賀来千香子さんの実家が金持ちだという話、聞いたことがありませんか?
父親が三菱銀行のエリートバンカーで、実家は世田谷の高級住宅街にゴルフ練習場付きの豪邸、さらに800年続く名門一族のルーツを持つ……調べれば調べるほど、驚きの事実が出てきます。
実は、父が銀行員であることを職場に隠し続けていたのに、娘・千香子さんがライバル銀行のCMに出演してバレてしまったというエピソードがあって、これがとても笑えつつじわじわ来る話なんです。
・賀来千香子の実家がある世田谷の豪邸の詳細とゴルフ練習場の存在
・父・賀来昭一郎の銀行員経歴とライバル銀行CMで職場にバレたエピソード
・800年続く名家・賀来家の先祖と甥・賀来賢人との関係
賀来千香子の実家が金持ちと言われる理由
賀来千香子さんといえば、その上品な佇まいと知的な雰囲気が印象的な実力派女優ですよね。どこかお育ちが良さそうだな…と感じた方も多いはず。実は、賀来千香子さんの実家は「本物の金持ち家庭」と呼ぶにふさわしい、いくつもの驚くべき背景があるんです。
実家は世田谷区の高級住宅街にある豪邸
賀来千香子さんの実家は、東京都世田谷区の高級住宅街に位置しているとされています。
世田谷区といっても一口に言えませんが、なかでも成城や田園調布エリアは芸能人や著名人がこぞって住む高級住宅地として有名です。石原さとみさんや大泉洋さんなど、多くの人気俳優たちがこのあたりに自宅を持っているほど。そんな場所に実家があるというだけで、すでに相当なリッチ感がありますよね。
賀来家の実家で特に注目されているのが、敷地内に設けられたゴルフ練習場の存在です。
庭でゴルフの素振りができるくらいの広さって、普通の一般家庭ではなかなか実現しません。「うちの庭でゴルフ練習できる」なんて言える家庭が、どれだけあるでしょうか。
もともとこのゴルフ練習場は祖父・賀来速人さんが使っていたものと伝えられており、「代々受け継がれてきた豪邸」というイメージがぴったり当てはまります。
賀来千香子さん本人もインタビューや舞台あいさつの場で「家が世田谷」と話していたことがあるとされており、地域の目撃情報もちらほらあるようです。インスタグラムや女性誌の取材写真にも、和と洋がミックスされた落ち着きのある広い室内がたびたび映り込んでいて、「これは都心のマンションじゃなくて、ゆったりした戸建てだな」と感じさせるものがあります。
賀来千香子さんの実家は、世田谷区の閑静な高級住宅街に構えられた豪邸で、その広さや設備からも、裕福な家庭環境であることが伝わってきます。
父・賀来昭一郎は三菱銀行のエリートバンカー
賀来千香子さんの父親は、賀来昭一郎さんという名前のエリート銀行員でした。
その勤務先として広く知られているのが三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)で、支店長クラスにまで昇進していたとされています。一説には富士銀行での重役経験もあったとも言われていますが、詳細は公表されていません。
三菱UFJ銀行の支店長クラスの年収はどのくらいなのでしょうか。参考として一般的な目安をまとめてみました。
| 役職 | 年収の目安 |
|---|---|
| 支店長(PG21以上) | 約2,000万円以上 |
| 支店次長・課長(PG18〜20) | 約1,400万〜1,800万円 |
| 支店長代理(PG13〜17) | 約1,000万〜1,400万円 |
※あくまで一般的な目安であり、実際の金額は人物や勤務年数によって異なります。
支店長クラスになると年収2,000万円以上という水準になり、これだけでも十分に「お金持ちの父親」と言えますよね。
昭一郎さんは仕事ぶりでも高く評価されていた方で、「お客様目線を忘れず、上から目線で対応しない」という信念を実践し、問題が起きた際には自ら取引先に赴いて謝罪するなど、誠実で謙虚な姿勢が評判だったといいます。そのような父親の仕事への姿勢が、賀来千香子さんの謙虚で礼儀正しい人柄にも影響を与えているのかもしれません。
祖父・賀来速人も三菱銀行支店長だった
実は、賀来家と三菱銀行のつながりはお父さんだけの話ではありません。
賀来千香子さんの祖父にあたる賀来速人さんも、三菱銀行の支店長を務めたエリート銀行員でした。速人さんは特に営業成績が優れていたことで知られ、顧客からの信頼も厚かったとされています。
さらに速人さんには多才な一面もあり、絵画が趣味で、その作品が銀行の施設内に飾られていたというエピソードも残っています。仕事でも趣味でも一流……賀来家の「エリート性」は、祖父の代から脈々と受け継がれてきたんですね。
父・賀来昭一郎さん、祖父・賀来速人さんと、二代にわたって三菱銀行で活躍したエリートバンカーの家系が、賀来家の経済的豊かさを支えてきたと言えるでしょう。
銀行員の父に娘のCM出演がバレたエピソード
賀来千香子さんの父・昭一郎さんにまつわる、なんとも微笑ましいというか…少し気の毒なエピソードがあります。
昭一郎さんは、娘が芸能界で活動していることを職場の同僚にはずっと隠していました。当時の銀行員の文化として「家族が芸能人だ」というのはあまり公言できるものではなく、特に娘が「銀行員としての厳しい視線にさらされた」という昭一郎さんのコメントからも、その空気感が伝わってきます。
ところが、ある出来事がきっかけで親子関係がバレてしまいます。
賀来千香子さんが住友銀行(三菱銀行のライバル銀行)のCMに出演することになったのです。
テレビをつけたら、自分の娘がライバル銀行のCMに映っている——これは職場でかなりバツが悪い状況ですよね(笑)。
後に昭一郎さんはFLASH誌のインタビューでこう語っています。
「やっぱり銀行員の娘が芸能界なんて厳しい目で見られましたよ。ましてライバル銀行のモデルになったんですから。なんで私が責められなくちゃいけないんだと思いました」
……これはきつかったでしょうね(笑)。でも、このコメントの言い方が「嘆く」というより「笑い話のように語っていた」という伝え方があって、どこか娘の活躍を誇りに思いながらも職場での立場に苦笑いしていた父の姿が目に浮かびます。個人的にすごく好きなエピソードです。
「ライバル銀行のCM出演で親子関係がバレた」というエピソードは、厳格な銀行マンとしての父と、芸能界で活躍する娘との絶妙な親子関係を象徴するエピソードとして語り継がれています。
母・ヨシ子の実家も小田原の旧家で名家
賀来千香子さんの金持ち環境を語るうえで忘れてはならないのが、お母さんの家系です。
母・賀来ヨシ子さんの実家は、神奈川県小田原市に根付いた旧家——奥津家——で、こちらも代々の歴史と伝統を持つ名家として知られています。
奥津家が特筆されるのは、明治時代から取り組んできた先進的なビジネスにあります。当時の奥津家は鉄道会社向けに川砂を採取して販売する事業を展開しており、その利益をもとに神奈川県の国府津駅前に薬局を開業するなど、地域経済の発展にも貢献していたとされています。
明治時代から「鉄道向けの砂利採取事業」「薬局経営」という複数の事業を手がけていたというのは、当時としては非常に革新的です。そういったビジネス感覚と堅実な経営姿勢が、奥津家を地域でも信頼される存在にしていったのでしょう。
ヨシ子さん自身は非常に美しい方で、その品格ある立ち振る舞いから周囲の人々から慕われていたと伝えられています。
なお、ORICON NEWSの報道によると、賀来千香子さんは2024年にInstagramでお母さんとの「顔出し」2ショット写真を公開しています。このとき、ヨシ子さんはすでに90歳を迎えられていたとのこと。賀来千香子さんが1961年生まれで63歳ですから、お母さんとの年齢差を考えると、その長命さと美しさには驚かされます。
賀来家も奥津家も、ともに歴史ある名家の系譜を持つ両家が結ばれたことで、賀来千香子さんはまさに「名家の子女」として生まれ育ったと言えます。
ピアノやバレエなど充実した習い事の数々
お金持ち家庭の子育ての証と言われるのが、習い事の充実度です。
賀来千香子さんの幼少期には、ピアノ・バレエ・茶道・華道など、じつに多彩な習い事が用意されていたそうです。これだけの習い事を同時に続けるには、経済的な余裕はもちろんのこと、子どもの教育に熱心な親の存在が不可欠ですよね。
さらに特徴的だったのが、家庭内のしつけの厳しさです。賀来千香子さんは過去のインタビューで、こんなことを語っています。
- テレビを見る時間が決まっていた
- 言葉づかいや姿勢にとても厳しかった
- 食事の作法、礼儀、話し方を日常の中で丁寧に教えられた
賀来家はただのお金持ちではなく、「お金で買える最高の教育環境」と「お金では買えない礼儀・品格の教育」を両立させていた家庭だったことが伝わってきます。
なんかこういうの、今の時代にこそ大事だなと思ってしまいます。
賀来千香子さんが女優として長年活躍し続け、どんなドラマでも「品がある」「佇まいが美しい」と言われ続けているのは、こうした幼少期からの教育が土台になっているのではないでしょうか。
高校3年生のとき原宿でスカウトを受けた際も、当初は両親が強く芸能界入りに反対していたとされています。それも、厳格な家庭教育を受けさせてきた親として「芸能界という世界に娘が入るのを心配した」という親心から来るものだったのかもしれません。
賀来千香子さんの上品で知的な女優としての魅力は、幼少期から積み上げてきた充実した習い事と、名家ならではの礼儀教育によって培われたものだと言えるでしょう。
裕福な実家への世間の声
賀来千香子さんの実家に関するエピソードが知れ渡ると、ネット上でもさまざまな声が上がっています。
「確かに賀来千香子さんって、どこか育ちがよさそうな雰囲気がある」「世田谷の豪邸にゴルフ練習場って、もはやドラマの世界だ」「父親が銀行員で、ライバル銀行のCMでバレたエピソードがじわじわくる(笑)」「こんな環境で育ったのに、全然嫌味がないのがすごい」という好意的なコメントが多く見受けられます。
また、「賀来千香子さんの話し方が丁寧で落ち着いているのは、育ちの良さが出てる」「ただの金持ちじゃなくて、800年続く名家という重みがある」といった声もあり、単なる「お金持ちの子ども」というイメージを超えた「本物のお育ち」への羨望と尊敬が集まっています。
賀来千香子さん自身は、こうした家庭環境にありながらも芸能界で「自分の実力」で確固たる地位を築いてきた方。恵まれた環境に甘んじることなく、女優としてのキャリアを積み上げてきたその姿勢が、多くのファンから愛される理由のひとつになっているのでしょう。
賀来千香子の実家を調べる人向けの関連情報
賀来千香子さんの実家が気になったら、あわせて知っておきたい関連情報をまとめました。兄・賀来稔晴さんの経歴や、賀来家の驚きの先祖エピソードなど、盛りだくさんですよ。
兄・賀来稔晴はクレディセゾン元代表取締役
賀来千香子さんには、賀来稔晴(としはる)さんというお兄さんがいます。このお兄さんが、これまたかなりの多才な方なんです。
まずビジネス面では、大手クレジットカード会社クレディセゾンの元代表取締役を務めたという経歴があります。しかもその前段として、クレディセゾンの創業者・堤清二さんの秘書を経験していたというのだから、普通ではありません。
さらに驚きなのが、その音楽活動です。稔晴さんはビートルズのコピーバンド「リバプールボーイズ」のベーシストとして活動しており、コンテストで優勝したこともあるそうです。ビジネスエリートでありながら、ビートルズへの情熱も持ち続けていたというのが、なんとも魅力的なキャラクターですよね。
また、人気漫画家・さくらももこさんとも深い親交があり、さくらさんが設立した「さくらプロダクション」の役員も務めていたとされています。「ちびまる子ちゃん」の作者と賀来家がつながっていたとは……知ったときびっくりしませんでしたか?
そして、賀来千香子さんが芸能界を目指した当初、両親が強く反対していたときに「背中を押してくれた」のがこの稔晴さんだというエピソードも残っています。賀来千香子さんの活躍は、ある意味でお兄さんが後押ししてくれた賜物でもあるわけです。
なお、稔晴さんは俳優・賀来賢人さんのお父さんでもあります。つまり、賀来千香子さんは賀来賢人さんにとって叔母にあたります。
ビジネス・音楽・芸能と三つの分野で活躍してきた兄・賀来稔晴さんの存在は、賀来家が「多才な一族」であることを象徴しています。
賀来家は800年続く大分県の名門一族
「800年続く名家」という表現を聞いて、どこか他人事のように感じる方もいるかもしれませんが、賀来家はまさにその言葉がふさわしい一族です。
賀来家のルーツは大分県宇佐市安心院町(あじむまち)にあります。「賀来(かく)」という珍しい苗字は、大分県にある「賀来町(かくまち)」という地名に由来するとされており、かつてはお殿様に仕える武士たちが住んでいた町だったと言われています。
つまり、賀来家の祖先はもともと武家の血を引いている可能性が高く、その流れをくんで代々「礼儀を重んじ」「地域に貢献する」という家風が受け継がれてきたと考えられます。
「賀来」という苗字の意味についても、「神さまに仕える」「喜びを加える」など、気品あふれる解釈が伝えられており、苗字一つとってもただならぬ由緒を感じさせます。
さらに興味深いのが、賀来家の家訓として伝わる「謙虚であること」「人のために尽くす精神」という考え方です。祖父・速人さんの「上から目線でなく、相手の立場で考える姿勢」も、父・昭一郎さんの誠実な仕事ぶりも、すべてこの家風が形になったものといえるでしょう。
賀来惟準が私財を投じて地元に学校を設立
先祖の賀来惟熊さんの息子にあたる賀来惟準(これのり)さんもまた、地域に大きな貢献をした人物として知られています。
惟準さんは私財を投じて地元・大分県に学校を設立し、子どもたちに無償で教育を施したとされています。その功績は地元住民の心に深く刻まれ、惟準さんの墓が地域住民の寄付によって建てられるほどの尊敬を集めました。
「自分のお金で学校を建てて、地域の子どもたちに無償で教育を提供する」——なかなかできることではありません。読んでいてこちらまで温かくなるエピソードですね。
賀来家は「お金持ちの名家」というだけでなく、地域社会への貢献を代々大切にしてきた、品格と奉仕の精神を受け継ぐ一族なのです。
先祖・賀来惟熊が民間初の大砲鋳造に成功
賀来家の先祖の中で最も歴史的に著名なのが、江戸時代後期に活躍した賀来惟熊(これたけ)という人物です。
賀来惟熊さんの最大の功績は、民間として初めて鉄製大砲の鋳造に成功したこと。幕末の動乱期、日本が西洋列強の脅威にさらされていた時代に、村人たちと協力しながら独自に技術を習得し、大砲の製造を成し遂げたのです。これは当時の日本の海防強化にも大きく貢献した快挙でした。
しかし、惟熊さんにはもうひとつの顔があります。
大砲の製造に成功した後、「この大砲が国内の争いに使われれば、地域の人々が傷つく」と考えた惟熊さんは、自らの手で反射炉を破壊してしまったのです。
……これ、すごくないですか。
自分がすべての情熱をかけて作り上げたものを、「地域のため」「人々のため」という理由で自ら壊してしまった。それはとてつもない決断だったはずです。このエピソードからは、「技術や力があっても、それを人を傷つけるために使ってはならない」という惟熊さんの強固な価値観が伝わってきます。
2019年6月27日放送のNHK「ファミリーヒストリー」では、賀来千香子さんの先祖として賀来惟熊さんの業績が取り上げられ、大きな話題となりました。また、その功績は後世にも認められ、1924年(大正13年)には従五位を追贈されています。
2010年10月30日放送の旅番組「朝だ!生です旅サラダ」では、賀来千香子さん本人が大分県宇佐市にある賀来家由来の墓を訪れる様子が放映されました。自分のルーツを大切にしている賀来千香子さんの姿が印象的でしたね。
民間初の大砲鋳造という歴史的偉業を成し遂げながらも、人々の平和を願ってその大砲を自ら破壊した先祖・賀来惟熊さんの生き方は、賀来家に脈打つ「謙虚さ」と「奉仕の精神」の原点と言えます。
甥・賀来賢人との叔母甥の関係と共演NG
賀来千香子さんについて調べると、必ずといっていいほど出てくるのが俳優・賀来賢人さんとの関係です。
二人の関係は「叔母と甥」——つまり、賀来賢人さんは賀来千香子さんの兄・稔晴さんの息子であり、賀来千香子さんにとっては甥っ子にあたります。
「賀来千香子の息子が賀来賢人」と勘違いしている方も多いようですが、正確には「兄の息子=甥」という関係です。二人は苗字も同じ「賀来」ですし、芸能界で活躍する一族ということで混同されやすいのかもしれません。
この叔母と甥のツーショットが実現するかと思いきや、実は二人には共演NGという取り決めがあるとされています。その理由は「身内であることからくる照れくさいから」とのこと。
……なんか微笑ましいですよね、これ。
2人ともそれぞれ芸能界で第一線を走る俳優として確固たる地位を築いているわけですが、「叔母甥で共演したら照れる」という人間らしい感覚が残っているというのが、なんとも温かいエピソードだと思います。
賀来賢人さんもまた「礼儀正しくて感じがいい」と業界内で評判の俳優として知られており、そういった品性は賀来家という名家で育まれた教育環境が共通しているからではないでしょうか。
賀来千香子さんと賀来賢人さんは叔母と甥という関係で、共演NGの取り決めもあるほど。二人が共通して持つ礼儀正しさと品格は、賀来家という名家に流れる気風そのものと言えます。
賀来千香子の実家と金持ちエピソードまとめ
- 賀来千香子の実家は東京都世田谷区の高級住宅街に位置する
- 実家には個人用のゴルフ練習場が設けられており、祖父が使用していた
- 世田谷区の成城・田園調布エリアに実家があるとされている
- 父・賀来昭一郎は三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)勤務のエリートバンカー
- 祖父・賀来速人も三菱銀行の支店長を務めたエリートで、絵画が趣味だった
- 父は娘の芸能活動を職場に隠していたが、住友銀行のCM出演でバレた
- 母・賀来ヨシ子の実家も神奈川県小田原市の旧家(奥津家)で名家
- 奥津家は明治時代から川砂採取事業・薬局経営を行い地域経済に貢献
- 幼少期の習い事はピアノ・バレエ・茶道・華道と充実していた
- 家庭ではテレビを見る時間が決まっていたほど厳しいしつけ教育があった
- 兄・賀来稔晴はクレディセゾン元代表取締役、さくらプロダクション役員と多才
- 稔晴はビートルズコピーバンド「リバプールボーイズ」でコンテスト優勝経験あり
- 賀来家のルーツは大分県宇佐市安心院町にあり、800年近い歴史を持つ名家
- 五代前の先祖・賀来惟熊は民間初の鉄製大砲鋳造に成功し、大正13年に従五位追贈
- 甥・賀来賢人とは叔母甥の関係で、照れくさいという理由から共演NGの取り決めがある


