デュエットの女王として知られる安倍里葎子さん。
その独特な芸名と珍しい漢字表記から、国籍を気にして検索する人が少なくないようです。
調べていくと、芸名の「安倍」は本名でも家系でもなく、中学時代のあだ名をひっくり返したものだったという話に行き着きました。
この記事では、公式サイトや所属レコード会社が公表しているプロフィールをもとに、確認できることと確認できないことを分けて整理していきます。
・安倍里葎子の国籍について公表されている情報がどこまであるか
・公式プロフィールに記載された本名・出身地とその出典
・芸名「安倍」の由来と、4度にわたる改名の経緯
安倍里葎子の国籍はどこまで確認できるのか
まずは、安倍里葎子さんの国籍について公表されている情報がどこまであるのかを、出典をはっきりさせながら見ていきます。
結論から言うと、断定できる公的資料は確認できませんでした。
国籍を明記した公的資料は確認できない
最初に、いちばん大事なところをはっきりさせておきますね。
安倍里葎子さん本人や所属事務所が国籍を公表した記録は、確認できませんでした。
確認したのは、所属事務所である有限会社オフィス里葎子が運営する公式サイト、そして所属レコード会社であるテイチクエンタテインメントの公式アーティストページです。
どちらにも、生年月日・出身地・血液型・身長といった項目は並んでいるのですが、国籍という欄そのものがありません。
これは安倍里葎子さんに限った話ではなく、日本の歌手や俳優の公式プロフィールに国籍欄が置かれること自体がそもそもかなり珍しいんですよね。
日本語版のWikipediaには国籍として日本と書かれていますが、これは百科事典の編集者が記載したもので、本人や事務所が発表した一次情報ではありません。
ですので、この記事でも「国籍は日本です」と言い切ることはしません。
ただ、公式に公表されている情報がまったくないわけではないんです。
本名・出身地・経歴は、いずれも公式サイトにはっきり書かれています。
ここから読み取れることを、ひとつずつ見ていきましょう。
公式プロフィールの出身地は北海道札幌市
公表されている情報のなかで、いちばん出典がそろっているのが出身地です。
公式サイトのプロフィールには、出身地として北海道札幌市と記載されています。
所属レコード会社であるテイチクの公式プロフィールも同じく北海道札幌市。
オリコンのプロフィールページでも北海道となっており、主要な情報源が一致しています。
| 出典 | 出身地の記載 |
|---|---|
| 公式サイト(オフィス里葎子) | 北海道札幌市 |
| テイチクエンタテインメント | 北海道札幌市 |
| オリコン | 北海道 |
経歴のほうもこれと矛盾しません。
小学校高学年からクラシックバレエを習い、のちに札幌ミュージックスクールで歌唱レッスンを受けています。
高校卒業後、地元の音楽喫茶で作曲家の平尾昌晃さんにスカウトされ、1970年3月に上京しました。
幼少期から10代の終わりまでを札幌で過ごし、そこからスカウトされて東京に出た、という流れがきれいにつながっているんですよね。
熊本県出身という記載を見かける理由
ネット上には、出身地を熊本県とする記載も一部にあります。
ただ、公式サイトもレコード会社も北海道札幌市で一致していますので、こちらを事実として扱うのが妥当だと思います。
ではなぜ熊本という地名が出てくるのか。
これは筆者の推測になりますが、後述する本名の「熊木(くまき)」が「熊本」と読み違えられた可能性が高いのではないかと考えています。
実際、安倍里葎子さんは中学時代に本名の姓をきっかけにあだ名を付けられており、この姓は昔から読み間違えられやすかったようです。
出身地については、公式が示す北海道札幌市を基準に見ておくのが確実です。
本名は熊木律子という日本の姓名
国籍を気にして検索している方が、いちばん知りたいのはここかもしれません。
安倍里葎子さんの本名は、熊木律子(くまき りつこ)さんです。
これは公式サイトのプロフィールページに本名として明記されており、テイチクの公式プロフィール、Wikipediaでも同じ表記になっています。
つまり、複数の情報源が一致している確定情報ということですね。
熊木という姓も、律子という名も、漢字・読みともにごく一般的な日本の姓名です。
オリコンだけ本名の表記が異なる
ひとつだけ、食い違っている情報源があります。
オリコンのプロフィールページでは、本名が阿部里葎子と記載されているんです。
| 出典 | 本名の記載 |
|---|---|
| 公式サイト(オフィス里葎子) | 熊木 律子 |
| テイチクエンタテインメント | 熊木律子 |
| Wikipedia | 熊木 律子 |
| オリコン | 阿部里葎子 |
阿部里葎子という表記は、芸名の安倍里葎子と字面がほぼ同じですよね。
芸名を本名欄に転記する際に、漢字が入れ替わってしまった可能性が考えられます。
結婚による改姓の可能性もゼロではありませんが、それを裏づける資料は確認できませんでした。
本名については、公式サイトが示す熊木律子を採用するのが妥当だと考えられます。
芸名の安倍は熊木のあだ名ベアが由来
ここが、この記事でいちばん面白い部分かもしれません。
「安倍」という姓は、家系でも本名でもなく、まったく別のところから来ていました。
Wikipediaに記載されている由来は、こうです。
中学生のとき、本名の熊木の「熊」が英語のbear(ベア)であることにちなんで、安倍里葎子さんを「ベアちゃん」と呼ぶ友人がひとりだけいたそうなんです。
その「ベア」を、芸能界の業界用語のようにひっくり返して「アベ」にしたというのが芸名の成り立ちでした。
ベア→アベ。
……これ、知ったとき思わず声が出ませんでしたか。
言われてみればそのままなのに、まったく想像がつかない由来ですよね。
五十音順で「あ」から始めたかったという事情
もうひとつ、当時の事務所側の事情も記録されています。
当時は新人歌手を選ぶとき、審査する先生方が五十音の「あ」から順に聞いていくという慣習があったそうなんです。
そのため事務所としても「あ」で始まる芸名にしたい、という思惑がありました。
あだ名を逆さにすると「アベ」になる、しかもそれは「あ」から始まる。
ふたつの条件がぴたりと重なった結果が、安倍律子という最初の芸名だったわけですね。
つまり「安倍」という姓は、出自や家系とはまったく無関係に決まったものだということになります。
政治家の安倍晋三さんをはじめとする安倍家との血縁を示す記録も、当然ながら確認できません。
経歴に海外出身をうかがわせる記録はない
公表されている経歴も、あらためて時系列で追ってみます。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 小学校高学年 | クラシックバレエを習い始め、バレエの先生を志す |
| 10代 | 札幌ミュージックスクールで歌唱レッスンを受ける |
| 高校卒業後 | 地元の音楽喫茶で平尾昌晃にスカウトされる |
| 1970年3月 | 上京 |
| 1970年8月1日 | キングレコードから「愛のきずな」でデビュー |
| 1970年 | 第12回日本レコード大賞新人賞を受賞 |
幼少期の習い事から上京、デビュー、受賞まで、すべて国内で完結しています。
海外で生まれ育った時期をうかがわせる記録や、海外での活動歴は確認できませんでした。
さらに時代を下ると、2025年1月19日には横浜武道館で国歌独唱を務めています。
国籍を明記した資料は確認できないものの、公表されている経歴は一貫して国内で積み上げられたものです。
国籍が検索される背景にある里葎子という表記
ここからは、なぜ国籍というキーワードで検索されるのかを考えてみます。
ここは公式に語られている話ではないので、あくまで筆者の推測として読んでくださいね。
ひとつめは、名前の漢字です。
「里葎子」の「葎(りつ/むぐら)」は常用漢字に含まれておらず、日常でほとんど見かけない字なんですよね。
読みづらく、日本人の名前としては見慣れない字面になるため、出自を想像させる材料になりやすいのだと思います。
ふたつめは、姓の連想です。
安倍という姓は政治の文脈で目にする機会が多く、そこから家系や出自の話につながって検索されている面もあるかもしれません。
みっつめは、改名の多さです。
後述しますが、安倍里葎子さんは活動歴のなかで芸名の表記を何度も変えています。
表記が変わるたびに情報が分散し、はっきりしない印象につながっている可能性はありそうです。
いずれにしても、本人がこうした受け止められ方について語った記録は確認できませんでした。
検索される理由は名前の見た目に起因するものが大きく、経歴や公式情報に根拠があるわけではないと考えられます。
安倍里葎子の国籍を調べる人向けの関連情報
ここからは、国籍と一緒に調べられることが多いプロフィールや経歴をまとめていきます。
本名や出身地とあわせて読むと、人物像がぐっとつかみやすくなりますよ。
生年月日は1948年10月7日で現在77歳
公式サイトのプロフィールに記載されている基本データを整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 熊木 律子 |
| 生年月日 | 1948年10月7日 |
| 星座 | 天秤座 |
| 血液型 | A型 |
| 出身地 | 北海道札幌市 |
| 身長・体重 | 160cm・52kg |
| 特技 | バレエ |
| 趣味 | 舞台鑑賞・散歩 |
| 家族構成 | 母 |
| ペット | 猫 |
| 所属事務所 | 有限会社オフィス里葎子 |
| 所属レコード会社 | テイチクエンタテインメント |
1948年10月7日生まれですので、2026年8月時点で77歳ということになります。
公式プロフィールには長所として「何事にも挑戦する心」、好きな色として黄色まで書かれていて、ずいぶん人柄が伝わる内容なんですよね。
家族構成の欄がお母さまだけになっているのも、後述する改名の理由とつながってくる部分です。
芸名を4度変えてきた改名の経緯
安倍里葎子さんの表記が検索でばらつくのは、活動歴のなかで芸名を何度も変えているからです。
| 芸名 | 備考 |
|---|---|
| 安倍律子 | 1970年のデビュー時 |
| あべりつこ | ひらがな表記の時期 |
| 安倍理葎子 | 漢字表記に戻した時期 |
| 安倍里葎子 | 長く使われた表記 |
| 安倍理津子 | 2020年3月11日に改名(現在) |
現在の表記は安倍理津子で、2020年3月11日付けで改名しています。
この改名について、所属先のシンガープロが理由を公表しているのですが、これがちょっと胸に来る内容なんです。
3月11日という日付に込められた意味
公表されている改名の理由は、大きく3つでした。
ひとつめは、安倍理津子さんのお母さまの誕生日が3月11日であること。
ふたつめは、3月11日に発生した東日本大震災で被害に遭われた皆さんに、夢を持ってもらえる歌を歌っていきたいという想い。
みっつめは、デビュー50周年を機に心を新たにしてさらに精進していきたいという決意です。
母親の誕生日と、震災の日。
同じ日付が持つふたつの意味を引き受けたうえで、その日を改名日に選んでいるんですよね。
単なる表記変更ではなく、歌い手としての姿勢を示すための改名だったことがうかがえます。
デビュー曲愛のきずなで新人賞を受賞
デビューは1970年8月1日、キングレコードからでした。
デビュー曲「愛のきずな」は100万枚のヒットとなり、第12回日本レコード大賞新人賞を受賞しています。
公式サイトでも、その年の新人賞を総なめにしたと紹介されています。
デビュー曲でいきなりミリオン、しかも新人賞総なめですから、当時の勢いは相当なものだったはずです。
札幌の音楽喫茶でスカウトされてから、わずか5か月ほどでの出来事だったことになりますね。
デビュー曲の表記が資料によって異なる
なお、オリコンのプロフィールではデビューシングルが「雪のように」と記載されており、公式サイトやWikipediaの記載と食い違っています。
公式サイトは「愛のきずな」を1970年8月1日のデビュー作として明示していますので、こちらを基準に見るのが確実です。
今夜は離さないでデュエットの女王に
キャリアの2つめの山は、デビューから13年後にやってきます。
1983年、橋幸夫さんとのデュエット曲「今夜は離さない」が大ヒットしました。
この曲は今もカラオケの定番として歌われ続けている一曲です。
1983年以降は松方弘樹さん、平尾昌晃さん、美樹克彦さんらとも次々にデュエット曲をリリースしています。
そうした活動が積み重なった結果、デュエットの女王という呼び名が定着しました。
ソロ歌手としてのデビューヒットと、デュエット歌手としての代表曲、その両方を持っているのが安倍里葎子さんの強みです。
橋幸夫との不義理と2014年の和解
デュエットの相手だった橋幸夫さんとは、長く距離が空いていた時期があったことが知られています。
Wikipediaには、以前に不義理をしていた橋幸夫さんと2014年に和解した、という記載があります。
ただ、その事情の中身について本人や関係者が語った一次情報は確認できませんでした。
ネット上には具体的な理由を挙げる記事もありますが、公式に裏づけの取れない私生活の話ですので、この記事では触れません。
確認できるのは、いったん離れた関係が2014年に修復されたという事実までです。
ヒット曲を一緒に生んだ相手と、40年近い時間を経てまた並べるようになった。
……そこだけ切り取っても、なんだかじんわりしますよね。
現在もデビュー55周年の新曲を発表
77歳になった現在も、第一線で活動を続けています。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 2017年 | テイチクレコードに移籍 |
| 2021年4月 | デビュー50周年記念シングルをリリース |
| 2025年1月19日 | 横浜武道館で国歌独唱 |
| 2026年3月18日 | デビュー55周年記念シングル「真っ赤な嘘と花束と」を発売 |
| 2026年3月22日 | 新曲の発売記念ディナーショーを開催 |
| 2026年5月 | 愛知県あま市の七宝焼アートヴィレッジでコンサート |
2026年3月18日には、デビュー55周年記念シングル「真っ赤な嘘と花束と」を発売しています。
50周年で改名し、そこからさらに5年。
コンサートやディナーショーではイリュージョンマジックまで披露しているそうで、ステージの作り込み方が普通じゃないんですよね。
1970年のデビューから55年、活動の場を国内に置き続けている歌手だというのが、確認できる範囲での安倍里葎子さんの姿です。
安倍里葎子の国籍のまとめ
- 安倍里葎子の国籍を明記した公的資料や本人・事務所の公表は確認できない
- 公式サイトにもテイチクの公式プロフィールにも国籍の欄そのものがない
- 日本語版Wikipediaには国籍として日本と記載があるが一次情報ではない
- 公式サイトが示す出身地は北海道札幌市で、テイチク・オリコンとも一致する
- 熊本県出身とする記載も一部にあるが公式の記載とは異なる
- 本名は熊木律子で、公式サイト・テイチク・Wikipediaの3つが一致している
- オリコンのみ本名を阿部里葎子と記載しており、資料間で食い違いがある
- 芸名の安倍は中学時代のあだ名ベアをひっくり返したものとされる
- ベアは本名の熊木の熊が英語のbearであることに由来する
- 当時は審査で五十音の「あ」から聞かれたため事務所が「あ」始まりを選んだとされる
- 安倍という芸名は出自や家系とは無関係に決まったことになる
- 生年月日は1948年10月7日で2026年8月時点では77歳
- 1970年8月1日にキングレコードから「愛のきずな」でデビューし新人賞を受賞
- 1983年の「今夜は離さない」以降デュエットの女王と呼ばれるようになった
- 2020年3月11日に安倍理津子へ改名し、2026年も55周年シングルを発表している


