藪中三十二の名前の由来は「父親が32歳のとき」説が有力!読み方も解説

藪中三十二の名前の由来は「父親が32歳のとき」説が有力!読み方も解説

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「藪中三十二(やぶなかみとじ)」という名前を初めて見たとき、思わず「……え、年齢?」と二度見した方も多いのではないでしょうか。

実はこの「三十二」という名前の由来については、本人が一切公表しておらず、20年以上にわたってネット上で様々な憶測が飛び交っているんです。

父親が32歳のときに生まれたから?生まれた時刻が32分だったから?はたまた「父が四郎・母が八重子で4×8=32」という驚きの説まで……。この記事では、あらゆる仮説を徹底検証していきます。

この記事を読むとわかること
・藪中三十二の「三十二(みとじ)」という名前の由来として有力視される複数の説
・山本五十六・直木三十五など日本の「数字の名前」文化との関係
・名前を活かした日中交渉での「今朝から六十四に変わった」伝説のエピソード

藪中三十二の「三十二(みとじ)」という名前の由来を徹底考察!

「三十二」で「みとじ」……初めて見たとき、思わず二度見した方も多いのではないでしょうか。この記事では、藪中三十二さんの名前の由来にまつわるさまざまな説を徹底的に掘り下げていきます。

初見では読めない!「三十二」を「みとじ」と読む理由とは

漢数字の「三十二」を見て、すぐに「みとじ」と読める人は、まずいないと思います。

藪中三十二さんの名前は、テレビのニュース番組やニュースの字幕に登場するたびに「え、これなんて読むの?」と注目を集めてきた、非常にインパクトのあるお名前です。

読み方は「やぶなか みとじ」。「三十二」の部分が「みとじ」です。

「み(三)・と(十)・じ(二)」と分解すると読み方の仕組みが見えてきますね。「三」を「み」、「十」を「と」、「二」を「じ」と音読みしたわけです。

漢数字の「三十二」をそのまま「みとじ」と読む名前は、日本でもきわめて珍しい部類に入ります。

SNSでも「今日初めて知った!」「ずっと気になっていたからスッキリした」という反応が多く、初めて見た人のほぼ全員が読めないと言っても過言ではないでしょう。

糸井重里さんが主宰するサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」のコーナー「声に出して読めない日本語」でも、藪中三十二さんの名前が取り上げられたことがあります。読めない人がそれだけ多い証拠ですよね。

「三十二」を初見で「みとじ」と読める人はほぼ皆無であり、名前そのものが一種の”話題のタネ”として機能していると言えるでしょう。

名前の由来は本人が一切公表していない謎に包まれたまま

これだけ話題になる名前なのに、実は藪中三十二さんご本人が「名前の由来はこういうことです」と公式に説明したことは、現時点では確認されていません。

インタビューや著書の中でも、自身の名前の由来について言及した記録は見当たらない。だからこそ「いったいどういう理由でこの名前になったの?」とネット上でさまざまな憶測が飛び交っています。

2004年ごろのブログでは、ファンと思われる方が「何で32なのか」について独自に考察し、「32人兄弟?」「誕生日が3月12日?」「永遠の32歳?」「居間が32畳?」と、ユニークな仮説を次々と披露していました。

名前の由来を巡るこうした憶測は20年以上にわたってネット上で語り継がれており、今も「藪中三十二 名前 由来」という検索ワードで多くの人が気になっているのが現状です。

由来が謎のまま残されているからこそ、人々の想像力をかき立て、親しみを持たれる存在になっているとも言えるかもしれません。

現時点で名前の由来は非公開であり、正確な由来は藪中さんご自身のみが知る謎として残っている状態です。

最有力説「父親が32歳のときに生まれた子」だから?

では、ネット上でもっとも多く支持されている説は何かというと、「お父さんが藪中さんご本人を授かったときの年齢、つまり32歳という数字をそのまま名前にしたのではないか」という説です。

この発想のルーツとして必ず引き合いに出されるのが、連合艦隊司令長官を務めた山本五十六(やまもと いそろく)さんの名前です。山本五十六さんは1884年に、父親の高野貞吉さんが56歳のときに生まれたことから「五十六」と名付けられた、というのは日本では有名な逸話です。

「もしかして藪中さんも、山本五十六と同じパターンでは?」という推測がSNSで広がり、多くの人が「ありえそうだ」と感じているわけです。

藪中三十二さんは1948年1月23日生まれ。仮にお父様が32歳のときに生まれたとすると、お父様は1915〜1916年生まれということになります。戦中〜戦後すぐに生まれた世代にとって、こうした数字を名前に用いる命名文化は決して珍しくなかったかもしれません。

もしこの説が本当だとしたら、父親にとって32歳という年が、息子の誕生によって生涯忘れられない特別な一年になったということ。自分の生きた証を息子の名前に託す……なんだかとても温かいエピソードだと思いませんか?

「父親が32歳のときの子」という説は、山本五十六の命名パターンとも一致することから、最も納得感のある有力仮説として支持されています。

「生まれた時刻がちょうど32分だった」という説も

「父親の年齢説」と並んで語られているのが、「生まれた時刻が関係しているのでは?」という説です。

ある個人ブログに「ご両親がこのお名前をつけられた由来が非常に気になります。生まれた時、時計を見たら『○○時32分』だったのではないでしょうか?」という考察が書かれていました。

確かに冷静に考えると、「32番目の子ども」というのは現実的ではないですし、「生まれた日が32日」というのもありえません。時間・分という視点に着目するのは面白い発想です。

子供が生まれた瞬間というのは、親にとって生涯忘れられない奇跡の瞬間。「この子が生まれたのは、時計の針がちょうど32分を指した瞬間だったんだよ」という家族の物語として語り継がれているとしたら、それはそれで素敵ですよね。

ただし、「父親の年齢説」と同様、あくまでもネット上の憶測であり、本人からの言及はありません。どちらの説も根拠は推測の域を出ないものです。

「父が四郎・母が八重子で4×8=32」コメント欄に驚きの証言

ここで、実は非常に興味深いコメントが存在します。

あるブログ記事のコメント欄(2025年4月投稿)に、匿名の方から次のような書き込みがありました。

「わかりませんか?父が四郎、母が八重子!4×8=32だよ!!!」

つまり、お父様のお名前「四郎(4)」とお母様のお名前「八重子(8)」の数字を掛け合わせると32になる、という説です。

これが本当であれば、単純に「父親の年齢」でも「生まれた時刻」でもなく、両親の名前を組み合わせた愛情あふれる命名だということになります。

ただし、この情報はあくまでも匿名コメントであり、父親が「四郎」、母親が「八重子」という名前かどうかも含め、外部から確認できる一次情報は存在しません。また同じコメント欄に「父が史郎」という表記の投稿もあり、記述が揺れています。

この「4×8=32」説は、真偽の確認はできないものの、もし事実なら最もロマンティックな命名エピソードになり得るユニークな仮説です。

コメント欄の証言を鵜呑みにすることはできませんが、両親の名前を掛け合わせて子供に名をつけるという発想は、非常に独創的で心温まるものです。

山本五十六・直木三十五……数字の名前は日本に古くからある命名文化

藪中三十二さんの名前の由来を考えるうえで、数字を名前に使う日本の命名文化を知っておくとより深く理解できます。

最も有名な例が「山本五十六(やまもと いそろく)」です。前述のとおり、1884年に父親の高野貞吉さんが56歳のときに生まれたことから「五十六」と名付けられました。

さらに面白いのが「直木三十五(なおき さんじゅうご)」というペンネームです。

直木賞の創設のきっかけになった、あの直木三十五さんです。本名は植村宗一で、小説家デビュー当時31歳だったことから「直木三十一」としてデビューし、その後年齢に合わせて「三十二」「三十三」と数字を上げていきました。最終的に「三十五」で止まったのは、「三十四(さんじゅうし)」が「惨死」を連想させるという理由だったと言われています。

人物名読み方数字の由来
山本五十六いそろく父が56歳のときに生まれた
直木三十五さんじゅうご31歳でデビュー後、年齢とともに変えたペンネーム
藪中三十二みとじ由来は非公開(父が32歳説が有力)

こうした命名は現代ではほとんど見られませんが、かつての日本では親の年齢や記念となる数字を子供の名前に入れる文化が確かに存在していました。

「数字の名前」は日本の命名文化の歴史の中に確かに根付いており、藪中三十二さんの名前はその系譜に連なる可能性が高いと考えられます。

名前の謎を持つ藪中三十二の華々しい外交キャリアと現在

名前の謎も興味深いですが、藪中三十二さんが歩んできた外交官としてのキャリアもまた、名前に負けないほどの個性にあふれています。意外な入省のきっかけから最前線の外交まで、一緒に見ていきましょう。

「行き当たりばったり」から始まった外交官人生

次に、名前と同様に個性的な藪中三十二さんの経歴を見ていきましょう。

1948年1月23日、大阪府生まれ。大阪府立住吉高等学校を卒業後、大阪大学法学部に進学しました。

大学在学中は英会話サークル・ESS(English Speaking Society)のリーダーを務めるほどの英語好きだったそうです。

外務省に入ったきっかけは意外にも「行き当たりばったり」。大学3年生のとき、ESSの仲間に誘われて外務省採用の中級試験を受けてみたところ合格してしまった、ということが始まりでした。藪中さんご自身が著書の中で「成り行きまかせというか、行き当たりばったりの結果、外務省に入ってしまった」と述べているほどです。

大学3年時点で試験に合格し、大阪大学を中退して1969年4月に外務省入省。その後、上司の勧めで外務省上級職の試験も受験して合格し、キャリア外交官への道を歩み始めます。

入省後は韓国・インドネシア・米国での在勤を経て、北米第二課長(日米経済摩擦担当)、ロンドンのIISS主任研究員、ジュネーブ代表部公使など、国際舞台でのポストを次々と歴任しました。

北朝鮮拉致問題・六者会合で日本の首席代表を歴任

在シカゴ総領事を経て、2002年12月にアジア大洋州局長に就任した藪中さんは、いよいよ外交の最前線に立つことになります。

この時期の外交テーマは、北朝鮮の核問題と拉致問題。六者会合(日本・北朝鮮・米国・中国・韓国・ロシアが参加した多国間協議)の日本側首席代表を務め、拉致被害者の帰国交渉にあたりました。

緊張した国際交渉の場で、日本の立場を守りながら北朝鮮と向き合うという、並大抵ではない仕事を担ったわけです。

その後、経済担当外務審議官としてG8サミットのシェルパ(首脳の補佐役)も務め、政務担当外務審議官へとステップアップ。そして2008年1月、外務事務次官に就任します。

外務省において事務次官は事務方のトップ。省のナンバーワンに上り詰めたわけです。

「行き当たりばったり」で入省した外務省でキャリアを重ね、最終的に外務事務次官という外務省事務方の頂点まで上り詰めた、まさに異色の外交官人生です。

2010年に退官後は外務省顧問となり、立命館大学客員教授なども歴任しました。

名前を武器にした外交術!「今朝から六十四に変わりました」の名交渉エピソード

藪中三十二さんの逸話として特に有名なのが、東シナ海のガス田開発をめぐる日中交渉でのエピソードです。

日本と中国のあいだでは、東シナ海のEEZ(排他的経済水域)の境界線について長年対立が続いていました。このため、ガス田開発をどちら側が行うかという問題が交渉の焦点になっていたのです。

その交渉の席で、中国側の担当者が藪中さんのお名前に引っかけてこんな提案をしてきました。「では間をとって32海里ではどうでしょう」と。

これは日本側の主張と中国側の主張の「真ん中の値」ではなく、藪中さんの名前「三十二」を使った場の空気を和らげるジョークのような提案でした。

これに対して藪中さんが返した言葉が話題になります。「あっ、ご存じなかったですか?私の名前は今朝から六十四に変わったんですが」

……最高じゃないですか、これ。

中国側の「32海里」という提案をそのまま受けず、かといって険悪な雰囲気を作ることもなく、ウィットに富んだ返しで「倍の水域をもらう」という姿勢を示した瞬間です。

この一言は外交の場における機転と交渉力を象徴するエピソードとして広く語り継がれており、藪中さんの人柄と交渉術の両方が伝わってくる名場面と言えます。

珍しい名前が外交の場でユーモアの武器になったこのエピソードは、「三十二」という名前が藪中さんのアイデンティティの一部になっていることを象徴しています。

退官後の現在〜大阪大学特任教授・薮中塾で次世代を育成〜

2010年に外務省を退官した藪中三十二さんは、その後も精力的に活動を続けています。

現在の肩書は大阪大学特任教授。また、「グローバル寺子屋 薮中塾」を主宰し、国際社会で活躍したい若者の育成に力を注いでいます。

テレビでも引き続き活躍しており、TBSの「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演。国際情勢の解説を行う場面でも、その分析の的確さが評価されています。

著書も多く、代表的なものには以下があります。

書籍名出版社出版年
外交交渉四〇年 藪中三十二回顧録ミネルヴァ書房2021年
世界基準の交渉術宝島社2019年
現実主義の避戦論PHP研究所2024年

外交官として培った経験を若い世代に伝えることに情熱を注いでいる姿からは、「行き当たりばったり」でキャリアを始めたとは思えない、筋の通った生き様が感じられます。

世間の声〜「みとじ」という名前への驚きと親しみ〜

藪中三十二さんの名前に対して、ネット上ではさまざまな反応が寄せられています。

  • 「テレビで初めて見たとき『年齢かな?』と思ってしまった(笑)」
  • 「山本五十六みたいに父親の年齢説が有力らしい、なるほどと思った」
  • 「名前の由来が謎なのに、エピソードは超有名っていうギャップが面白い」
  • 「六十四に変わった、のくだりは外交官として天才的なユーモアだと思う」
  • 「一度聞いたら絶対忘れられない名前。外交官としての交渉にも役立ってそう」

名前の珍しさと、それを活かした交渉エピソードのセットで語られることが多く、「読めないけど親しみやすい」という独特の存在感が藪中さんの魅力のひとつになっているようです。

まとめ〜名前はその人を象徴する〜

藪中三十二さんの名前「三十二(みとじ)」について、情報をまとめてきました。

由来はいまも謎のまま。でも、その謎さが人々の好奇心をくすぐり続けています。父親の年齢説、出生時刻説、両親の名前の掛け算説……どれが正しいかはわかりませんが、どの説もどこかに愛情の温かさを感じるのが興味深いですよね。

名前の由来は謎のままですが、「三十二」という名が藪中さんご自身の存在感と外交キャリアを彩る大切な要素になっていることは間違いありません。

藪中三十二の名前の由来まとめ

  • 「三十二」は「みとじ」と読む、非常に珍しい数字の名前
  • 初見でこの名前を「みとじ」と読める人はほぼ皆無
  • 藪中三十二は元外務事務次官・現大阪大学特任教授
  • 名前の由来について藪中氏本人は公式にコメントしていない
  • 最有力説は「父親が32歳のときに生まれた子」という説
  • 山本五十六(父親56歳のときに生まれた)と同じ命名パターンが有力根拠
  • 「生まれた時刻がちょうど32分だった」という説も存在する
  • コメント欄の匿名証言として「父が四郎・母が八重子で4×8=32」という説もある
  • 数字の名前は山本五十六・直木三十五など日本に古くからある命名文化
  • 大阪大学在学中にESS(英会話サークル)の仲間の誘いで外務省試験を受け、合格
  • 「行き当たりばったり」で外務省に入ったと本人が著書で語っている
  • 六者会合の日本首席代表として北朝鮮の核・拉致問題の交渉を担った
  • 日中交渉の場で「今朝から六十四に変わった」というウィットに富んだ返しをした逸話が有名
  • 外務事務次官は2008年就任・2010年退官
  • 退官後は大阪大学特任教授・薮中塾主宰として次世代人材の育成に取り組んでいる

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