コシノ三姉妹の母として知られる小篠綾子さんの祖父はどんな人物だったのでしょうか。
父方の祖父・小篠長蔵さんと母方の祖父・隅谷小一郎さん、それぞれの家柄やエピソードを調査しました。
両親の出会いから家系図まで、ファッション一家のルーツをたどっていきますよ。
・父方の祖父・小篠長蔵と母方の祖父・隅谷小一郎の人物像
・没落した父と庄屋の令嬢だった母の馴れ初め
・コシノ三姉妹へと続く家系図と家族構成
小篠綾子の祖父は誰?父方・母方の家系を調査
コシノ三姉妹の母として知られる小篠綾子さんですが、その祖父についてはあまり知られていません。
ここでは、父方・母方それぞれの祖父の人物像や家柄、両親のルーツまで詳しくご紹介していきますよ。
父方の祖父・小篠長蔵の人物像
小篠綾子さんの父方の祖父にあたるのは、小篠長蔵(こしの ちょうぞう)さんという人物です。
長蔵さんは兵庫県加西郡西在田村若井(現在の加西市若井町)に住んでおり、この地が小篠家の本拠地でした。
さとうひさえさん著の「綾子とあかい糸―コシノ三姉妹の母の生涯」によれば、長蔵さんは息子の甚作さんが結婚する約1か月前に亡くなっています。
そのため、綾子さんが生まれた頃にはすでに祖父・長蔵さんはこの世にいなかったことになりますね。
長蔵さん亡き後、若井の家には妻のよねさんが一人で暮らしていたようです。
息子の甚作さんは大阪の呉服屋で働いていましたが、結婚を機にこの若井の実家に戻ることになります。
ちなみに、小篠家はもともと「小篠(オザサ)」と読んでいたという記録もあり、現在の「コシノ」という読みとは異なっていた可能性もあるんです。
父方の祖母・よねの存在
父方の祖母にあたるのが、よねさんです。
夫の長蔵さんが亡くなった後、よねさんは若井の家で一人暮らしをしていました。
息子の甚作さんが新妻ハナさんを連れて郷里に戻ってきた際、よねさんのもとで一緒に暮らし始めたとされています。
「綾子とあかい糸」によれば、ハナさんは姑のよねさんと小さな小屋で暮らしながら、最初の子どもを出産したと記されています。
嫁と姑の二人で支え合いながらの生活だったことがうかがえますよね。
母方の祖父・隅谷小一郎と庄屋の隅谷家
一方、母方の祖父は隅谷小一郎(すみたに こいちろう)さんです。
隅谷家は大阪府堺市の鳳(おおとり)に住んでおり、いわゆる「庄屋」の一つとして知られる大変裕福な家柄でした。
「綾子とあかい糸」によれば、隅谷家の土地は「他人の土地を踏まずとも、隣の町まで歩いていける」ほどの広さだったそうです。
これはつまり、道を歩いてもすべて隅谷家の所有地という意味で、その莫大な資産がうかがえるエピソードですよね。
隅谷小一郎さんの妻、つまり綾子さんの母方の祖母にあたるのがリエさん(旧姓・田川)です。
小一郎さんとリエさんの間に長女として生まれたのが、綾子さんの母・ハナさんでした。
ハナさんは明治22年(1889年)4月の生まれとされています。
隅谷家の家系についてさらに遡ると、「大正名鑑」には家祖が江戸時代の貞享年間に活動した小右衛門という人物で、農業によって財を成したと記されているそうです。
つまり、江戸時代から続く名家の血筋を、綾子さんは母方を通じて受け継いでいたということなんですね。
母方の祖母・リエのプロフィール
母方の祖母・リエさんは旧姓が田川で、隅谷小一郎さんと結婚して隅谷家に入りました。
庄屋の家を切り盛りする立場にあったと思われますが、詳しいプロフィールについてはあまり記録が残っていないようです。
ただ、娘のハナさんが資産家の令嬢として育てられたことから、リエさんもまた家庭をしっかり守る女性だったことが想像できますよね。
父・小篠甚作が呉服商になるまでの経緯
綾子さんの父・小篠甚作(こしの じんさく)さんは、もともと兵庫県の播州(現在の兵庫県南部)の出身で、実家はかなりの田地田畑を所有する裕福な農家でした。
ところが、甚作さんの父・長蔵さんの代で他人の保証人になったことから一家は没落してしまいます。
財産を失った甚作さんは故郷を離れ、大阪の呉服屋で番頭として働き始めました。
その呉服屋の取引先の一つが、堺市鳳の資産家・隅谷家だったのです。
ここで甚作さんは隅谷家の令嬢であるハナさんと出会い、恋に落ちます。
しかし、身分違いの恋は許されるはずもなく、顧客の令嬢に手を出したとして甚作さんは呉服屋を解雇されてしまったと伝えられています。
失職した甚作さんは、ハナさんと結婚し、父・長蔵さんが亡くなって母・よねさんだけが暮らす郷里の若井に戻りました。
その後、一家は大阪府岸和田に移り住み、甚作さんは呉服商や雑貨商として生計を立てていくことになります。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 小篠甚作(こしの じんさく) |
| 職業 | 呉服商・雑貨商 |
| 出身地 | 兵庫県加西郡西在田村若井 |
| 人柄 | 一徹で頑固、職人肌 |
| 没年 | 昭和19年(1944年) |
甚作さんは「コシノ洋装店ものがたり」の中で、一徹で頑固で職人肌の人物と描かれています。
家庭内では甚作さんの意見がすべて法律のようなもので、典型的な昭和の厳格な父親だったようですね。
甚作が綾子のためにした秘策
そんな厳格な甚作さんですが、娘の綾子さんへの愛情は深かったんです。
綾子さんが女学校を中退してパッチ店で修業を始めた際、甚作さんは密かにミシンを購入しました。
さらに、和歌山から来ていたミシンの講師に対して、自分が謡(うたい)を教える代わりに、綾子さんにミシンの使い方を教えてほしいと交渉したのです。
口では「勉強やぞ、勉強やぞ」と厳しく言いながらも、裏では娘の夢を全力で応援していた甚作さんの姿は、朝ドラ「カーネーション」でも印象的に描かれていましたよね。
母・ハナの実家は大阪・鳳の資産家
綾子さんの母・ハナさんは、前述のとおり大阪府堺市鳳の庄屋・隅谷家の長女として明治22年(1889年)に生まれました。
資産家のお嬢様として何不自由なく育ったハナさんですが、呉服屋の店員だった甚作さんと恋に落ちたことで人生が大きく変わります。
身分の違いから両親には認められず、甚作さんとの結婚は駆け落ち同然だったとも言われています。
裕福な隅谷家を出て、甚作さんの故郷・若井の小さな小屋で姑のよねさんと3人で暮らし始めたハナさん。
それまでの生活とはまるで違う環境だったはずですが、ハナさんは文句も言わずに新しい生活に適応していったようです。
ハナさんは最初の子・千鶴子さんを出産しましたが、残念ながら千鶴子さんは生後わずか20日で亡くなってしまいます。
その後に生まれたのが、次女の綾子さんでした。
「一生、糸偏産業で食べていけるように」という願いを込めて「綾子」と名付けられたと言われています。
この命名には、糸に関わる仕事で身を立ててほしいという家族の強い思いが込められていたんですね。
綾子さんの下にはさらに妹が3人生まれ、祖母のよねさん、母のハナさん、娘4人の女性6人に対して男は甚作さんだけという、典型的な女系家族だったそうです。
家系図で見るファッション一家のルーツ
小篠綾子さんの家系図を整理すると、ファッション一家としての原点がよく見えてきます。
| 関係 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| 父方の祖父 | 小篠長蔵 | 兵庫県加西郡若井在住 |
| 父方の祖母 | よね | 長蔵の妻 |
| 母方の祖父 | 隅谷小一郎 | 大阪府堺市鳳の庄屋 |
| 母方の祖母 | リエ(旧姓・田川) | 小一郎の妻 |
| 父 | 小篠甚作 | 呉服商・雑貨商 |
| 母 | 小篠ハナ | 隅谷家出身 |
| 本人 | 小篠綾子 | ファッションデザイナー |
| 夫 | 川崎武一(小篠武一) | 紳士服テーラー・婿入り |
| 長女 | コシノヒロコ(小篠弘子) | 1937年生 |
| 次女 | コシノジュンコ(小篠順子) | 1939年生 |
| 三女 | コシノミチコ(小篠美智子) | 1943年生 |
こうして見ると、父方は呉服商、母方は庄屋の資産家と、それぞれ異なる背景を持つ家系が交わって小篠綾子さんが生まれたことがわかりますね。
父の甚作さんは呉服の世界で生きてきた人物で、母のハナさんは裕福な家庭で美しいものに囲まれて育った女性です。
「糸」と「美意識」という2つの要素が、綾子さんのDNAに刻まれていたと言えるのかもしれません。
そしてその遺伝子は、綾子さんから三姉妹へと受け継がれ、日本を代表する世界的ファッションデザイナーを3人も輩出するという驚異的な結果につながったのです。
ちなみに、作家・タレントの中谷彰宏さんと小篠家は血のつながりのある親戚だそうで、母方の隅谷家を通じた関係ではないかとも言われています。
小篠綾子の祖父を調べる人向けの関連情報
小篠綾子さんの祖父について調べている方は、綾子さん自身の人生や家族にも興味を持っている方が多いのではないでしょうか。
ここからは、夫との結婚エピソードや経歴、朝ドラ「カーネーション」の情報、コシノ三姉妹の家族構成などをまとめてお伝えしますね。
夫・川崎武一との結婚と戦死の経緯
小篠綾子さんは昭和9年(1934年)11月、紳士服のテーラーだった川崎武一(かわさき たけいち)さんと結婚しました。
武一さんは綾子さんの1歳年上で、川崎家の三兄弟の長男でしたが、綾子さんに惚れ込み、自ら婿入りを申し出たと言われています。
仕事に夢中だった綾子さんは最初は結婚に乗り気ではなかったようですが、父・甚作さんにも押し切られる形で結婚が決まりました。
結婚後、武一さんは小篠姓を名乗り、コシノ洋装店で紳士服の仕立てを担当するようになります。
2人の間には、昭和12年(1937年)に長女の弘子さん(コシノヒロコ)、昭和14年(1939年)に次女の順子さん(コシノジュンコ)が誕生しました。
しかし、昭和17年(1942年)、三女の美智子さん(コシノミチコ)を身ごもっている最中に、武一さんは太平洋戦争に召集されてしまいます。
そして昭和20年(1945年)、武一さんは中支方面で戦病死。
綾子さんは女手一つで3人の娘を育てながら、コシノ洋装店を守り続けることになったのです。
波乱万丈な経歴とコシノ洋装店の誕生
小篠綾子さんは大正2年(1913年)6月15日、兵庫県加西郡西在田村若井に生まれました。
3歳の頃に大阪府岸和田市に移り住み、大阪府立岸和田高等女学校(現在の大阪府立和泉高等学校)に進学します。
しかし、15歳のある日、帰り道で見たミシンに魅了されたことが人生の転機となりました。
女学校を中退し、パッチ店や紳士服店、生地店で洋裁の修業を積みます。
そして昭和9年(1934年)、21歳の若さでミシン一台だけを元手にコシノ洋装店を開業しました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1913年 | 兵庫県加西郡西在田村若井に誕生 |
| 1916年頃 | 大阪府岸和田市に移住 |
| 1934年 | コシノ洋装店を開業・川崎武一と結婚 |
| 1937年 | 長女・弘子(コシノヒロコ)誕生 |
| 1939年 | 次女・順子(コシノジュンコ)誕生 |
| 1943年 | 三女・美智子(コシノミチコ)誕生 |
| 1945年 | 夫・武一が戦病死 |
| 1988年 | 「アヤコ・コシノ」ブランドを創設(74歳) |
| 2006年 | 脳梗塞により逝去(92歳) |
開業後の綾子さんは、昼間は町中を回って仕事を探し、縫えるものは何でも引き受けて、夜通し作業に没頭する毎日を送りました。
その努力が実り、コシノ洋装店はオートクチュール(高級仕立て服)の洋裁店として関西で大評判となります。
夫を戦争で失った後も仕事の手を休めることはなく、3人の娘を立派に育て上げました。
さらに驚くべきは、昭和63年(1988年)に74歳で「アヤコ・コシノ」ブランドを立ち上げたことです。
「さあ、人生これからやで!」が口癖だったという綾子さんは、平成18年(2006年)に92歳で亡くなるまで生涯現役のデザイナーとして走り続けました。
カーネーションで描かれた小篠家の物語
小篠綾子さんの波乱万丈な人生は、2011年にNHK連続テレビ小説「カーネーション」としてドラマ化されました。
主演の尾野真千子さんが演じた主人公・小原糸子は、綾子さんをモデルにした人物です。
ドラマの中では、糸子の父・小原善作(小林薫さん)が綾子さんの父・甚作さんをモデルにしており、厳格ながらも娘思いの父親像が印象的に描かれています。
「カーネーション」は朝ドラ史上最高傑作とも評されるほどの人気を博し、岸和田を舞台にした家族の物語として多くの視聴者の心をつかみました。
さらに2025年5月には、映画「ゴッドマザー〜コシノアヤコの生涯〜」が公開される予定です。
大地真央さんが綾子さん役を、黒谷友香さんがコシノヒロコ役を、鈴木砂羽さんがコシノジュンコ役を、水上京香さんがコシノミチコ役を演じるとのことで、こちらも注目が集まっていますよ。
コシノ三姉妹の家系図と家族構成
綾子さんと武一さんの間に生まれた三姉妹は、全員がファッションデザイナーとして世界的に活躍しています。
長女のコシノヒロコ(小篠弘子)さんは1937年生まれで、和とモダンを融合させたスタイルが特徴です。
1982年にパリ・コレクションに参加し、ロンドンやリオ五輪の体操日本代表ユニフォームデザインも手がけました。
現在の夫は手打ち蕎麦屋を経営する元写真家の村上煕さんで、長女の小篠由佳さんが「ヒロココシノ」の社長、次女の小篠ゆまさんが副社長を務めています。
次女のコシノジュンコ(小篠順子)さんは1939年生まれで、1978年にパリ・コレクションに初参加しました。
文化服装学院時代に「装苑賞」を19歳の最年少で受賞した実力者です。
2017年には文化功労者に選ばれています。
夫はヘアデザイナーの鈴木弘之さんで、息子の鈴木順之さんがJUNKO KOSHINO株式会社の常務取締役を務めていますよ。
三女のコシノミチコ(小篠美智子)さんは1943年生まれで、学生時代はソフトテニスで全国優勝するほどのアスリートでした。
1973年にイギリスに渡り、ロンドンを拠点にブランド「ミチコ・ロンドン・コシノ」を立ち上げ、ストリートファッションのパイオニアとして1980年代のロンドンで一世を風靡しました。
| 姉妹 | 生年 | 拠点 | 代表的な活動 |
|---|---|---|---|
| コシノヒロコ | 1937年 | 大阪 | パリコレ参加、五輪ユニフォームデザイン |
| コシノジュンコ | 1939年 | 東京 | パリコレ22年参加、文化功労者 |
| コシノミチコ | 1943年 | ロンドン | ミチコロンドン創設、ストリートファッション |
三姉妹がそろって世界的デザイナーになった例は他になく、まさに唯一無二のファッション一家と言えますよね。
実家は現在「アヤコ食堂」として公開中
コシノ三姉妹が育った岸和田市五軒屋町の実家は、もともとコシノ洋装店として営業していた建物です。
綾子さんの死後、この生家はリニューアルされ、現在は「おばんざい アヤコ食堂」として1階が食堂、2階がコシノファミリーの記念館として公開されています。
所在地は岸和田市五軒屋町16-11で、南海本線「岸和田駅」から徒歩約5分の場所にあります。
営業時間は11時30分から15時(14時30分ラストオーダー)で、日曜日と岸和田祭前日から終了翌日までが休館日となっています。
2階の記念館では、綾子さんの作品や道具、三姉妹の軌跡に関する展示が行われており、ファッションに興味がある方だけでなく、家族の絆や地域文化に関心がある方にとっても見ごたえのあるスポットになっていますよ。
朝ドラ「カーネーション」の聖地巡礼として訪れるファンも多いそうです。
小篠綾子の祖父のまとめ
- 父方の祖父は兵庫県加西郡若井に住んでいた小篠長蔵である
- 父方の祖母はよねで、長蔵の死後も若井で暮らしていた
- 母方の祖父は大阪府堺市鳳の庄屋・隅谷小一郎である
- 母方の祖母はリエ(旧姓・田川)で、小一郎との間にハナが生まれた
- 隅谷家は「他人の土地を踏まずとも隣の町まで歩ける」ほどの大地主だった
- 隅谷家の家祖は江戸時代の貞享年間の小右衛門とされる
- 父・小篠甚作は元々裕福だったが保証人問題で没落した
- 甚作は呉服屋の番頭として働く中でハナと出会い恋に落ちた
- 母・ハナは隅谷家の令嬢で、明治22年生まれである
- 小篠家のもとの読み方は「オザサ」だった可能性がある
- 綾子の名前には「一生糸偏産業で食べていけるように」との願いが込められている
- 甚作は娘のためにミシンを購入し、謡と引き換えにミシン講習を交渉した
- 夫・川崎武一は紳士服テーラーで婿入り後、戦病死した
- コシノ三姉妹は全員ファッションデザイナーとして世界的に成功している
- 実家は現在「おばんざい アヤコ食堂」として岸和田市で営業中である

