草刈正雄の父は米軍兵ロバート・トーラー!「戦死」の嘘と70年後の真実

草刈正雄の父は米軍兵ロバート・トーラー!「戦死」の嘘と70年後の真実

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草刈正雄さんの父親がどんな人物だったのか気になっていませんか?

2023年のNHK「ファミリーヒストリー」で、「朝鮮戦争で戦死した」と聞かされていた父が実は生きていたという衝撃の真実が明らかになりました。

この記事では、父ロバート・H・トーラーさんのプロフィールから渡米エピソードまで、さらに草刈さんの家族構成や生い立ちまで詳しくまとめています。

この記事を読むとわかること
・草刈正雄の父親ロバート・H・トーラーのプロフィールと軍歴
・「朝鮮戦争で戦死」の嘘が70年後にファミリーヒストリーで判明した経緯
・草刈正雄の生い立ち・母親・家族構成・息子の転落事故の詳細

草刈正雄の父親は米軍兵ロバート・トーラー

草刈正雄さんの父親がどんな人物だったのか、ファミリーヒストリーで明らかになった驚きの事実を中心に、詳しくまとめていきます。

ロバート・H・トーラーのプロフィールと軍歴

草刈正雄さんの父親の名前は、ロバート・H・トーラー(Robert Hunter Tolar)さんといいます。

1930年にアメリカ合衆国ノースカロライナ州で生まれ、7人きょうだいの三男として育ちました。

18歳でアメリカ空軍に入隊し、朝鮮戦争(1950〜1953年)の時期に、米軍の整備補給拠点だった福岡県築上郡の「築城基地」に配属されています。

所属は第1航空郵便隊第24分遣隊で、階級は二等軍曹でした。

基地では、兵士たちに本国から届くエアメールの仕分けや配達をする部署に在籍していたそうです。

身長は193cmとかなりの長身で、姉のジャニタさんいわく「弟はとてもチャーミングでハンサムでよくモテました」とのこと。

項目内容
名前ロバート・H・トーラー(Robert Hunter Tolar)
生年1930年
没年2013年(享年83歳)
出身アメリカ合衆国ノースカロライナ州
兄弟7人きょうだいの三男
所属米空軍・第1航空郵便隊第24分遣隊
階級二等軍曹
身長193cm

退役後は婦人服店を経営

ロバートさんはアメリカに帰国後、西ドイツに従軍しています。

その後ドイツ人女性のヘルガさんと結婚し、退役後は婦人服店を経営していたことがわかっています。

2013年に83歳で亡くなるまで、軍人としてのキャリアの後にビジネスマンとしての人生を歩んでいたんですね。

母スエ子との出会いと別れの経緯

草刈正雄さんの母親は草刈スエ子さんといいます。

1932年に福岡県京都郡行橋町(現在の行橋市)で生まれ、築城基地の近くで路線バスの車掌として働いていました。

ロバートさんとスエ子さんは基地付近で出会い、恋に落ちたそうです。

やがて2人は同棲を始め、草刈正雄さんを身ごもりました。

当時、2人はアメリカに渡って家族3人で暮らすことを考えていたといいます。

ここまでは幸せなストーリーですよね。

しかし、幸せは長くは続きませんでした。

ロバートさんは米軍の幹部候補生学校に行くことになり、単身でアメリカに帰国してしまいます。

スエ子さんは大きなお腹を抱えて日本にひとり残されました。

以来、2人が再び顔を合わせることはなかったのです。

スエ子さんはロバートさんのアメリカの実家に手紙を出しましたが、ロバートさんはすでに西ドイツに渡っていました。

代わりにロバートさんの姉・マーガレットさんからわずかなお金が送られてきたそうです。

また、スエ子さんは幼い草刈正雄さんの写真をロバートさんの実家に送っていて、写真を見た一家は一目でロバートさんの子供だと確信したといいます。

「朝鮮戦争で戦死」と聞かされた真相

草刈正雄さんは1952年9月5日に福岡県で生まれましたが、戸籍には母・スエ子さんの名前しかなく、父の名前は記載されていません。

いわゆる「婚外子」として生まれたんですね。

母のスエ子さんは、草刈さんに「お父さんはあなたが生まれる前に朝鮮戦争で戦死した」と言い聞かせていました。

さらに、父親が写った写真もすべて焼いてしまったため、草刈さんは父の顔すら見たことがなかったのです。

ここ、気になりますよね。

なぜスエ子さんは嘘をついたのでしょうか。

実はスエ子さんはロバートさんが生きていることを知っていた可能性が高いんです。

ロバートさんの実家と手紙のやり取りがあったことからも、それは明らかです。

一方、ロバートさん側にも複雑な事情がありました。

ロバートさんは敵国だった日本人との間に子供ができたことを家族にも言い出せず、「神経衰弱になっていた」と姉のジャニタさんは証言しています。

当時のアメリカ社会では、戦争中の敵国の女性との間に子供を作ることは大きなタブーだったわけです。

スエ子さんがロバートさんの戦死を語ったのは、おそらく草刈さんを傷つけたくなかったからでしょう。

「捨てられた」と思わせるよりも、「戦争で亡くなった」と伝えた方が、子供の心には優しかったのかもしれません。

ただ、草刈さんは中学生の頃、伯父から突然「お前の親父は生きてるぞ」と教えられています。

1965年から1966年頃のことです。

草刈さんは驚きつつも「エッ? ああ、そう」と答えるだけで、そこで話は終わってしまったそうです。

そしてこのことを母のスエ子さんには一切話しませんでした。

「母には言わないほうがいい、言ってはいけない。そういう気持ちがあったんでしょうかね」と草刈さんは後に語っています。

ファミリーヒストリーで父の生存が判明

2023年8月14日に放送されたNHK総合「ファミリーヒストリー」で、草刈正雄さんの父に関する驚きの事実が明らかになりました。

この番組は、著名人の父母や先祖がどう生きてきたかを解き明かしていく人気ドキュメンタリーです。

番組制作班は、草刈さんの記憶にあった「ロバート・トーラ」という名前を手がかりに捜索を開始しました。

DNA鑑定で血縁確定の経緯

調査の結果、父親が「ロバート・H・トーラー」という人物であることが特定されます。

決め手となったのはDNA鑑定で、ロバートさんの甥(草刈さんのいとこにあたる人物)が協力してくれたことで血縁関係が確定しました。

そして番組で明らかになった最も衝撃的な事実は、朝鮮戦争で死んだと聞かされていたロバートさんが、実は2013年まで生きていたということです。

草刈さんが70年間信じてきた「父は戦死した」という話は、真実ではなかったんですね。

ロバートさんは朝鮮戦争のさなかの1950年に韓国・金浦空軍基地へ配属されましたが、1951年1月に築城基地へ無事帰還していました。

その後アメリカに帰国し、西ドイツで従軍した後、ドイツ人女性と結婚して2013年に83歳で亡くなっていたのです。

VTRを見た草刈さんは涙を流しながら「すみません……何も言葉がなくて……」と絞り出すようにコメントしました。

番組放送後にはSNS上に「感動した」「映画を見ているようだった」などの書き込みがあふれ、大きな反響を呼びました。

ギャラクシー賞月間賞を受賞

この放送回は多くの視聴者の胸を打ち、2023年8月度の「ギャラクシー賞」テレビ部門の月間賞を受賞しています。

ファミリーヒストリーの中でも特に評価が高い回として知られるようになりました。

父の写真を初めて見た涙の瞬間

番組では、ロバートさんの姉で草刈さんにとっての伯母にあたるジャニタ・カラハムさん(当時97歳)が取材に応じています。

ジャニタさんは「(今生きている中で)私だけがこのこと(秘密)を知っていて、誰にも話せずにいた」と告白しました。

そして若き日のロバートさんの写真が初めて公開されたのです。

生まれてから70年以上、一度も父の顔を見たことがなかった草刈さんにとって、これは人生で初めて父の姿を目にする瞬間でした。

写真に映るロバートさんは、鼻筋や目元が草刈さんにそっくりだったといいます。

草刈さんは後に「僕が思い描いていたような父でよかったです。70歳過ぎになりますけど、新しい自分に生まれ変わったようです」と語っています。

視聴者からも「若い頃の草刈正雄さんとお父さんが似ている」「イケメン親子」といった声が多数上がりました。

渡米して父方の親族と初対面

2023年12月29日には、続編となる「ファミリーヒストリー 草刈正雄特別編〜アメリカへ 決意の旅路〜」が放送されました。

この特別編では、草刈さんが実際にアメリカに渡り、父方の血縁者たちと対面する様子が描かれています。

草刈さんがファミリーヒストリーへの出演を決めた背景には、娘たちの後押しがありました。

「パパ、やれば」と娘たちに言われたことがきっかけだったそうです。

97歳の伯母ジャニタの嗚咽

特に印象的だったのは、97歳のジャニタさんとの対面シーンです。

ジャニタさんは草刈さんの顔を見て嗚咽し、「私は若く、お金もなかった。親子の無事を祈るしかなかった」と長年抱えてきた後悔を涙ながらに打ち明けました。

ロバートさんが日本に子供を残してきたことを知りながら、何もできなかった悔しさを70年以上も胸に秘めていたんですね。

草刈さんは父の墓前にも足を運び、複雑な感情を抱きながらも、長年のモヤモヤが晴れていく体験をされたようです。

「なんという日でしょう。本当に今日は幸せです。子どもの頃からモヤモヤしていたものが全部明らかになり、こんな幸せはないです」と語る草刈さんの表情が印象的でした。

草刈正雄の父を調べる人向けの関連情報

草刈正雄さんの父親のことを調べている方は、草刈さん自身の生い立ちや家族のことも気になるのではないでしょうか。ここからは関連情報をまとめてお届けします。

ハーフとしての生い立ちと偏見の中の幼少期

草刈正雄さんは、アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれたハーフです。

1952年9月5日に福岡県行橋市で生まれ、その後小倉市(現在の北九州市小倉北区)昭和町で育ちました。

当時はまだ戦後の混乱が残る時代で、ハーフの子供に対する偏見はとても強かったそうです。

母のスエ子さんは、偏見から息子を守るために身だしなみには人一倍気を使わせていました。

それでも差別は避けられず、スエ子さんは何度か赤ん坊の草刈さんを抱いて電車に飛び込もうとしたこともあったと、草刈さん自身が番組で明かしています。

心中を考えるほど追い詰められながらも、スエ子さんは草刈さんを守り抜き、真っ直ぐな人間に育てました。

子供時代は「バービー」という愛称で呼ばれ、4畳半の狭い部屋でスエ子さんと2人暮らし。

経済的にはとても厳しく、草刈さんは小学生の頃から新聞配達と牛乳配達を掛け持ちして家計を助けていたそうです。

少年時代は小倉祇園太鼓にも参加し、母が好きだった東映の時代映画を頻繁に見に行っていたとのこと。

項目内容
生年月日1952年9月5日
出身地福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)
身長185cm
血液型O型
小学校北九州市立中島小学校
中学校北九州市立白銀中学校
高校福岡県立小倉西高等学校定時制→東京都立青山高等学校定時制
大学放送大学卒業

17歳で東京に上京してモデルの道を歩み始め、1970年に資生堂の専属モデルとなりました。

1974年には俳優としてデビューし、「復活の日」「汚れた英雄」などの映画で主演を務めるイケメン俳優として人気を博しています。

近年もNHK大河ドラマ「真田丸」で真田昌幸役を好演し、再ブレイクを果たしました。

母親スエ子の人物像と教え

草刈正雄さんの母・スエ子さんは、ひと言でいうと「すごく厳しい人」だったそうです。

草刈さんは「典型的な九州の女。元気で芯が強く、怒ると本当に怖かった」と語っています。

悪さをすると「あんた何しよんね!」とバットを持って追いかけてきたというエピソードも。

よそで「親か警察か先生、どれを呼ぶか」と聞かれて「おふくろだけはやめてください」と答えたほどだそうです。

これはかなり怖い母親だったんですね。

しかし、そんなスパルタ教育の裏には深い愛情がありました。

父親がいない分、母親が父親役も兼ねて厳しく育てていたのでしょう。

スエ子さんの口癖は「ありがとう、ごめんなさいと素直に言える人間になりなさい」でした。

この教えは草刈さんの人生の指針になっているそうです。

そして、草刈さんがやりたいことに対しては自由にやらせてくれる人でもありました。

17歳でモデルになるために上京するとき、たった1人の子供と離れるのは寂しかったはずですが、スエ子さんは反対しなかったといいます。

草刈さんは上京の翌年には母を東京に呼び寄せ、36歳で結婚するまで一緒に暮らしました。

結婚後も母の体調が悪化してからは再び同居し、約15年間をともに過ごしています。

スエ子さんは2010年に享年77で亡くなりました。

57年間にわたって、実父の生存という秘密を守り通した気丈な母だったのです。

草刈さんは父のことについて「よく親父のことを褒めていました。変に悪口なんて言われていたら、グレていたかもしれない」と振り返っています。

父を悪く言わなかったスエ子さんの姿勢が、草刈さんを真っ直ぐに育てたのかもしれませんね。

家族構成と妻・大塚悦子や子供たち

草刈正雄さんは1988年12月に、約9年の交際を経てモデルの大塚悦子さんと結婚しています。

2人の間には3人の子供が生まれました。

続柄名前生年月日職業
大塚悦子非公開元モデル
長女紅蘭(くらん)1989年タレント・ダンサー
長男草刈雄士(YUSHI)1991年3月20日ミュージシャン(故人)
次女草刈麻有(まゆう)1993年4月20日女優・モデル

長女の紅蘭さんはタレント・ダンサーとして活躍しています。

次女の草刈麻有さんは女優・モデルとして活動中です。

残念ながら長男の草刈雄士さんは2015年に亡くなっており、次の見出しで詳しく触れます。

草刈雄士の転落事故と父としての後悔

2015年2月14日、草刈正雄さんの長男・草刈雄士(YUSHI)さんが、東京都渋谷区にある草刈さんの個人事務所ビルの7階から転落し、23歳の若さで亡くなりました。

草刈雄士さんはヒップホップグループ「KANDYTOWN」のメンバーとして音楽活動をしていた才能あるミュージシャンでした。

また、ファンクバンド「ズットズレテルズ」のメンバーとしても活動していたそうです。

事務所では音楽制作や絵画に打ち込んでいたとのこと。

東京都警察は事件性はないと判断し、事故死として処理されています。

草刈正雄さんは息子の死に大きなショックを受け、事故現場で涙の土下座をしたとも報じられました。

後に草刈さんは「いい親父ではなかった」と当時を振り返り、長男の事故をきっかけに家族のことを改めて考えるようになったと語っています。

「これからっていう時に」と、共演を望んでいた息子の夢を叶えられなかったことへの無念もにじませていました。

この出来事は草刈さんにとって大きな転機となり、家族との関係を見つめ直すきっかけになったそうです。

異母兄弟の有無は未確認

草刈正雄さんの父・ロバートさんは、アメリカに帰国した後にドイツ人女性のヘルガさんと結婚しています。

そのため、ロバートさんとヘルガさんの間に子供がいるのでは?という憶測が一部で飛び交っています。

もし子供がいた場合、草刈さんにとっては腹違いの異母兄弟ということになりますよね。

しかし、2023年8月14日の初回放送でも、12月29日の特別編でも、ロバートさんとヘルガさんの間の子供については一切触れられませんでした。

つまり、現時点では異母兄弟の有無について確実な情報は公開されていないということです。

草刈正雄さんのご両親(ロバートさんとスエ子さん)の間には、草刈さん以外の兄弟・姉妹はいません。

母子2人の家庭で育ったことは、先にお伝えした通りです。

草刈正雄の父のまとめ

  • 草刈正雄の父親はアメリカ軍人のロバート・H・トーラー(1930〜2013年)
  • ノースカロライナ州出身で7人きょうだいの三男、身長193cmの長身
  • 米空軍の二等軍曹として福岡県の築城基地に配属されていた
  • 基地近くで路線バスの車掌をしていた母・スエ子と出会い交際
  • 草刈正雄が生まれる前に幹部候補生学校のため単身帰国
  • 母は草刈に「父は朝鮮戦争で戦死した」と伝えて育てた
  • 実際にはロバートは朝鮮戦争から生還し2013年まで生きていた
  • 母はロバートの実家と手紙のやり取りがあり生存を知っていたとされる
  • 草刈は中学生の頃に伯父から父の生存を聞かされていたが母には黙っていた
  • 2023年8月のNHK「ファミリーヒストリー」で父に関する真実が初めて明らかに
  • DNA鑑定でロバートの甥の協力により血縁関係が確定した
  • 番組で初めて父の写真を見た草刈は涙を流した
  • 2023年12月の特別編で渡米し父方の親族と初対面を果たした
  • 97歳の伯母ジャニタは70年以上の後悔を涙ながらに告白した
  • 同番組はギャラクシー賞テレビ部門の月間賞を受賞した

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