関口メンディーさんの本名って、実は芸名じゃないって知っていましたか?
「メンディー」という独特な名前の響きから「絶対芸名でしょ」と思っている方も多いはずですが、これは生まれた時からの立派な本名なんです。
しかも小学4年生の時に母親からもらった「日本と世界の架け橋になってほしい」という手紙が、2024年のLDH退社・独立の大きな動機になっていたというから、知ったら思わずじんわりしてしまいます。
・関口メンディーの本名が「関口メンディー」である理由と名前の由来
・ナイジェリア人の父・日本人の母を持つハーフの生い立ちと幼少期のエピソード
・国籍・英語力・父親の消息など関口メンディーのルーツに関する情報
関口メンディーの本名の読み方とハーフの生い立ち
関口メンディーさんの本名について、「芸名なんじゃないの?」「本名はどう読むの?」という疑問を持つ方はとても多いです。
この章では、本名の読み方から家族のこと、幼少期のエピソードまでを詳しく掘り下げていきます。
本名は「関口メンディー」で芸名ではない
関口メンディーさんは、本名で芸能活動をしていることで有名で、「関口メンディー(せきぐち めんでぃー)」という名前は芸名ではありません。
「メンディー」という変わった響きから、「芸名でしょ?」と思う方が多いのも無理はないですよね。
でも実は、これは生まれた時からの本名なんです。
「メンディー」という名前は英語名の「Mandy(マンディ)」に由来するとされています。
ナイジェリア人の父親が持つアフリカ系の文化と、英語圏で生まれた背景が組み合わさって生まれた名前です。
英語表記では「Mandy Sekiguchi(マンディ・セキグチ)」となり、海外向けのプロフィールや公式サイトでもこの表記が使われています。
また、ラッパー活動の際には「MANDY」という名義で活動していたこともあり、この英語名が関口さんのアイデンティティの一部になっていることがわかります。
「関口メンディー」は芸名ではなく、生まれた時からの本名であることが確定しています。
名前の読み方と意味(メンディー=英語名Mandy由来)
「メンディー」という読みは英語名「Mandy(マンディ)」から来ています。
Mandyはもともと「Amanda(アマンダ)」の愛称で、英語圏では女の子の名前として広く使われています。
ただ関口さんの場合は、男性でも使われるニュアンスで名付けられたものです。
アフリカ系の国々やアメリカでは、英語名と現地の文化が混ざった名前が多く見られます。
関口さんがアメリカで生まれた際に、ナイジェリア系の父親の影響でこうした名前になったとみられています。
日本語の発音では「マンディ」が「メンディー」に変化して定着したとも言えますね。
ナイジェリア人の父と日本人の母を持つハーフ
関口メンディーさんは父親がナイジェリア人、母親が日本人のハーフです。
見た目から「ハーフだな」とわかる方も多いと思いますが、その出自についてはあまり知られていないこともありますよね。
父親の出身国であるナイジェリアは、アフリカ大陸の西部に位置する国で、人口約2億人を超えるアフリカ最大の人口を誇る大国です。
母親は日本人で、現在は「関口」という名字から、日本側の家系であることがわかります。
関口さん自身も以下のように語っています。
「日本人の母とナイジェリア人の父の間の子で、いわゆるハーフで、アメリカ生まれであります」(2024年5月1日の記者会見より)
ハーフであることを隠すどころか、むしろそのルーツを誇りに思っている様子が、こういった発言から伝わってきます。
現在は日焼けサロンに通い意図的に肌を黒くしているという関口さんですが、実は元々は色白なんだそう。
幼少期の写真を見ると、父親に抱かれた姿で色白の肌をしていたことが確認でき、日焼けをしている現在の姿とのギャップに驚く人も多いです。
「黒人に憧れてるんで、ダンスやり始めてから(日焼けサロンに)足繁く通ってる」と本人が語っており、アフリカ系のルーツに対するリスペクトを体で表現しているとも言えるでしょう。
関口メンディーさんはナイジェリア人の父と日本人の母を持つハーフで、そのルーツを誇りに思いながら生きています。
出生地はアメリカのニュージャージー州
関口メンディーさんは1991年1月25日にアメリカ合衆国ニュージャージー州で生まれました。
ニュージャージー州はニューヨーク市の対岸に位置し、日本人をはじめとした多くの移民が暮らす多文化な地域です。
当時、ナイジェリア人の父親がアメリカに在住していたため、その地でメンディーさんが誕生しました。
ただし、アメリカ在住期間は非常に短く、わずか1歳の時に母親とともに日本へ移住し、東京都品川区で育ちます。
英語話者の国で生まれたにもかかわらず英語が得意でないのは、まさにこの「1歳で来日」という生い立ちが大きく影響しているんですね。
アメリカで生まれ、日本で育ったという独特の背景は、後に関口さんが「日本と世界の架け橋になりたい」という夢を抱くきっかけにもなっています。
身長182cm、体重約90kgという体格についても、父親のナイジェリア人としての体質が受け継がれていると考えられています。
小学1年で両親が離婚し母子家庭へ
関口メンディーさんの幼少期を語る上で外せないのが、両親の離婚です。
関口さんが小学校1年生の頃、両親が離婚しています。
それ以降は母親と2人の母子家庭として生活することになり、父親とは離婚後ほとんど会っていないと本人が語っています。
「父とはそれ以来ほとんど会っていなくて、正直、生きているかもわからない状態です」
2024年5月1日の記者会見での発言ですが、この言葉を聞いた多くの人が胸を痛めたのではないでしょうか。
母親はその後、女手一つで関口さんを育て上げることになります。
夜勤の仕事をしながらも、息子への愛情を惜しまなかった母親の姿が、関口さんのインタビューやSNSの投稿からにじみ出ています。
一方、経済的な面では、母方の祖父(関口さんのおじいさん)が山中湖に別荘やクルーザーを所有するほどの裕福な方で、金銭面でのサポートがあったとされています。
母子家庭とはいえ、祖父の支えがあったことで、関口さんは幼少期から様々な経験ができたようです。
小さい頃からおじいさんにウェイクボードに連れて行ってもらったり、旅行に連れていってもらったエピソードもInstagramで紹介されています。
両親の離婚と母子家庭という環境が、関口さんの強さや人間力の土台になっているのかもしれません。
母親の生活ぶりと息子への愛情
母親は夜勤の仕事に就きながら関口さんを育てました。
夜に母親が仕事に出るため、関口さんは小さい頃から1人でご飯の仕上げをすることも多かったようです。
「お母さんが下準備しているものに仕上げをして食べていた」というエピソードがあり、料理に対するハードルが低く、今でもキッチンに立つことが苦ではないと語っています。
お母さんは時に厳しく、息子が授業中に後ろを向いてしゃべっている様子を見て、一度手を上げたこともあったそう。
でも、それは愛情の裏返しですよね。
厳しさと優しさを持つお母さんに育てられたからこそ、今の関口メンディーさんがあるのだと思います。
幼少期に差別を受けたが先生の言葉に救われた
ハーフとして育った関口メンディーさんには、幼少期に辛い経験もありました。
小学2年生の時、外見(肌の色や顔立ち)を理由に年上の子どもからからかわれたことがあったと語っています。
外国人らしい見た目を指摘されて落ち込んで泣いていた関口さんに、学校の先生が声をかけてくれました。
その時の言葉がこちらです。
「あなたはハーフという存在で私が憧れるような存在。アメリカにはマイケルジャクソンというヒップホップのキングがいて私は大ファン。そのマイケルジャクソンと同じ血が流れているあなたがうらやましい。あなたはそのままでいいのよ」
……なんか、じんわりしますよね。
たった一言で、子どもの傷ついた心がすっと軽くなる。
この先生の言葉が、関口さんが自身のルーツを誇りに思うきっかけになったと本人が語っています。
この出来事があったからこそ、今の関口さんはハーフであることを隠すのではなく、堂々とそのルーツを示しながら活動できているのではないでしょうか。
日焼けサロンに通い、意識的にアフリカ系のルーツを体で表現しているのも、あの先生の言葉との関連があるのかもしれません。
幼少期の差別体験と先生の励ましの言葉が、関口さんの自己肯定感の原点になっています。
卒業アルバムにも記載された本名の証拠と改名騒動
「関口メンディー」が本名である根拠として、よく挙げられるのが卒業アルバムへの記載です。
学校の卒業アルバムには通常、本名が記載されます。
関口メンディーさんの卒業アルバムにも「関口メンディー」という名前が記載されていることが確認されており、芸名説を完全に否定する根拠となっています。
ただ、2022年に一度だけ改名騒動がありました。
2022年8月1日放送のフジテレビ系「突然ですが占ってもいいですか?」に出演した際、占い師から「名前の画数が悪い、1画増やすと運勢が良くなる」と言われたのがきっかけです。
翌9月3日配信の「GENERATIONS高校TV」で「関口メンディーー(最後の「ー」が1つ増えた)」への改名を宣言。
SNSの名前も変更したのですが……
2023年1月25日、自身の32歳の誕生日に「改名を撤回する」と発表しました。
テレビ東京系「占いなんて信じない」の収録で、別の占い師から「元の名前に戻した方が良い」と言われたことがきっかけだったとのこと。
「親からもらった大切な名前で勝負する」という言葉とともに、元の「関口メンディー」に戻ったわけです。
この一連の改名騒動は芸能ニュースでも話題になりましたが、最終的には本名に帰ってきたところに、関口さんらしさを感じますよね。
関口メンディーの本名を調べる人向けの関連情報
関口メンディーさんの本名が気になって調べている方は、そのルーツや家族背景、国籍、英語力についても興味があるのではないでしょうか。
ここでは本名に関連するさまざまな情報を集めました。
父親の現在は生死不明?ナイジェリア人の父の消息
関口メンディーさんの父親はナイジェリア人で、かつてはアメリカに在住していました。
しかし前述の通り、小学1年の時の両親の離婚後、関口さんはお父さんとほとんど会っていない状態が続いています。
2024年5月1日の記者会見で、関口さんは「父とはそれ以来ほとんど会っていなくて、正直、生きているかもわからない状態です」と語りました。
この発言からネット上では「父親が行方不明?」という話が広まっていますが、実際には「連絡が取れていない」「近況を知らない」という状況が正確なところで、文字通り行方不明とは少し違います。
離婚後に母親が父親に連絡を取っていないため、関口さん自身も父親の現在の状況を把握していないということです。
父親がどのような人物だったかについては、当然ながらナイジェリア人であること、アメリカに在住していたこと以外はほとんど公表されていません。
関口さん自身は父親の影響でアフリカ系のルーツに憧れを持っており、日焼けサロンに通って肌を黒くするほど黒人文化への敬意を表しています。
複雑な家庭環境の中でも、そのルーツを誇りに思えているのは、前述の先生の言葉や母親の育て方があったからこそかもしれません。
父親の現在は連絡が途絶えており詳細不明ですが、関口さんはそのナイジェリア人としてのルーツを大切にしています。
国籍は日本!アメリカ生まれでも日本人
アメリカで生まれ、ナイジェリア人の父を持つ関口メンディーさんですが、国籍は日本です。
「アメリカ生まれなのに日本国籍なの?」と思う方もいるかもしれません。
日本の国籍法では、日本人の父または母から生まれた子どもは日本国籍を取得できます。
関口さんの場合、母親が日本人であるため、出生地がアメリカであっても日本国籍が取得できたわけです。
また、アメリカで生まれると一定の条件のもとでアメリカ国籍も取得できますが、現在関口さんが日本国籍で活動していることを考えると、アメリカ国籍は持っていない、または放棄していると考えられます。
国籍についての公式な発表は特に出ていませんが、複数の情報源から「国籍は日本」という点は一致しており、確定情報として扱ってよいでしょう。
1歳から東京都品川区で育ち、日本の学校に通い、日本語で生活してきた関口さんにとって、日本は間違いなく「故郷」です。
出身についての公式プロフィールでも「東京都品川区出身」と明記されています。
ハーフなのに英語が話せない理由
「ハーフなのに英語話せないの?」と驚く方も多いですよね。
関口メンディーさんは以前から英語を話せないことを公言しています。
その理由は非常にシンプルで、わずか1歳で日本に来てしまったため、英語に触れる機会がほぼなかったからです。
アメリカで生まれても、物心つく前に日本へ渡り、その後はずっと日本語環境で育ったわけですから、英語が話せないのは当然とも言えます。
小学校の頃にECCジュニアに通って英語を学ぼうとしたこともあったそうですが、先生とケンカになってやめてしまったというエピソードも語っています。
2024年5月の記者会見では「英語は苦手です。これから頑張ります。追い込まれないとやらない方なので」と正直に話していて、会場が少し微妙な空気になったのも話題になりました。
LDH退社後は「世界のエンターテインメント王になりたい」と世界進出を宣言しており、英語学習にも取り組んでいるとのこと。
独立後はオンライン英会話を活用して朝や隙間時間に学習を続けており、海外のフォロワーも増えつつあると語っています。
ハーフでも英語が話せないのは、1歳から日本で育ったためという、いたってシンプルな理由でした。
母親が息子に伝えた「日本と世界の架け橋に」という言葉
関口メンディーさんの人生観を語る上で、小学4年生の時に母親からもらった手紙は外せないエピソードです。
学校行事の際に母親が書いてくれた手紙に、こんな言葉が記されていたと言います。
「日本と世界の架け橋になってほしい」
この言葉が幼い関口さんの心に深く刻まれ、ずっと大切に持ち続けてきたというのです。
読んでいてこちらまで温かくなりますよね。
ナイジェリア人の父と日本人の母から生まれた関口さんに対して、母親が込めた願い——それはまさに、2つの文化の間に立ってほしいという祈りだったのではないでしょうか。
LDH退社・独立の動機との関連
実はこの「日本と世界の架け橋に」という母親の言葉が、2024年のLDH退社の大きな動機になっています。
2024年5月1日の記者会見で、関口さんはこう語っています。
「母の『日本と世界の架け橋になってほしい』という思いをかなえたい。世界のエンターテインメント王になりたい」
GENERATIONSとEXILEのメンバーとして13年間活躍した後、大きな環境を離れる決断の背景に、小学4年生の頃の母親の言葉があったというのは、本当に感慨深いですよね。
「LDHという場所が自分の中で実家のような存在になっていた。このままでは成長できないかもしれない」と感じ、実家を出る決断をしたと語っています。
母親の願いを胸に、新しい道へ踏み出した関口メンディーさん。
その歩みはまだ始まったばかりです。
ダンスとの出会いから芸能界入りまでの生い立ち
関口メンディーさんといえばダンサーのイメージが強いですが、実は元々は野球少年でした。
ここでは生い立ちを時系列でまとめてみます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1991年1月25日 | アメリカ・ニュージャージー州で生まれる |
| 1歳 | 母親とともに日本・東京都品川区へ移住 |
| 小学校時代 | 野球を始める。小6で全国大会準優勝 |
| 小学1年 | 両親が離婚。母子家庭に |
| 小学2年 | 外見で差別されるも、先生の言葉に救われる |
| 中学時代 | 野球を継続 |
| 2006年 | 郁文館高校に野球推薦で入学 |
| 高校時代 | 友人とお笑いコンビを組む(一時期) |
| 2009年 | 日本体育大学体育学科に入学。ダンスに出会う |
| 2011年7月 | GENERATIONSの候補メンバーとして始動 |
| 2012年4月 | GENERATIONSの正式メンバーに |
| 2013年 | GENERATIONSとしてメジャーデビュー |
| 2014年4月 | EXILEへの加入が決定 |
| 2016年4月 | ヒップホップユニットHONEST BOYZ結成 |
| 2024年6月25日 | LDH退社・独立 |
| 2025年1月25日 | 一般女性との結婚を発表 |
大学でたまたまダンスサークルの先輩に声をかけてもらったのがきっかけでダンスを始め、わずか2年でGENERATIONSのメンバーに選ばれたというのは驚きのスピードです。
野球推薦での大学進学に失敗し、一般入試で進学した悔しさからダンスに出会ったという流れも、人生の転換点として印象的ですね。
先輩の紹介でEXPG(エグザイルプロフェッショナルギフト)に特待生として通うことになり、そこからトントン拍子でGENERATIONSの道が開けました。
野球からダンスへの転換が、現在の関口メンディーさんを形作っているわけです。
野球少年だった関口さんがダンスと出会い、GENERATIONSのメンバーになるまでの道のりは、まさに波乱万丈の生い立ちでした。
一人っ子で祖父は別荘持ちのお金持ち
関口メンディーさんは一人っ子です。
両親が小学1年の時に離婚し、母子2人の家庭で育ちました。
兄弟がいないことから、母親との絆はより深いものになったのかもしれません。
また、関口さんの祖父(母方のおじいさん)がかなりの裕福な方だったという情報があります。
山中湖に別荘を持ち、クルーザーも所有していたというエピソードが「世界仰天ニュース」という番組で紹介されたことがあります。
幼少期から祖父にウェイクボードやさまざまな場所へ連れて行ってもらったことをInstagramで報告しており、祖父との思い出が数多くあるようです。
関口さんのInstagramには「小さい頃からおじいちゃんには色々なところに連れていってもらいました!」という投稿もあります。
母子家庭という事情はあったものの、裕福な祖父のサポートがあり、金銭的な苦労をほとんどしなかったことも、後に大きな夢を追いかけることができた背景の一つかもしれません。
現在は祖父が高齢となり車椅子を使う生活になったことがSNSで紹介されており、「2人とも健康で長生きしてください」という関口さんのメッセージが多くのファンの心に響いています。
関口メンディーの本名のまとめ
- 関口メンディーの本名は「関口メンディー(せきぐち めんでぃー)」であり、芸名ではない
- 英語表記は「Mandy Sekiguchi(マンディ・セキグチ)」で、「メンディー」は英語名「Mandy」に由来する
- 1991年1月25日にアメリカ合衆国ニュージャージー州で生まれた
- 父親がナイジェリア人、母親が日本人のハーフ
- 国籍は日本で、1歳から東京都品川区で育った
- 小学1年の時に両親が離婚し、母子家庭で育つ
- 父親は現在も連絡が取れておらず、関口さん自身「生きているかもわからない」と語っている
- ハーフだが英語は話せない。1歳で来日し日本語環境のみで育ったため
- 卒業アルバムにも「関口メンディー」と記載されており、本名であることが確定している
- 2022年に占い師に勧められ一時「関口メンディーー」に改名したが、2023年に撤回し本名に戻した
- 小学2年時に外見で差別されたが、先生の「マイケルジャクソンと同じ血が流れているあなたがうらやましい」という言葉に救われた
- 小学4年で母親から「日本と世界の架け橋になってほしい」という手紙を受け取り、生涯の指針となっている
- 大学でダンスと出会い、わずか2年でGENERATIONSのメンバーに選ばれた
- 2024年6月25日にLDHを退社・独立し、世界進出を目指して活動中
- 一人っ子で、母方の祖父は山中湖に別荘・クルーザーを持つ裕福な人物


