滝田栄の現在は仏像彫刻家!八ヶ岳のアトリエで彫り続ける理由と俳優業の今

滝田栄の現在は仏像彫刻家!八ヶ岳のアトリエで彫り続ける理由と俳優業の今

記事内に広告を含みます

大河ドラマ「徳川家康」の主演、そして「料理バンザイ!」の司会。あの大きな体と穏やかな声を覚えている方は多いと思います。

その滝田栄さんを最近テレビで見かけないな、と感じていませんか。

実は滝田栄さん、今は長野県の山あいで、ノミを握って仏像を彫り続けているんです。しかもそのきっかけは、お母さまとの別れでした。

この記事を読むとわかること
・滝田栄の現在の活動拠点と、毎日していること
・俳優業を引退したのかどうか、今の仕事の中身
・仏像を彫り始めた理由と、気仙沼に安置された地蔵菩薩像の話

滝田栄の現在は仏像彫刻家として八ヶ岳で活動中

滝田栄さんの現在をひとことで言うなら、俳優から「彫る人」へ軸足を移した生活です。テレビでの露出は減りましたが、活動そのものは止まっていません。

現在は長野県原村のアトリエで仏像を彫る日々

滝田栄さんの現在の生活拠点は、長野県諏訪郡原村です。

八ヶ岳の山麓にあたる場所で、標高が高く、冬はしっかり冷え込むエリアですね。

滝田栄さんが八ヶ岳に居を構えたのは1980年代のことで、実はかなり長い付き合いになります。

もともと学生時代は山岳部に所属していて、山歩きが趣味だったそうです。

俳優として売れてから移住したというより、若い頃から通っていた場所にそのまま根を下ろした、という表現のほうが近いのかもしれません。

結婚式も諏訪大社で挙げていますし、お子さんの就学前の子育てもこの土地で行っています。

その原村に彫刻用のアトリエを構え、現在も仏像を彫り続けています。

つまり滝田栄さんの現在は、東京の芸能の世界から離れて、八ヶ岳の自然のなかで作品と向き合う日々だということです。

都会での華やかな仕事を長く続けた人が、山の中で黙々とノミを振るっている。……なんだか、じんわりしませんか。

俳優業は引退したのか、今も続いている仕事

「滝田栄 現在」で検索する方がいちばん気にしているのは、ここだと思います。

結論から言うと、滝田栄さんは俳優業からの引退を正式に発表したわけではありません。

公式サイトのプロフィールにも「俳優の仕事以外に仏像制作、仏教の研究、講演活動、執筆等」と書かれていて、俳優の仕事が消えたわけではないことがわかります。

ただ、21世紀に入ってからは仏像彫刻家としての活動のほうが明らかに多くなっています。

テレビのレギュラー番組を持っていないので、お茶の間で顔を見る機会が減った。それが「見かけなくなった」という印象につながっているんですね。

現在も受け付けている講演の仕事

公式サイトには講演依頼の連絡先が今も掲載されています。

仏教や仏像制作、そして自身の半生をテーマにした講演は、滝田栄さんの現在の主要な仕事のひとつです。

俳優として舞台に立つことと、演台に立って話すこと。どちらも「人前で伝える」という点では地続きなのかなと思います。

過去作は今も配信で見られる

新作でお目にかかる機会は減りましたが、過去の出演作に触れる道は残っています。

公式サイトではNHKアーカイブスでの配信が案内されていて、配信期間は2025年5月16日から2028年5月15日までと告知されています。

また映画では2006年公開の「不撓不屈」で主演を務めており、こちらも滝田栄さんの俳優としての仕事を確認できる一本です。

仏像を彫り始めたきっかけは母との別れ

滝田栄さんが仏像を彫るようになった理由は、キャリアチェンジのような話ではありません。

きっかけは、身内の死でした。

1992年にお母さまと死別し、その供養のために1994年、プロの仏師に学んで観音菩薩像を彫ったのが最初です。

ここ、正直に言うと胸が痛くなります。

悲しみをどう置いたらいいか分からないとき、人は何かをせずにいられないものですよね。

滝田栄さんの場合、それが木を彫るという行為だったわけです。

しかも一度で終わりませんでした。

その後、お父さまや兄を亡くしたときにも、同じように仏像を彫っています。

身内を送るたびにノミを握る。滝田栄さんにとって仏像彫刻は趣味でも副業でもなく、供養そのものだということです。

アフガニスタン戦争のときには3年かけて不動明王を

彫る対象は身内の供養だけにとどまりません。

アフガニスタン戦争が起きた際には、3年をかけて等身大の不動明王を制作しています。

等身大というサイズを3年。想像するだけで気が遠くなる作業です。

遠い国の戦争に対して自分にできることを考えた結果が、この一体だったのだと思うと、なかなか真似できることではないですよね。

レ・ミゼラブル後にはインドで仏教を学んだ

仏像を彫るだけでなく、仏教そのものを学びに行っているのも滝田栄さんらしいところです。

舞台「レ・ミゼラブル」の公演を終えたあと、約2年間インドに滞在して仏教を学んだと伝えられています。

渡印の時期については2002年頃とする情報もあります。

ジャン・バルジャンという「赦し」を体現した役を長く演じた人が、そのあとインドへ向かった。この流れ、個人的にすごく腑に落ちるんですよね。

気仙沼に安置された130cmの地蔵菩薩像

滝田栄さんの現在の活動を語るうえで外せないのが、東日本大震災に関わる一体です。

震災のあと、像高130cmの地蔵菩薩像を彫り、宮城県気仙沼市に安置しています。

公式サイトでは2013年に、東日本大震災の被災者の供養のために地蔵菩薩を彫って気仙沼に納めたと紹介されています。

制作には約4か月を要したと伝える情報もあり、決して片手間の仕事ではなかったことがうかがえます。

被災地に何かを届けたいと考える方法はいろいろあります。

そのなかで滝田栄さんが選んだのが、自分の手で仏像を彫って現地に置くことでした。

滝田栄さんの現在の活動は、有名人としての社会貢献というより、一人の彫り手としての祈りに近いものだと言えます。

現在の年齢は75歳、185cmの体は健在

滝田栄さんは1950年12月5日生まれです。

2026年8月時点の年齢は75歳ということになりますね。

身長は185cm。

日本人俳優としてはかなりの長身で、大河ドラマや舞台での存在感は、この体格に支えられていた部分も大きかったはずです。

山歩き、武道、料理が得意という多才さも知られています。

とくに武道では戸山流抜刀術の有段者で、時代劇では実際に試し斬りを披露したこともあるそうです。

仏像彫刻という細かい作業も、もとをたどれば手先と体幹の話。若い頃から体を使い続けてきた人だからこそ、75歳で今も彫り続けられているのかもしれません。

兄を亡くしてから肉を食べていない

食生活についても、はっきりした転機があります。

兄をガンで失ってからは肉類を口にしていないと伝えられています。

「料理バンザイ!」で20年間、日本中の食を紹介してきた人が、身内の病をきっかけに自分の食を変えた。

……この事実だけで、その別れの重さが伝わってきますよね。

現在は農業と八ヶ岳の自然を守る活動にも

滝田栄さんの現在は、彫刻とお寺だけで完結していません。

2020年代には原村で農耕も手がけていると伝えられており、山の暮らしそのものを実践しています。

さらに地域の環境問題にも関わっています。

2020年12月には、地元で計画された施設メガファーム計画の再考を求める市民団体の共同代表に就任しました。

八ヶ岳の自然を守るために、名前を出して前に立ったわけです。

芸能人が地域の反対運動の代表になるのは、正直なところリスクもある選択だと思います。

それでも引き受けたのは、40年近く暮らしてきた土地への責任感なのかなと感じます。

滝田栄さんの現在は、彫刻家であり、農にも関わり、住民として地域に発言する生活者でもあるということです。

滝田栄の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、滝田栄さんの現在を知ったうえで気になってくる過去の代表作や家族についてまとめます。今の生活との対比で読むと、より面白いはずです。

若い頃は劇団四季のユダ役でブレイク

滝田栄さんのキャリアの出発点は劇団です。

文学座養成所を経て、1973年に劇団四季へ入団しています。

ここで一気に知られるようになったのが、ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」のイスカリオテのユダ役でした。

キリストを裏切る役どころで、歌唱力も存在感も要求される難役です。

この役で評価を得たあと、1981年に劇団四季を退団し、独立した俳優として歩き出しました。

今の仏像彫刻家という顔からは想像しにくいかもしれませんが、出発点はミュージカル俳優だったんですね。

大河ドラマ徳川家康で主演を務めた1983年

全国区の知名度を決定づけたのは、やはりNHK大河ドラマです。

作品役柄
1979年草燃える伊東祐之
1983年徳川家康徳川家康(主演)

1983年の「徳川家康」で主役を演じたことが、滝田栄さんという名前を全国に届けました。

苦悩を抱えながら少しずつ成長していく家康像が支持され、人気を集めた作品です。

この役に取り組む際、家康を理解するために禅寺で過ごしたとも伝えられています。

役のために仏門に触れた経験が、のちの仏像彫刻や仏教研究につながっていったと考えると、現在の姿は突然変異ではなかったわけです。

レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンを14年

舞台での代表作が「レ・ミゼラブル」です。

主役のジャン・バルジャンを初演から14年間演じ続けました。

14年です。同じ役を、これだけの期間背負い続けた俳優はそう多くありません。

囚人から始まり、赦されて生き直し、最後は他人のために身を差し出す役柄。

その役を10年以上演じたあとに約2年のインド滞在へ向かったという流れを見ると、この舞台が滝田栄さんの人生観そのものに影響を与えたのだろうと推測できます。

料理バンザイの司会は20年間

お茶の間での顔として最も記憶されているのが、テレビ朝日「料理バンザイ!」の司会です。

1982年から2000年まで、20年にわたって司会を務めました。

日曜のお昼にこの番組を見ていた、という方も多いのではないでしょうか。

番組が終了した背景には、スポンサーだった雪印乳業をめぐる2000年の集団食中毒事件と、2002年のBSE関連補助金詐欺事件があったと伝えられています。

本人の不祥事ではなく、番組を支える側の事情で長寿番組が幕を下ろした形ですね。

この20年で全国の食材と作り手を見てきた経験が、のちに自分で農に関わる生活へつながっているようにも思えます。

妻や子供など家族について

家族についても触れておきます。

滝田栄さんは1970年代に結婚しており、結婚式は八ヶ岳にほど近い諏訪大社で挙げています。

ただし妻についての情報はソースによって食い違いがあります。

情報源の傾向妻についての記述
人物データベース系バレエ関係の仕事に携わる女性とする記述
まとめ系メディア一般人でマネージャーを務めているとする記述

つまり妻については公的に確定した情報が乏しく、断定できる状態ではないというのが実態です。

お子さんについては複数いるとされていますが、こちらも詳細を公表していない情報が多く、一般の方として扱われています。

八ヶ岳での子育てを選んだこと自体が、家族を芸能の世界から少し離して育てたいという考えの表れだったのかもしれませんね。

実家は印西市の米問屋、兄は増田明美の恩師

最後に、滝田栄さんのルーツについてです。

出身は千葉県印西市。

実家は代々「米庄」として、関東の米を利根川経由で江戸城に納めていた家柄だと伝えられています。

相当な歴史のある家ですよね。

親族には力士もいて、第24代横綱・鳳は祖父の弟にあたるとされています。

そして兄の詔生さんは成田高校陸上部の元監督で、マラソンの増田明美さんやハンマー投の室伏広治さんを指導したと伝えられている人物です。

俳優と名指導者の兄弟。この家、なかなかすごいです。

学歴は成田高等学校を経て、中央大学文学部仏文科の夜間部に進み中退しています。

大学では山岳部に所属しており、この山の経験が、のちに八ヶ岳へ移り住む伏線になっているわけですね。

滝田栄の現在のまとめ

  • 滝田栄の現在の拠点は長野県諏訪郡原村の八ヶ岳山麓
  • 現在は仏像彫刻家として活動し、原村にアトリエを構える
  • 俳優引退の正式発表はなく、公式には俳優業も継続とされる
  • 公式サイトでは現在も講演依頼を受け付けている
  • 21世紀以降は仏像彫刻家としての活動が中心になっている
  • 仏像を彫り始めたきっかけは1992年の母との死別
  • 1994年にプロの仏師に学び観音菩薩像を初めて彫った
  • 父や兄を亡くした際にも供養のため仏像を彫っている
  • アフガニスタン戦争の際は3年かけて等身大の不動明王を制作
  • 東日本大震災後は像高130cmの地蔵菩薩像を気仙沼市に安置
  • レ・ミゼラブル終演後に約2年間インドで仏教を学んだ
  • 1950年12月5日生まれで2026年8月時点の年齢は75歳、身長185cm
  • 兄をガンで失って以降は肉類を食べていないとされる
  • 2020年12月にメガファーム計画の再考を求める市民団体の共同代表に就任
  • 2020年代には原村で農耕も手がけている
  • 1983年の大河ドラマ徳川家康で主演し全国的な知名度を得た
  • レ・ミゼラブルのジャン・バルジャンを初演から14年演じた
  • 料理バンザイ!の司会を1982年から2000年まで務めた
  • 妻についてはソース間で記述が食い違い確定情報が乏しい
  • 実家は印西市の米問屋で、兄・詔生は成田高校陸上部の元監督とされる

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)