小田和正さんに息子がいるのか気になって調べている方も多いのではないでしょうか。
結論から言うと、小田和正さんに子供はいません。でも、その理由がなんとも小田さんらしくて、正直ちょっと笑えて、そして深いんです。
そして「小田和正の息子」というキーワードのもうひとつの意味——父・信次さんが息子(小田和正)に託した「医者になれ」という夢と、父が亡くなった夜の感動のエピソードも、ぜひ最後まで読んでみてください。
・小田和正に子供がいない理由と本人の正直な発言
・妻・新井恵子との馴れ初めと「I LOVE YOU」に込めた愛の秘話
・父・信次が息子(小田和正)に望んだ夢と感動の臨終エピソード
小田和正に息子はいない!子供を持たなかった真相と妻・恵子の話
小田和正さんに息子(子供)がいるのかどうかが気になって検索した方も多いと思います。結論からお伝えすると、小田和正さんには子供がいません。でも、なぜ子供を持たなかったのか、その理由には小田さんらしいユニークな考えが隠されていました。妻・新井恵子さんとの40年以上に渡る夫婦の物語とあわせて、詳しく見ていきましょう。
子供がいない理由とは「はしゃぐ子供が苦手」という本音
小田和正さんには子供がいません。
理由は、小田さん自身がインタビューで語っています。その発言がなかなか正直で面白いんですよね。
小田さんはこう言っています。「町で大声ではしゃぐ子供が嫌いで、もし自分の子供が出来たらそんなことしない子供に育てる自信がないから、子供がいないんです」と。
パッと聞くと「子供が嫌いなの?」と思ってしまいそうですが、よく読むと少し違います。
小田さんは「子供が嫌い」なのではなく、「ちゃんと育てる自信がない」から子供を作らなかったのです。
他人に迷惑をかけないように育てること、マナーや人への配慮を教えること——そういう責任をきちんと果たせるかどうかが不安だった、ということなんですね。
実際、小田さんはライブで全国を回る中で子どもたちと優しく接している姿が何度も目撃されています。子供にマイクを向けてともに歌うシーンも印象的です。
つまり、小田和正さんは子供が「嫌い」なのではなく、「きちんと育てる自信がない」という真摯な理由から子供を持たないという選択をした人なのです。
そんな誠実な生き方が、小田さんの音楽にも宿っているような気がして、個人的にすごく好きなエピソードです。
妻・新井恵子との馴れ初めは小学生と中学生の出会いから
小田和正さんと妻・新井恵子さんの出会いは、なんと中学生と小学生のころにさかのぼります。
ここ、知らなかった方はびっくりしませんでしたか?
小田さんが中学生(12〜15歳)のころ、6歳年下の恵子さんはまだ小学生(6〜9歳)。2人とも神奈川県横浜市出身で、同じ地元の商店街を通じて顔を知っていたようです。
小田さんの実家「小田薬局」は金沢文庫のすずらん通り商店街で有名な存在でした。父・信次さんも商店街の顔役として地域に知られていたので、子供同士も自然に顔見知りになっていたのでしょう。
ただ、この時点では深い交流はなく、2人が本格的に再会を果たしたのはずいぶん後のことになります。
恵子さんのプロフィールと実家
恵子さんのプロフィールをまとめると、次のようになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1953年5月24日 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 |
| 出身高校 | 横浜共立学園 |
| 出身大学 | 女子美術短期大学 |
| 実家 | 父が繊維関係の会社を経営 |
| 兄弟 | 弟1人、妹1人の長女 |
横浜共立学園はキリスト教精神に基づくミッション系の名門女子校です。女子美術短期大学へ進学後は、音楽プロダクションでアルバイトをしていました。
2人が再会したのは、小田さんが25歳の下積み時代、恵子さんが短大生になったばかりの頃のことです。
恵子さんの友人がミュージシャンのファンクラブの会報を制作する担当になり、恵子さんも時折その事務所を手伝いに来ていました。その後、友人がオフコースのファンクラブ「オフコースファミリー」を担当することになり、そこで2人は運命の再会を果たします。
恵子さん自身もオフコースのファンになっており、設立メンバーとしてファンクラブの活動に参加。グループ交際を経て、小田さんと恵子さんは自然に交際へと発展していきました。
当時、恵子さんが19歳、小田さんは25歳でした。
交際10年を経て35歳で結婚、「I LOVE YOU」は恵子への愛の曲
交際が始まったのは1973年ごろ。それから約10年という長い交際期間を経て、1982年9月3日に入籍しました。
小田さんが35歳、恵子さんが29歳のときのことです。
入籍の事実は当時メンバーにも家族にも伏せていたほどプライベートにこだわる2人でしたが、それでも愛情の深さは楽曲に滲み出ていました。
それが1981年にリリースされた名曲「I LOVE YOU」です。
「あぁ、早く9月になれば I LOVE YOU」——この歌詞の「9月になれば」は、翌年9月に入籍することを心待ちにしていた小田さんの気持ちを綴ったものだと言われています。
なんか、じんわりしますよね。
入籍の1年前に、自分の想いを楽曲に込めていたなんて、本当に粋なプロポーズです。
この曲にはオフコース脱退劇への葛藤や、1980年12月8日に凶弾に倒れたジョン・レノンへの哀悼も含まれているとのこと。個人的な愛も、音楽への想いも、時代の悲しみも、すべてを「I LOVE YOU」という言葉に込めた——小田和正さんという人の深さが伝わってきます。
「I LOVE YOU」は単なるラブソングではなく、妻・恵子さんへの愛と時代への想いを重ねた特別な楽曲だったのです。
子供がいなくても夫婦円満、現在の2人のエピソード
子供がいなくても、小田和正さんと恵子さんの夫婦関係はとても良好です。
長年にわたって不倫報道も夫婦喧嘩の噂も一切なく、むしろラブラブな姿がたびたび目撃されています。
一緒にゴルフに出かけるのが趣味の2人。週刊誌に「一緒に歩く姿」が撮られることもあったほどで、夫婦であり親友のような関係を続けています。
コアなファンの間では「恵子さんも含めてオフコース」という感覚があるほどで、ファンが自宅へサインをもらいに行くと、小田さんと一緒に恵子さんも玄関先まで出てきてくれることがあったとか。
こうしたエピソードを聞くと、子供の有無を超えたところで、2人がたしかな絆を育ててきたことが伝わってきます。
2026年現在、結婚から44年。音楽活動を続ける小田さんの傍らで、恵子さんは変わらずそのそばにいます。
「生まれ来る子供たちのために」に込めた子供観
小田和正さんが「子供が苦手」と語る一方で、オフコース時代に「生まれ来る子供たちのために」という楽曲を残しています。
この曲の存在が、小田さんの子供に対する複雑な想いをよく表しているように感じます。
「はしゃぐ子供が苦手」と言いながらも、子供たちの未来を願う歌を作る。子供と関わる機会を大切にしながら、「育てる自信がない」と言う。
矛盾しているようで、実はとても誠実な姿勢だと思います。
「生まれ来る子供たちのために」は、社会や未来への眼差しが込められた楽曲です。自分の子供を持たないという選択をしながら、社会全体の子どもたちへの願いを音楽に込める——それが小田和正さんのスタンスなのかもしれません。
子供を持たないことと、子供の未来を願うことは矛盾しない。小田さんの音楽と生き方は、そのことを静かに教えてくれています。
小田和正の息子を調べる人向けの関連情報
小田和正さん本人に子供はいませんが、「小田和正の息子」で検索する方の中には「父親が息子に望んだこと」や「小田和正さん自身が息子(次男)として歩んだ人生」に興味を持つ方もいます。ここでは小田さんを取り巻く家族——父、母、兄——のエピソードをまとめます。
父・信次が息子に望んだ「医者になれ」という夢
小田和正さんは横浜・金沢文庫の薬局「小田薬局」の次男として生まれました。
父・小田信次さんはこの薬局を経営する人物で、地域の商店街「金沢文庫すずらん通り商店街」の基礎を築いたことから「藍綬褒章」を受章したほどの人物です。
父・信次の人物像
信次さんは1914年、東京・本郷生まれ。家系は津軽藩の江戸詰の武士にさかのぼると言われています。ところが昭和2(1927)年の金融恐慌で実家の銀行が倒産し、わずか13歳のときに横浜・伊勢佐木町の薬種問屋「桜井薬品」へ丁稚奉公に出ることになりました。
丁稚奉公をしながら資格取得のため夜中にトイレで勉強し、眠くなると膝に針を刺して頑張ったというエピソードが残っています。
その苦労の末、昭和16(1941)年12月——なんと太平洋戦争勃発の前日——に薬舗開設の許可を得て金沢文庫に薬局を開きました。
そんな苦労人の信次さんが次男・和正に望んだのは、「医者になること」でした。長男に薬局を継がせ、次男には医師という夢を描いていたのです。
しかし小田さんは東北大学工学部建築学科へ進学し、早稲田大学大学院では「建築との訣別」という修士論文を書いて卒業するや音楽の道へ。
信次さんは「何を考えているのか」と嘆いていたと伝えられています。
父子の確執と感動の臨終エピソード
父・信次さんと小田和正さんの間には、長い年月をかけた確執がありました。
2005年の取材では、小田さんは父親に対して強い言葉を口にしています。「オヤジは学歴がないから、学歴にうるさかった」と語るほど、父の価値観への反発があったようです。
でも——その後に続くエピソードが、また胸に染みるんですよね。
信次さんは晩年、舌がんを患い、施設に入って療養生活を送っていました。
そして2008年5月26日、94歳で老衰により亡くなりました。
その日、小田さんはちょうど東京にいたといいます。兄・兵馬さんが電話で知らせると、車を飛ばして病院に駆けつけました。
兄・兵馬さんが語るエピソードがあります。
「親父は病床で『和正はどこだ?』と聞くので『もうすぐ着くよ』と伝えると、父は安心したのか『そうか、それじゃあちょっと寝るわ』と言って眠りました。それが親父の最後の言葉になりました…」
和正さんが病室に到着したとき、信次さんの意識はほとんどなかったといいます。しかし、息子が来たことがわかったのか——「一瞬、微笑んで頷いているようでした」と兄は証言しています。
「私も和正も、親父が生きている気がして『寝てるんだろ?』と話していました。息を引き取ったのは深夜2時になる前です」
……読んでいて、思わず涙が出そうになるエピソードです。
医者の夢を押し付けた父と、音楽の道を選んだ息子。長い確執があったとしても、最後は父が息子の到着を待っていた——そんな父子の物語が、ここにあります。
父と子の間にあったどんな確執も、最後は親子の愛に帰っていく。信次さんが穏やかに天に召されたのは、愛する息子の声を聞けたからかもしれません。
兄・兵馬が継いだ小田薬局と家族の絆
小田和正さんには1歳年上の兄・小田兵馬さんがいます。
兵馬さんは薬剤師となって父・信次さんの後を継ぎ、「小田薬局」を経営しました。日本チェーンドラッグストア協会や横浜市金沢区薬剤師会などの要職も歴任した、地域の名士といえる人物です。
小田薬局はオフコース・小田和正ファンにとっての「聖地」として知られており、往来するファンの姿が見られることもあったとか。
ただ、薬局の経営は時代の波に揺れました。最盛期には十数店舗を展開していたものの、その後経営が悪化。2005年には横浜地裁から「仮差し押さえ命令」が出されるという苦難もありました。
一時は「休業」の貼り紙が出た時期もありましたが、その後は開業当時の姿に復元されて営業を再開しています。
兄・兵馬さんは父の臨終の場にも立ち会い、小田さんを呼んだ当事者でもあります。弟・和正さんとの兄弟の絆は、父の死を経てより深まったのかもしれません。
母・きのゑが息子に教えた音楽との出会い
小田和正さんにとって、母親は特別な存在です。
2005年の取材で「人生で大きな三つの出来事は何ですか?」と聞かれた小田さんは、その一つに「母親と出会ったこと」と答えています。「あ、でも母親から生まれたんだから、アプリオリなことだから変だよな」と言い添えながらも——それほど母親への想いが深いということでしょう。
母・奥本きのゑさんは1920年、和歌山県東牟婁郡北山村の生まれ。北山村は奈良・三重の両県に接しながら和歌山県の飛び地という珍しい土地で、山深い農村地帯です。
きのゑさんは歌がとても上手く、幼い小田さんに「春の小川」などを歌い聞かせてくれたといいます。これが小田さんと音楽との最初の出会いだったとされています。
商売に忙しく、子供とゆっくり過ごす時間はなかなか取れなかったというきのゑさんですが、「悪いことだけはしてはいけない」という修身の精神を重んじ、小田さんを関東学院や聖光学院といったミッション系の名門校に通わせました。
兄・兵馬さんはこんな言葉を残しています。「俺たち兄弟さ、銀河のどこかから誰のところに生まれようかと言って、あの人を選んで生まれたんだよ」
……この言葉だけで、きのゑさんがいかに深く愛された人物だったかが伝わりますよね。
小田さんは今も大切に母の写真をガラケーに収めていたというエピソードも残っています。取材者に「見たいですか?」と自ら見せてくれたその写真は、小田さんにとって「お守り」のような存在だったとのこと。
父を「通俗の象徴」と感じ、複雑な感情を抱いていた小田さんが、母を「聖なる存在」として慕い続けたのは、きのゑさんの生き方そのものが息子の心に深く刻まれていたからかもしれません。
小田和正の音楽に宿る優しさや誠実さは、母・きのゑさんから受け取った愛情がその原点にあると言えるでしょう。
小田和正の息子のまとめ
- 小田和正は1947年9月20日、神奈川県横浜市金沢区の薬局「小田薬局」の次男として生まれた
- 小田和正に息子(子供)はいない
- 子供がいない理由は「町ではしゃぐ子供が苦手で、ちゃんと育てる自信がなかった」から
- 子供が嫌いなわけではなく、ライブで子供にマイクを向けるなど子供と優しく接する姿が目撃されている
- 「生まれ来る子供たちのために」という楽曲を作るなど、社会の子供たちへの想いは深い
- 妻は一般人女性・新井恵子さん(1953年5月24日生まれ、6歳年下)
- 2人の出会いは小田が中学生、恵子が小学生のころ、同じ地元の横浜
- 再会は小田25歳・恵子19歳のとき、オフコースファンクラブを通じて
- 交際期間は約10年、1982年9月3日に35歳で入籍
- 「I LOVE YOU」(1981年)は妻・恵子さんに捧げた曲で、「9月になれば」は入籍への想いを込めたフレーズ
- 現在も不倫報道なし、一緒にゴルフに行くほど夫婦仲は良好
- 父・小田信次は小田薬局の先代経営者で藍綬褒章受章、2008年5月26日に94歳で老衰死
- 父は次男(小田)に「医者になれ」と望んでいたが、音楽の道を選んだ息子との確執があった
- 臨終の場で「小田和正が来たのがわかったか一瞬、微笑んで頷いていた」という感動のエピソードが残る
- 兄・小田兵馬は薬剤師として小田薬局を継承、日本チェーンドラッグストア協会などの要職を歴任
- 母・きのゑは和歌山県北山村出身、歌が上手く幼い小田に音楽を聞かせてくれた存在


