演歌の女王・石川さゆりさんには、かつてマネージャーの馬場憲治さんと結婚し、8年間の結婚生活を経て1989年に離婚した歴史があります。
驚くのは、その結婚生活が3世代4家族13人という大家族との同居生活だったこと——歌手活動を続けながら、その中で嫁・妻・母を全うしようとした石川さゆりさんの姿を知ったら、きっともっと彼女のことが好きになるはずです。
この記事では、元夫・馬場憲治さんのプロフィールや結婚の馴れ初め、離婚の真相、娘・佐保里さんの現在、そして10億円の借金問題まで、石川さゆりさんの素顔に迫ります。
・石川さゆりの元夫・馬場憲治のプロフィールと結婚馴れ初め
・13人大家族同居の実態と離婚理由の真相
・娘・佐保里の現在の状況と再婚しない理由
石川さゆりの元夫・馬場憲治との結婚から離婚まで
演歌界の女王・石川さゆりさんと、元夫・馬場憲治さんとの8年間の結婚生活。その馴れ初めから離婚に至るまでの経緯、そして娘・佐保里さんのこともまとめてご紹介します。
元夫・馬場憲治のプロフィールと経歴
石川さゆりさんの元夫・馬場憲治さんは、1951年10月20日生まれの日本のフリーライター、カメラマン、タレントです。
神奈川県鎌倉市出身で、東京都立新宿高等学校から早稲田大学に進学しました。
学生時代はバリバリの学生運動家で、新宿高校時代には制服の自由化と受験偏重教育に反対した活動に関与したというエピソードもあります。実はこの時代の同級生にはなかなか豪華な面々がいて、音楽家の坂本龍一さんや元官房長官・塩崎恭久さんがいたというから驚きですよね。
大学卒業後はホリプロに入社し、最初は演歌歌手の森昌子さんの現場マネージャーを務めました。その後、石川さゆりさんの担当宣伝部要員として活動するようになり、それが二人の出会いのきっかけとなりました。
ホリプロ退社後はフリーライターとして活躍し、1981年に発行した『アクション・カメラ術 盗み撮りのエロチシズム』がベストセラーとなり、高額納税者にランクインするほどの成功を収めています。
テレビの世界でも活躍し、1989年10月スタートの日本テレビ系『所さんの目がテン!』では初代リポーターを務め、知性派キャラとコミカルなキャラの二面性で人気を博しました。1997年に勇退するまで長期にわたって出演し、お茶の間の顔として親しまれました。
現在は京都府の情報通信会社の社外取締役を務める傍ら、Yahoo!セカンドライフのサポーターとして執筆活動を続けています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 馬場憲治(ばば けんじ) |
| 生年月日 | 1951年10月20日 |
| 出身 | 神奈川県鎌倉市 |
| 学歴 | 東京都立新宿高等学校→早稲田大学 |
| 職業 | フリーライター・カメラマン・タレント |
| 元所属 | ホリプロ |
| 代表活動 | 『所さんの目がテン!』初代リポーター |
著書「うちの佐保里姫」について
馬場憲治さんの著書の中でとくに注目なのが、1984年8月に小学館から出版された「うちの佐保里姫 石川さゆりの愛・結婚・出産」です。
これはなんと石川さゆりさんとの共著。まだ夫婦だった時代に、娘・佐保里さんの誕生を記念して出版されたものです。当時の二人の仲睦まじい様子が伝わるエピソードといえるかもしれません。
また1988年には「ただ今3世代4家族13人同居中 群体生活(カツオノエボシ)のすすめ」という本も出版しています。あの壮絶な大家族生活を本にまとめていたとは……なかなか逞しいですよね。
馬場憲治との結婚の馴れ初め
石川さゆりさんと馬場憲治さんの出会いは、まさに「職場結婚」ともいえる形でした。
馬場さんはホリプロに入社後、石川さゆりさんの担当宣伝部要員として彼女の芸能活動をサポートする立場でした。マネージャーとして日々一緒に仕事をするなかで、信頼関係が育まれ、次第にプライベートでも親しい関係になっていったのだと思います。
こういう「仕事で信頼を積み重ねて結婚」というのは、特に芸能界ではよく聞く話ですよね。石川さゆりさんも、歌に全力を注ぎながら目の前のマネージャーと恋に落ちたということでしょうか。
1981年10月、石川さゆりさんは23歳のときに馬場憲治さんと結婚しました。
馬場さんは当時30歳。石川さゆりさんより7歳年上ということになります。石川さゆりさんは以前「年下より、ずっと年上の人がよい。いろいろ教えてくれる人の方がいい」と語っていたことがあり、そういう意味でも馬場さんはタイプに合致していたのかもしれません。
既に人気歌手として活躍していた石川さゆりさんとのご結婚ということで、当時は芸能ニュースとして大きな話題になりました。
結婚生活の実態と大家族13人同居の苦労
1984年には長女・佐保里さんが誕生し、家族3人での新しい生活がスタートしました。一見、幸せな家族の形が整ったように見えましたが、その実態はなかなか過酷なものだったようです。
最大の難関は、夫の実家での3世代4家族13人との大家族同居生活でした。
夫の両親だけならまだしも、兄弟家族まで含めた13人での共同生活というのは、現代の感覚からしてもかなりのストレスがあったのではないでしょうか……。石川さゆりさんは、夫の家族から歌手活動を認めてもらうために、嫁・妻・母としての役割も懸命に果たそうとしたといいます。
それでも演歌の女王として全国ツアーをこなしながら、娘の学校行事にはすべて参加しようとスケジュールを調整するなど、プロとしても母としても全力で取り組んでいました。読んでいるだけで、その苦労が伝わってきます。
石川さゆりさんはこの結婚生活を振り返って「頑張ったけどダメだった」とシンプルに語っており、その一言に当時の葛藤がにじみ出ているように感じられます。
「泊まりの仕事はNG」というルール
大家族生活の中でとくに石川さゆりさんを縛ったのが、義実家の「泊まりの仕事はNG」というルールだったとされています。
地方公演や長期の地方巡業が多い演歌歌手にとって、泊まりの仕事を禁止されるというのはかなり過酷な制約です。歌手としてのキャリアを続けながら、こうしたルールの中で8年間やってきたことを考えると、石川さゆりさんの精神力と忍耐力には本当に頭が下がりますよね。
離婚理由は嫁姑問題?その真相とは
1989年2月、石川さゆりさんと馬場憲治さんは離婚しました。
これは芸能界における「平成最初の離婚」とも言われており、当時は大きなニュースになりました。8年間の結婚生活に終止符が打たれた理由については、さまざまな情報が飛び交っていますが、最も有力とされているのは嫁姑問題や大家族同居によるストレスの蓄積です。
3世代4家族13人との同居という環境の中で、義母との関係が少しずつ積み重なり、ある時点で「もう限界だ」という気持ちに至ったのでしょう。石川さゆりさん自身は「頑張ったけどダメだった」という言葉しか語っておらず、具体的な離婚原因についての詳細は明かしていません。
一方で、離婚後に一部メディアが報じた「W不倫疑惑」について触れておきます。離婚後の1991年頃に表面化した喜多嶋修さんとの関係が実は離婚前からのものだったという説もありますが、これはあくまで当時の状況から推測された情報であり、石川さゆりさん本人が認めたものではありません。
現時点で明確にされているのは「大家族同居の苦労と嫁姑問題が主因」というのが最も信頼性の高い情報だといえるでしょう。
娘・佐保里の親権と離婚後のエピソード
離婚後、長女・佐保里さんの親権は石川さゆりさんが持ち、シングルマザーとして一人で育てることになりました。
佐保里さんは1984年2月生まれで、離婚当時はまだ5歳。幼い娘を抱えながら、全国ツアーをこなし、後述する借金問題とも向き合っていく石川さゆりさんの姿は、まさに波乱万丈の人生そのものだと感じます。
石川さゆりさんは、演歌の女王として舞台上では輝き続けながら、裏では母親として懸命に娘を育てていたわけです。あの「天城越え」や「津軽海峡・冬景色」を歌う姿の裏には、そういう歴史があったんだなと思うと、また違った感動がありますよね。
馬場憲治さんは娘・佐保里さんについて「石川が引き取った」という形で公式には語っており、離婚後の親子関係については詳しいエピソードは公表されていません。
元夫婦に対する世間の声
石川さゆりさんと馬場憲治さんの結婚・離婚については、当時も今もさまざまな声があります。
「演歌の女王が13人大家族の嫁をやっていたなんて信じられない」「石川さゆりさんはよく8年間も頑張ったと思う」という驚きと称賛の声が多く見られます。また「シングルマザーで借金まで乗り越えた石川さゆりさんはすごい」「あのつらい時代があったからこそ、天城越えの歌声に魂が入っているんだろうな」という深読みをするファンも多いようです。
馬場憲治さんについては「所さんの目がテン!の初代リポーターだったとは知らなかった」「フリーライターとして活躍し続けているのは立派」といった声もあります。
離婚から35年以上が経った今も、二人に対するファンの関心は衰えず、石川さゆりさんの人生の一部として語り継がれています。
石川さゆりの元夫を調べる人向けの関連情報
石川さゆりさんと元夫・馬場憲治さんについて詳しく知りたいという方のために、石川さゆりさんのプロフィールや娘・佐保里さんのこと、再婚情報、そして借金問題についてもまとめてお伝えします。
石川さゆりのプロフィールと代表曲
まず、石川さゆりさんの基本的なプロフィールを確認しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 石川絹代(いしかわ きぬよ) |
| 生年月日 | 1958年1月30日 |
| 出身 | 熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区) |
| 学歴 | 堀越高等学校卒業 |
| デビュー | 1973年3月25日「かくれんぼ」 |
| 所属事務所 | さゆり音楽舎(1997年〜) |
| 所属レコード | テイチクエンタテインメント |
| 芸名の由来 | 「いつまでも美しく清潔であってほしい」というイメージからプロデューサーが命名 |
石川さゆりさんが歌に目覚めたのは小学1年生のとき。島倉千代子さんの歌謡ショーに感動したことがきっかけで、歌手を志すようになりました。その後、横浜市に転居しレッスンを受け始め、牛乳配達のアルバイトでレッスン費を捻出したというエピソードも有名ですよね。
1972年、横浜市立城郷中学3年生の夏休みに、フジテレビ系列の「ちびっ子歌謡大会」に参加して合格し、ホリプロにスカウトされて芸能界入りを果たします。翌1973年に「かくれんぼ」でデビューしました。
デビュー当初は「花の中三トリオ」(森昌子・山口百恵・桜田淳子)の影に隠れる時期もありましたが、1977年「津軽海峡・冬景色」で大ブレイクを果たし、日本を代表する演歌歌手の一人となりました。
その後も「能登半島」「天城越え」「風の盆恋歌」など次々とヒット曲を生み出し、NHK紅白歌合戦には紅組歴代最多の48回出場を誇ります。2019年には紫綬褒章も受章し、2023年の映画「PERFECT DAYS」でも好評を博しました。
半世紀以上に渡って第一線で活躍し続ける石川さゆりさんは、まさに日本演歌界の宝といえる存在です。
娘・佐保里の病気と現在の状況
石川さゆりさんの一人娘・石川佐保里さんは、1984年2月生まれで現在41歳です。
離婚後、石川さゆりさんに引き取られたのですが、大人になってからも娘さんには苦労がありました。
イギリスに2年ほど留学した際、現地で人種差別のような嫌がらせを受けたことがきっかけとなり、対人恐怖症になってしまったのです。これはかなりつらい経験ですよね……。そんな思いをして帰国した佐保里さんのことを考えると、胸が痛くなります。
ただ、現在は状況が改善されているようです。母・石川さゆりさんの個人事務所を手伝いながら、一緒にコンサートに出かけたりショッピングを楽しんだりと、少しずつ前向きに生活を取り戻しているとのこと。ほっとしますよね。
現在は石川さゆりさん・娘の佐保里さん・石川さゆりさんのお母さんという3世代3人で暮らしており、家族の絆を感じさせる生活を送っています。
ちなみに佐保里さんは2012年のホンダ・フィットシャトル ハイブリッドのCMに石川さゆりさんとともに親子共演しており、「石川さゆりさん 親子・2012年3月25日 購入」とクレジットされていました。その際の映像から、二人の仲の良さが伝わってきます。
結婚や孫については今のところ情報はなく、現在も独身で母親と生活をともにしているようです。
再婚しない理由と現在の結婚事情
1989年の離婚以来、石川さゆりさんは35年以上にわたって再婚していません。
大家族同居の苦労や嫁姑問題を乗り越え、シングルマザーとして娘を育て上げてきた石川さゆりさんにとって、再婚という選択肢はどのように映っているのでしょうか。
過去には「結婚はもうこりごり」という発言もあったと伝えられており、あの大家族生活の経験がそう思わせるのも無理はないような気がします。ただ一方で、好きな男性のタイプについては「年下より、ずっと年上の人がよい。いろいろ教えてくれる人の方がいい」と語っていたこともあり、恋愛への気持ちが完全にないというわけでもないのかもしれません。
また、現在は娘・佐保里さんと母親との3人暮らしで、音楽活動にも精力的に取り組んでいます。「今は家族と音楽が最優先」という姿勢が伝わってきますよね。
再婚については明確に否定も肯定もしておらず、現在も独身として自分のペースで人生を歩んでいるというのが実情のようです。
借金問題の真相と10億円返済の経緯
石川さゆりさんの人生の中で、離婚と並んで語られる大きな出来事が「借金問題」です。
1989年、離婚と同じ年にカラオケボックス事業に進出し、知人の仲介で15店舗を買い取りました。
当時のバブル景気の中ではよくあった投資・事業展開のひとつだったのでしょう。しかしその後バブルが崩壊し、不況の波に飲み込まれる形で経営を断念。知人に経営権を譲渡しましたが、連帯保証人として石川さゆりさんの名前は残り続けました。
その後、この事業に絡んだ負債が膨らみ、整理回収機構から最終的には約56億円規模の損害賠償請求を受けるという事態に発展しました。2001年に提訴され、東京地方裁判所では約2.2億円の支払い命令が出ましたが、整理回収機構がこれを不服として控訴。石川さゆりさんが1992年に新築した豪邸も一時差し押さえられるという苦しい状況に追い込まれました。
それでも石川さゆりさんは歌い続け、ステージに立ち続けました。最終的には約10億円の賠償で決着したとされています。
シングルマザーでの育児、そして10億円規模の借金問題を乗り越えてなお歌い続けた石川さゆりさんの強さは、まさに本物だと感じます。
その苦難の時代があったからこそ、「天城越え」や「津軽海峡・冬景色」に込められた情念と生命力が、あれほどリアルに伝わってくるのかもしれませんね。
石川さゆりの夫のまとめ
- 石川さゆりの元夫は馬場憲治(ばばけんじ)、1951年10月20日生まれのフリーライター・タレント
- 馬場憲治はホリプロで石川さゆりの担当宣伝部要員として活動していた
- 2人は仕事を通じて出会い、1981年10月に結婚した
- 結婚当時、石川さゆりは23歳、馬場憲治は30歳(7歳年上)
- 結婚後は馬場家の実家に住み、3世代4家族13人との大家族同居生活を送った
- 嫁姑の確執や大家族同居のストレスが主な離婚理由とされている
- 1984年2月に長女・佐保里が誕生した
- 1989年2月に離婚(平成最初の芸能界離婚と言われる)
- 離婚後、娘・佐保里の親権は石川さゆりが持った
- 石川さゆりは離婚後に再婚しておらず、35年以上独身を貫いている
- 馬場憲治は『所さんの目がテン!』初代リポーターとして活躍した
- 馬場憲治はホリプロ退社後に「アクション・カメラ術」でベストセラーを記録している
- 石川さゆりは同時期にカラオケ事業の連帯保証問題で56億円の賠償請求を受け、最終的に約10億円で決着した
- 娘・佐保里はイギリス留学中に対人恐怖症になったが、現在は母と祖母との3人暮らしで回復に向かっている
- 石川さゆりはNHK紅白歌合戦に紅組最多48回出場し、2019年に紫綬褒章を受章している


