ引っ張られていたことがうかがえます。
実際、19歳のころにはもう放送の現場に出入りしていました。
学校よりも先に現場を選んだ人だった、と言ってしまってよさそうです。
上を向いて歩こうを作詞した放送作家
永六輔さんの代表作といえば、やはり『上を向いて歩こう』です。
作曲は中村八大さん、歌ったのは坂本九さん。
この曲は「SUKIYAKI」のタイトルで海外でも広く知られ、日本の歌としては例のない広がり方をしました。
放送作家としてもテレビ草創期から活躍し、軽妙な語り口とラジオでの発言で長く支持を集めています。
先祖が海を渡ってきた一族の子孫が、日本の歌をいちばん遠くまで届けた——そう考えると、なんだか感慨深いですよね。
国籍やルーツの話が語られ続けるのも、それだけ日本の大衆文化の中心にいた人だからです。
妻・昌子と娘の千絵・麻理という家族
家族についても整理しておきます。
| 続柄 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| 妻 | 永昌子 | 1955年に結婚。2002年に死去 |
| 長女 | 永千絵 | 映画エッセイスト |
| 次女 | 永麻理 | 元フジテレビアナウンサー |
妻の昌子さんは2001年にがんが判明し、翌2002年に亡くなっています。
永さんはその日々を『妻の大往生』として書き残しました。
また長女の千絵さんは、父を看取るまでの10年間を『父「永六輔」を看取る』としてまとめています。
看取る側と看取られる側の両方が本になっている家族というのは、なかなかありません。
書くことで家族を見送るという姿勢が、そのまま次の世代にも受け継がれた家庭だったといえます。
晩年のパーキンソン病と2016年の死去
晩年についても触れておきます。
2010年にパーキンソン病と診断され、前立腺がんの闘病も重なりました。
2011年11月には大腿骨頸部を骨折しています。
それでもラジオの仕事を続けようとした姿は、当時よく知られていました。
2016年7月7日、肺炎のため83歳で亡くなっています。
最後まで声の仕事にこだわり続けた人生でした。
朝ドラあんぱんの六原永輔のモデルに
近年また名前が話題になったきっかけが、NHK連続テレビ小説『あんぱん』です。
2025年8月13日放送の第98回で登場した演出家・六原永輔が、永六輔さんをモデルにしたキャラクターとして描かれました。
演じたのは藤堂日向さんで、朝ドラ初出演。
放送直後から、しゃべり方がそっくりだという声がSNSに並びました。
名前の付け方も、ほとんど答え合わせのようですよね。
亡くなって10年近く経ってもモデルとして登場するあたりに、永六輔という存在の残り方が表れています。
永六輔の国籍のまとめ
- 永六輔は1933年4月10日生まれ、2016年7月7日に83歳で死去
- 本名は永孝雄(えい・たかお)で、六輔は子供番組の役名に由来するペンネーム
- 出身は東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)
- 公表資料では一貫して日本の放送作家・作詞家として紹介されている
- 戸籍上の国籍を明言した本人発言や公的資料は確認できない
- 本人は江戸初期に渡来した中国の学僧を先祖にもつ「在日本外国人17代目」と自称していた
- この自称は先祖の出自を指す表現で、現在の国籍を示したものではない
- 先祖の渡来については家に伝わる由来とされ、公開された系図や公文書は確認できない
- 父・永忠順と祖父は姓を中国語読みの「ヨン」と名乗っていたと伝えられる
- 韓国・朝鮮系とする説もあるが、本人が語ったルーツは中国であり根拠は見当たらない
- 実家は浅草の寿徳山最尊寺で、父が住職を務めていた
- 学歴は早稲田大学第二文学部史学科に1952年入学、同年中退
- 代表作は坂本九が歌った『上を向いて歩こう』の作詞
- 妻は1955年に結婚した昌子、長女は永千絵、次女は永麻理
- 2010年にパーキンソン病と診断され、2025年の朝ドラ『あんぱん』ではモデルの人物が登場した

