美智子上皇后の眉毛が繋がって見える理由は眼瞼下垂!一本書きメイクではなかった

美智子上皇后の眉毛が繋がって見える理由は眼瞼下垂!一本書きメイクではなかった

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美智子上皇后さまの眉毛が「繋がっている」「一本書きにしている」と話題になっていますよね。

実はその原因は眼瞼下垂という病気にあり、メイクで描いているわけではないんです。

この記事では、眉毛の変化の理由や時期、影武者説の真相、帽子の秘密まで詳しくまとめました。

この記事を読むとわかること
・美智子上皇后の眉毛が繋がって見える医学的な理由
・眉毛の変化がいつから始まったのか時系列で整理
・影武者説や帽子・かつらの真相

美智子上皇后の眉毛が繋がって見える理由と変化の経緯

引用元:X

美智子上皇后さまの眉毛が繋がっているように見えるのはなぜなのか、気になっている方は多いのではないでしょうか。

ここでは、眉毛の変化の原因や時期、病気との関係について詳しくお伝えしていきます。

眉毛が繋がって見えるのは眼瞼下垂が原因

美智子上皇后さまの眉毛が繋がっているように見える最大の理由として、多くの専門家やメディアが指摘しているのが「眼瞼下垂(がんけんかすい)」という症状です。

眼瞼下垂とは、加齢などによってまぶたを持ち上げる筋肉が弱まり、まぶたが垂れ下がってくる症状のことですよ。

美智子さまは40代の頃からこの眼瞼下垂を患っていたとされています。

まぶたが下がってくると視界が狭くなり、ものが見えづらくなってしまいますよね。

そうなると、人間は無意識のうちにおでこの筋肉を使って、眉毛ごとまぶたをグッと引き上げようとするんです。

この状態が長年にわたって続くと、眉毛の位置そのものが本来よりも高い場所で固定されてしまいます。

さらに、おでこに力を入れることで眉間の皮膚が中央に寄り、眉頭同士が近づいて見えるようになるのだそうです。

つまり、美智子さまの眉毛が繋がって見えるのは、眼瞼下垂によっておでこの筋肉を日常的に使い続けた結果、眉間に深いシワと影ができたことが原因と考えられています。

美智子さまはこの眼瞼下垂の影響でものが見えづらくなり、実際に右目と左目の両方で白内障の手術も受けていらっしゃいます。

頸椎症性神経根症の診断について

なお、美智子さまは2005年に首の左後ろに痛みを感じられ、「頸椎症性神経根症(けいついしょうせいしんけいこんしょう)」と診断されたこともありました。

この病気は首の神経に関わる症状で、眼瞼下垂とは直接関係ないとされていますが、加齢に伴うさまざまな体の変化が重なっていたことがうかがえますよね。

眉毛の見た目の変化ひとつをとっても、そこには複数の健康上の要因が絡み合っているということなんです。

一本書きメイクではなくシワによる錯覚

「美智子さまは眉毛を一本書きにしているのでは?」という疑問を持つ方も少なくありません。

Yahoo!知恵袋やネット掲示板でも「なぜ眉毛を一本書きにしているのか」という質問がたびたび投稿されているほどです。

しかし結論から言うと、美智子さまの眉毛が一本に見えるのはメイクによるものではなく、加齢によってできた深いシワが眉毛と一体化して見えているだけなんですよ。

先ほどお伝えした通り、美智子さまは眼瞼下垂の影響でおでこの筋肉を常に使っている状態が続いていました。

その結果、眉毛のあたりに非常に深いシワが刻まれ、ちょうど眉毛の高さにシワの影ができることで、まるで眉毛が左右つながっているかのように見えてしまうわけですね。

実際に、美智子さまの写真を注意深く見てみると、眉毛が繋がって見える日とそうでない日があるのがわかります。

これはメイクを変えているからではなく、その日の体調やまぶたの開き具合によって、おでこへの力の入り方が変わるためだと考えられています。

メイクで意図的に一本眉を描いているのであれば、毎回同じように見えるはずですよね。

日によって見え方が違うという事実こそが、これがメイクではなく自然現象であることの証拠と言えるのではないでしょうか。

ちなみに、美智子さまのメイクは長年にわたってナチュラルで上品なスタイルを維持されていることでも知られています。

派手なメイクや奇抜なスタイルとは無縁の方ですから、わざわざ一本眉に見えるようなメイクをする理由もないですよね。

眉毛の位置が変わったのはいつからか

美智子さまの眉毛の位置が変わり始めた時期については、複数の情報源でやや異なる見解があります。

最も多く引用されているのは「2007年頃からだんだんと一本眉に見えるようになった」という説です。

美智子さまは1934年10月20日生まれですから、2007年というと72〜73歳の頃にあたりますね。

一方で、60代を超える頃(1994年以降)から徐々に変化が顕著になっていったとする見方もあります。

ただ、世間一般で「眉毛が繋がって見える」と広く話題になり始めたのは2017年頃からだと言われています。

時期変化の状況
40代(1970年代後半)眼瞼下垂を発症したとされる
60代(1994年頃〜)眉毛の位置が徐々に高くなり始める
1991年頃左眉上に薄い凹みが確認できるようになる
2007年頃一本眉に見えるようになったとされる
2017年頃世間で眉毛の変化が広く話題になる
2019年6月白内障手術を受ける

このように、眉毛の変化は突然起こったものではなく、何十年もかけて少しずつ進行してきたことがわかります。

加齢に伴う自然な変化であるため、ある日を境に急に変わったということではないんですね。

見る側がいつ気づくかによって「いつから」の認識が異なるのは、ごく自然なことだと言えるでしょう。

左眉上の凹みや手術跡の噂について

美智子さまの左眉の上に見られる奇妙な凹みについても、一部のメディアやブログで取り上げられています。

1991年の写真には既に眉上に薄い凹みが確認できるとの指摘があり、これが加齢によるシワなのか、あるいは何らかの手術の跡なのかについて議論が交わされてきました。

一つの説として、美智子さまが眼瞼下垂の改善のために「眉下切開」という手術を受けた可能性が指摘されています。

眉下切開とは、眉毛の下のラインに沿って皮膚を切開し、たるんだまぶたの余分な皮膚を取り除く手術のことです。

この手術が上手くいかなかった、あるいは加齢とともに再びたるみが出てきたのではないかという推測もあるようですね。

ただし、これはあくまで外部からの推測であり、宮内庁や美智子さまご本人から手術に関する公式な発表はされていません。

また、一般参賀の際に顔の左側を見せたくないかのような仕草があったとの報道もあり、左眉付近に何か気にされていることがあるのではないかという見方もあります。

いずれにしても、プライベートな医療情報に関することですので、断定的なことは言えません。

しかし、こうした噂が広まる背景には、美智子さまへの国民の関心の高さがあることは間違いないでしょう。

病気と眉毛の変化に対する世間の声

美智子さまの眉毛の変化については、ネット上でもさまざまな声が上がっています。

「なんで眉毛が繋がっているの?メイクなの?」という純粋な疑問から始まり、「病気のせいだと知って心配になった」「年齢を重ねても公務を続けられる姿に感動する」といった温かい声も多いですよ。

一方で、心ない言葉を投げかける人がいるのも事実です。

2023年には、ネット上での美智子さまへの誹謗中傷が問題視され、大手メディアでも取り上げられました。

誹謗中傷をする層には主に2つのパターンがあるとされ、皇室そのものに批判的な立場の人と、秋篠宮家の問題から派生して上皇后にも矛先が向かうケースがあるようです。

しかし、美智子さまの眉毛の変化は眼瞼下垂という医学的な原因によるものであり、ご本人の意図やメイクの問題ではないことは多くの情報から明らかになっています。

加齢に伴う体の変化を外見だけで揶揄するのは適切ではないですよね。

むしろ、そうした体の変化を抱えながらも長年にわたって皇室の公務を務め上げてこられた美智子さまの姿勢にこそ、目を向けるべきではないでしょうか。

美智子上皇后の眉毛を調べる人向けの関連情報

美智子上皇后さまの眉毛について調べていると、影武者説や帽子のこと、若い頃の話など、さまざまな関連トピックも気になってきますよね。

ここでは、そうした関連情報をまとめてお届けします。

若い頃と現在の比較で見る容姿の変遷

美智子さまの若い頃の写真を見ると、その美しさに驚かれる方は多いのではないでしょうか。

1934年10月20日に東京で生まれた美智子さまは、正田家というお家柄のお嬢様でした。

祖父の正田貞一郎さんは日清製粉グループ本社の創業者、父の正田英三郎さんは日清製粉の名誉会長を務めた方です。

聖心女子大学文学部に進学された美智子さまは、勉強もスポーツも万能で、学生自治会長を務め、卒業式では総代を担当されたそうです。

語学も堪能で、ピアノの腕前も相当なもの。

まさに「才色兼備」という言葉がぴったりの女性だったんですね。

ミッチー・ブームとテニスコートの出会い

美智子さまと明仁親王(現・上皇陛下)の出会いは、1957年8月の長野県軽井沢町でした。

軽井沢会テニスコートで開かれた「ABCDテニストーナメント」でダブルスの対戦相手として出会い、美智子さまのペアが勝利したというエピソードが残っています。

1958年から1959年にかけて、お二人の婚約と結婚が報じられると「ミッチー・ブーム」と呼ばれる社会現象が巻き起こりました。

民間出身の女性が皇太子と結婚するということ自体が当時は大ニュースだったんですね。

美智子さまがテニスで着ていた白いVネックのセーターや、頭に巻いていたヘアバンド(「ミッチーバンド」と呼ばれた)が大流行し、カメオのブローチやストール、白い長手袋などの「ミッチースタイル」が一世を風靡しました。

正田家の家系と経歴

正田家のルーツは約300年前の上州館林にさかのぼります。

庄田六三郎という人物が始祖とされ、のちに「庄田」を「正田」に改めた一族は、江戸時代には「米文」の屋号で米問屋を営む豪商でした。

明治6年に三代目・正田文右衛門さんが家業を転換し、「亀甲正」の商号で醤油醸造業を始めたのが、現在の正田醤油株式会社につながっています。

美智子さまの兄・正田巌さんは日本銀行の監事を、弟の正田修さんは日清製粉グループ本社の会長をそれぞれ務めるなど、まさに名門中の名門のご出身なんですよ。

30歳を過ぎた頃からは華やかさがさらに増し、年齢を重ねるにつれて内面からにじみ出る気品と美しさが国民を魅了し続けてきました。

影武者説がありえないと言われる理由

美智子さまの外見の変化をめぐって、ネット上では「影武者が存在するのではないか」という説が根強く語られています。

テレビなどで見かける美智子さまの顔が以前と違って見えることや、手のひらの線(掌線)が違うように見えるといった点が影武者説の根拠として挙げられているんですね。

しかし、この影武者説には多くの反論があります。

まず、写真や映像の見え方は撮影角度、照明、カメラの設定によって大きく変わります。

同じ人物でも横顔と正面では印象がかなり異なりますし、室内と屋外では肌の色合いも変わってきますよね。

手のひらの線についても、写真の解像度や手の角度によって見え方が異なるのは当然のことです。

さらに、日本の上皇后という超がつくほど注目される立場の方に影武者を使うことは現実的に極めて困難です。

常に多くのSPや宮内庁職員に囲まれ、各国の要人とも頻繁に接見される方ですから、別人を立てればすぐにバレてしまいます。

身長や体型、声、話し方、仕草に至るまで完璧に真似られる人物を長期間にわたって使い続けることは、ほぼ不可能と言えるでしょう。

結局のところ、影武者説は加齢やメイク、照明の違いなどで十分に説明できる外見の変化を、根拠なく別人説に結びつけたものと考えるのが妥当です。

小さい帽子に込められた心づかい

美智子さまといえば、頭に小さな帽子をちょこんと乗せているイメージを持っている方も多いですよね。

この帽子は「ソーサーハット」と呼ばれるお皿型のデザインで、特に小さなものは「スモールソーサーハット」と呼ばれています。

頭の高い位置に斜めにかぶるのが正式なスタイルなんですよ。

この小さな帽子のデザインには、美智子さまならではの心づかいが込められています。

公務でお年寄りや小さなお子さんと触れ合う際に、大きな帽子だと相手の邪魔になったり、距離感が生まれてしまったりしますよね。

そうならないように、帽子を少しずつ小さくしていったのだそうです。

この帽子は、帽子デザイナーの平田暁夫さんと美智子さまが長い年月をかけて試行錯誤の末に共同で作り上げたスタイルです。

一部では「皿婆」というあだ名で呼ばれることもあり、帽子が100個以上あることを「税金の無駄遣い」と批判する声もあるようです。

しかし、各国の要人を迎える公務の場にふさわしい装いを整えることは上皇后としての務めの一環であり、その背景には人々への思いやりが詰まっているんですよね。

なお、眉毛の変化と帽子のデザインには直接的な関係はなく、眉毛はあくまで眼瞼下垂による自然な変化、帽子は公務上の心づかいから生まれたスタイルということになります。

かつらやウィッグを使用している理由

美智子さまがかつら(ウィッグ)を使用していることについても、ネット上で話題になることがあります。

実際に、美智子さまは白髪の交じったウィッグをナチュラルに使いこなしていらっしゃるようです。

ここで注目したいのは、美智子さまのウィッグが不自然な黒髪ではなく、白髪が自然に混じったデザインであるという点です。

これは「老いを無理には隠さない」という美智子さまの信念の表れとも言われています。

多くの方がアンチエイジングや若見えを追求する中で、加齢を受け入れつつも品格を保つというスタイルは、美智子さまらしい選択ですよね。

ウィッグを使用している理由としては、公務の場で常に整った髪型を維持する必要があることが大きいでしょう。

長時間にわたる式典や各国との外交行事では、髪型が崩れることは許されません。

また、美智子さまは髪の毛の癖が強く、帽子の跡がつきやすいことから、ソーサーハットのような頭にのせるタイプの帽子を愛用されるようになったとも言われています。

ウィッグの使用は皇室の方に限らず、公の場に頻繁に出る方にとっては珍しいことではありません。

美智子さまの場合は、それを隠すことなく、自然体で受け入れている点が多くの方から好感を持たれているのではないでしょうか。

白内障手術を受けた経緯と目の健康

美智子さまは2019年6月に白内障の手術を受けられました。

6月16日に右目、6月23日に左目と、1週間の間隔をあけて2回に分けて手術が行われています。

宮内庁からも公式に発表されており、上皇后陛下が左眼の白内障手術を無事にお済ませになったことが報告されました。

白内障とは、目の中にある水晶体が白く濁る病気で、加齢とともに誰にでも起こりうる症状です。

水晶体が濁ると視界がぼやけたり、まぶしく感じたりするようになります。

術後の美智子さまは「まだ見えるようには…」とお話しされていたと報じられており、術後の回復にはしばらく時間がかかっていたようですね。

白内障手術では通常、濁った水晶体を取り除いて人工のレンズを入れます。

単焦点レンズの場合は遠くにピントを合わせることが多く、近くを見る際には老眼鏡が必要になるのだそうです。

美智子さまの眼瞼下垂と白内障は、いずれも加齢に伴う目の症状ですが、両方の手術を受けることで視界の改善が図られたと考えられます。

眼瞼下垂でまぶたが下がり、さらに白内障で水晶体が濁るという二重の困難を抱えながら、長きにわたって公務を全うされてきた美智子さまのご努力は本当にすごいことですよね。

美智子上皇后の眉毛のまとめ

  • 眉毛が繋がって見えるのは眼瞼下垂が原因とされる
  • 眼瞼下垂により、おでこの筋肉でまぶたを引き上げ続けた結果、眉間にシワができた
  • メイクで一本書きにしているのではなく、シワと影による錯覚である
  • 日によって眉毛の見え方が異なるのは体調やまぶたの開き具合の違いによる
  • 眼瞼下垂は40代頃に発症したとされる
  • 眉毛の変化が顕著になったのは2007年頃からとする説が多い
  • 世間で広く話題になったのは2017年頃からである
  • 左眉上の凹みについては手術跡の噂もあるが公式発表はない
  • 2019年6月に右目・左目の白内障手術を2回に分けて受けた
  • 若い頃は「ミッチー・ブーム」を巻き起こした美貌の持ち主だった
  • 正田家出身で日清製粉グループ創業者の孫にあたる
  • 影武者説は照明や撮影角度の違いで説明できるとされ否定的な見方が多い
  • 小さいソーサーハットは人々と触れ合いやすいよう配慮したデザインである
  • かつらは白髪交じりのナチュラルなスタイルで「老いを隠さない」姿勢の表れとされる
  • 眉毛の変化を含む外見の変遷は加齢に伴う自然な現象である

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