在日韓国人3世の精神科医・安克昌さんの実家は、大阪府東大阪市瓢箪山町にあったと弟・安成洋さんが伝えています。
阪神・淡路大震災後の心のケアに命を懸け、39歳という若さで逝った安さんですが、じつはNHKドラマの原作者として近年あらためて注目が集まっています。
在日1世の父との葛藤、通名と本名の間で揺れたアイデンティティ──知れば知るほど、その人生の重さと深さに引き込まれますよ。
・安克昌さんの実家の場所と在日韓国人3世として育った生い立ち
・父との葛藤や兄弟関係など家族の詳細
・死因や妻・子供との最後の日々、NHKドラマでの描かれ方
安克昌の実家は東大阪市瓢箪山!在日3世の生い立ちと家族
在日韓国人3世として大阪で生まれ育った安克昌さん。実家があった東大阪市瓢箪山から神戸大学へ進み、日本の精神医学を変えた人物の生い立ちを詳しく見ていきましょう。
実家の場所は東大阪市瓢箪山町
安克昌さんの実家は、大阪府東大阪市の瓢箪山町にあったことが、弟・安成洋さんのnote記事から確認できます。
1965年、安克昌さんが5歳の頃に、長兄・安俊弘さんと一緒に東大阪市瓢箪山町の自宅前で撮影した写真があるそうです。
瓢箪山は、近鉄奈良線の瓢箪山駅を中心に発展した東大阪市の町で、昔ながらの商店街が残る庶民的な町として知られています。
在日コリアンの方たちが多く暮らした大阪の下町の一角で、安克昌さんはそこで生まれ育ったということになります。
ただし、Wikipediaをはじめとする複数の記録では「大阪府大阪市生まれ」とされており、出生地は大阪市、育った実家は東大阪市瓢箪山という区別がある可能性があります。
いずれにせよ、安克昌さんの幼少期の記憶が刻まれた場所が東大阪市瓢箪山にあることは確かです。
近所の方の評判や証言といった詳細な情報は公表されていませんが、大阪の在日コリアンコミュニティの中で育った環境が、後の安さんの人生観や精神科医としての在り方に大きく影響を与えたのは間違いないでしょう。
両親の職業と在日1世の父
安克昌さんの家族のルーツは韓国に遡ります。
安克昌さんは在日韓国人3世で、父親は在日韓国人1世にあたります。
「在日1世」とは、韓国・朝鮮から日本に渡ってきた第一世代のことを指します。戦前・戦後の激動の時代を生き延び、異国の地でゼロから生活を築いた世代です。そんな父親の苦労は、想像するだけでもなかなか壮絶なものがあったはずです。
父親の具体的な職業や名前については公表されていません。ただ、NHKドラマ「心の傷を癒すということ」では、安克昌さんをモデルにした主人公の父親が、大阪に住む事業家的な人物として描かれていました。
父の職業・生き様
ドラマでは、父親が息子の「精神科医になりたい」という選択に反対するシーンが印象的でした。
在日1世として厳しい時代を生き抜いてきた父にとって、「精神科医」という職業は理解しにくかったのかもしれません。それよりも、もっと世間的に安定した、目に見えてわかりやすい成功の道を息子に歩んでほしかったのでしょう。
そうした世代間の価値観の違い、そして親子間の葛藤は、在日コリアンの家族には特に深刻な問題だったとも言われています。
父親の詳細な年収や資産については記録が残っていませんが、在日1世として戦後大阪でビジネスを営んでいたとすれば、それなりの経済的基盤を築いていた可能性があります。
在日3世として育った環境とアイデンティティ
安克昌さんが在日韓国人3世として生きることは、並大抵ではない複雑さを伴うものでした。
「在日1世」は祖国という確固たるアイデンティティの拠り所を持っていました。でも「3世」になると、日本で生まれて日本で育ち、日本語しか話せないのに、国籍は韓国。「自分は一体何者なのか」という問いと向き合い続けなければならないんですね。
安克昌さん自身がそのアイデンティティの問いとどれほど向き合っていたかは、NHKドラマのテーマを見れば伝わってきます。ドラマの主人公「安和隆」は、幼い頃から自分のルーツが韓国にあることを知りながら、「日本人の名前」と「韓国の本名」の間で揺れ続けます。これは、安克昌さん自身が実際に抱えていたテーマでもありました。
通名(日本名)と本名への葛藤
在日コリアンの多くは、日本社会で生活しやすくするために「通名(日本名)」を使ってきた歴史があります。
安克昌さんも通名を使用していたとみられますが、自分の本名「安克昌」と通名の間で複雑な感情を持っていたことが、関連する資料やドラマ制作における証言から読み取れます。
「自分は何者なのか」というアイデンティティへの問いは、安克昌さんが精神科医として患者の「心の傷」に向き合うモチベーションの一部でもあった、と弟・安成洋さんは語っています。
高校時代の在日文学への傾倒
高校時代、安克昌さんは在日文学の世界に深くのめり込んでいきました。
特に、在日朝鮮人文学を代表する作家・金鶴泳(きんかくえい)の作品に強く共鳴したとされています。金鶴泳は在日2世として日本語で小説を書き続けた人物で、その作品には在日コリアンのアイデンティティの苦しさと、それでも日本で生きることへの葛藤が色濃く描かれています。
10代の安克昌さんがそこに引き付けられたのは、自然なことだったのかもしれません。読書家だった安さんが、自分自身の存在への問いを文学の中に探し求めた姿が目に浮かぶようです。
出身地・大阪と神戸大学への進学
大阪で育った安克昌さんが医師を目指し、進学先として選んだのは神戸大学医学部でした。
1985年に神戸大学医学部を卒業。当時、神戸大学医学部の精神科には後に精神医学界の大家となる中井久夫教授がおり、安克昌さんはその薫陶を受けました。
「先生の影響で精神科医を志した」という記録が残っており、中井久夫との出会いが安克昌さんの人生を決定づけたと言っても過言ではありません。
卒業後は兵庫県内で精神科医としての経歴を積み、最終的に神戸市立西市民病院精神神経科医長の職に就きます。大阪生まれの安さんが神戸を活動の拠点とした背景には、神戸大学時代の縁や恩師との関係があったのでしょう。
家族構成と兄弟たち
安克昌さんの家族構成は、兄・安俊弘さん、弟・安成洋さんという3兄弟が中心です。
長兄の安俊弘さんは東京大学で核工学を学んだ後、アメリカのUC Berkeley(カリフォルニア大学バークレー校)で教鞭を執った核工学者。2011年の福島原発事故後は日本に頻繁に帰国し、原発問題について提言を行っていました。
末弟の安成洋さんは、映画「心の傷を癒すということ 劇場版」の製作委員会に関わり、noteで兄・安克昌さんの思い出や原作・映画への思いを綴っています。
東大教授と精神科医のパイオニアという、日本で活躍する在日韓国人3世の兄弟として、この3兄弟の足跡はとても異彩を放っています。
なお、長兄・安俊弘さんは2016年6月に安克昌さんと同じ病で亡くなっています。弟・安成洋さんが「二人の兄を同じ病で失った」という言葉からは、その悲しみの深さが伝わってきます……。
実家・父への葛藤とドラマでの描かれ方
安克昌さんとその家族の物語は、2020年にNHKドラマ「心の傷を癒すということ」として映像化されました。
ドラマでは在日1世の父と在日3世の息子(安克昌がモデルの「安和隆」)の葛藤が重要なテーマのひとつとして描かれています。
父からすれば、長年の苦労の末に子どもには「安定した道」を歩んでほしい。しかし息子にとっては、自分のアイデンティティと向き合いながら「心の傷を癒す精神科医」という道こそが、在日3世として生きる自分の使命だったのかもしれません。
実家・家族との葛藤と和解の物語は、在日コリアンの歴史そのものを映し出しているとも言えます。
ドラマの主演を務めた柄本佑さんは、この役に向き合うにあたり「在日の問題をどう表現するか、真剣に考えた」と語っています。在日問題や通名問題をNHKがゴールデンタイムのドラマで正面から取り上げたこと自体が、当時大きな話題となりました。
安克昌の実家を調べる人向けの関連情報
実家や家族構成以外にも、安克昌さんについて気になる情報を集めました。兄弟・妻・研究業績・ドラマなど、関連する情報をまとめてご紹介します。
兄・安俊弘はUC Berkeley教授の核工学者
安克昌さんの長兄・安俊弘(あん しゅんこう)さんは、日本でも世界でも活躍した核工学者でした。
東京大学で核工学を学び、その後アメリカのカリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)へ渡り、教授として核廃棄物処理などの研究に従事しました。
2011年の東日本大震災・福島第一原発事故が起きると、安俊弘さんは日本と海外を往復しながら、原発問題について積極的に提言を行います。弟・安成洋さんが「阪神淡路大震災に向き合った安克昌と、東日本大震災・福島に向き合った安俊弘という二人の兄」と語っているように、安家の兄弟はそれぞれの形で「大災害」と向き合い続けた一家でした。
安俊弘さんは2016年6月、安克昌さんと同じ病(肝細胞癌とみられます)で亡くなっています。2兄弟を同じ病で失った弟・安成洋さんの思いは、想像するだけで胸が痛くなります。
妻と子供3人との最後の日々
安克昌さんには妻と子供3人がいました。
末期の肝細胞癌と診断されたとき、安さんの妻は第3子を妊娠中でした。
告知を受けた安さんは、「入院して治療に専念する」という選択を選びませんでした。残された時間を病院のベッドの上で過ごすより、妻と2人の幼い子供と自宅で一緒に過ごすことを選んだのです。
代替療法を試みながら、家族との時間を大切にした最後の日々。妻を産院へ送り出した後、第3子が誕生してからわずか2日後の2000年12月2日、安克昌さんは39歳でこの世を去りました。
第3子の誕生を見届けられたのか、それとも報告だけを受けて旅立ったのか……。詳細は明かされていませんが、その短い命の使い方と、最後まで家族の傍にいようとした姿勢に、多くの読者・視聴者が涙しています。
神戸大学医学部での研究と師・中井久夫
安克昌さんが精神科医の道を選ぶ上で決定的な影響を与えた人物が、神戸大学医学部の恩師・中井久夫教授です。
中井久夫さんは日本を代表する精神科医の一人で、統合失調症の治療法や心理療法に関する著作でも知られる人物。その人間的な深みと臨床に対する真摯な姿勢が、若き安克昌さんの心に深く刻み込まれたのでしょう。
卒業後、安さんは神戸大学医学部精神神経科の助手として在籍し、1997年には博士(医学)を取得しています。
専門はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と解離性同一性障害(多重人格)。1995年の阪神・淡路大震災で自らも被災しながら避難所での心のケア活動を先駆けて実践した功績は、「心のケア」という概念を日本社会に広めた歴史的な仕事でした。
著書と産経新聞連載・サントリー学芸賞
震災後、安さんは産経新聞夕刊に「被災地のカルテ」という連載コラムを執筆します。震災から約2週間後から始まり、約1年にわたって続いたこの連載は、被災者の精神的な傷と向き合う現場の声を丁寧に記録したものでした。
この連載に加筆・改稿を加えてまとめたのが著書『心の傷を癒すということ』(作品社、1996年)です。この著書は1996年のサントリー学芸賞を受賞し、「PTSD」「心のケア」という概念を一般に広める大きな役割を果たしました。
死因は肝細胞癌、39歳で急逝
安克昌さんが亡くなったのは2000年12月2日、39歳でした。
死因は肝細胞癌(肝臓がん)です。
病気が発覚したのは末期状態になってからのことでした。精神科医として多忙な日々を送っていた安さんが、自分の身体の異変に気づくのが遅れてしまったのかもしれません。
告知後、安さんは入院をできる限り避け、自宅で妻と幼い子供たちとの時間を優先します。医師としての判断より、一人の父・夫としての判断を選んだということかもしれません。
長兄・安俊弘さんも2016年に同じ病で亡くなっており、兄弟間に遺伝的な要因があった可能性も考えられます(あくまで筆者推測であり、医学的な確定情報ではありません)。
NHKドラマ「心の傷を癒すということ」でモデルに
安克昌さんの生涯は、阪神・淡路大震災から25年となる2020年にNHKドラマとして映像化されました。
ドラマタイトルは「心の傷を癒すということ」。安さんの著書と同じタイトルです。
主演は柄本佑さん。安克昌さんをモデルにした主人公「安和隆(あん かずたか)」を演じました。妻役は尾野真千子さん。共演に濱田岳さんや森山直太朗さんが名を連ねています。
NHK大阪放送局制作のこのドラマは、在日韓国人の通名問題・アイデンティティ・精神医療・震災後のケアという複数の重いテーマをぶつけ合わせた作品で、放送後に大きな反響を呼びました。
2021年には劇場版も公開されています。安克昌さんの実家や生い立ちに興味を持ったなら、まずこのドラマを観るのが一番早いかもしれません。
安克昌の実家のまとめ
- 安克昌は在日韓国人3世の精神科医、1960年大阪府大阪市生まれ
- 実家は東大阪市瓢箪山町にあり、1965年(5歳)に兄弟で撮影した写真がある
- 父親は在日韓国人1世で、大阪で生活基盤を築いた
- 安克昌は父の「精神科医になることへの反対」を乗り越えて医師の道へ進んだ
- 在日3世としてのアイデンティティへの問いが、医師としての在り方に影響を与えた
- 幼少期から読書好きで、高校時代は金鶴泳など在日文学に傾倒した
- 神戸大学医学部卒業(1985年)、恩師・中井久夫の影響で精神科医を志した
- 1995年の阪神・淡路大震災で被災しながらも避難所でのカウンセリングを先駆けた
- 産経新聞連載「被災地のカルテ」をまとめた著書『心の傷を癒すということ』がサントリー学芸賞受賞
- 長兄・安俊弘はUC Berkeley教授の核工学者、弟・安成洋は映画製作委員会に関わった
- 3兄弟いずれも各分野で活躍した在日韓国人3世
- 妻と子供3人を残して2000年12月2日、肝細胞癌のため39歳で死去
- 第3子誕生2日後に息を引き取るという、壮絶な最期だった
- 長兄・安俊弘も2016年に同じ病で死去、弟・安成洋が2人の兄の思いを伝え続けている
- NHKドラマ「心の傷を癒すということ」(2020年)でその生涯が映像化された


