精神科医・作詞家・大学学長と多彩な顔を持つ北山修さんの「家族」、気になっている方は多いのではないでしょうか。
実は北山修さん、本人だけでなく、長女・長男・父親まで全員が医師という、驚くべき「医師一家」だったんです。
子供たちの知られざる経歴から、神社で行ったというシンプルな結婚式のエピソードまで、北山修さんの家族について徹底まとめです。
・北山修の妻・子供・父親のプロフィールと家族構成
・長女・北山英美子と長男・北山徹の経歴と現在の活動
・3世代にわたる医師一家の実像とエピソード
北山修の家族は医師一家!妻・子供・父親を総まとめ
北山修さんの家族について、妻・子供・父親の3つの角度からまとめて紹介します。
医師でもあり、作詞家でもある北山さんの「医師一家」の実像に迫りましょう。
プロフィールと経歴
北山修(きたやまおさむ)さんといえば、「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」「戦争を知らない子供たち」など、時代を超えた名曲の作詞家として知られていますよね。
でも実は、音楽家としての顔はほんの一部に過ぎません。
北山さんの本業は「精神科医」。
しかも九州大学名誉教授、白鷗大学学長と、日本の精神医学・精神分析学を牽引してきた第一人者なんです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 北山修(きたやまおさむ) |
| 生年月日 | 1946年6月19日 |
| 出身 | 兵庫県洲本市生まれ、京都府京都市育ち |
| 学歴 | 洛星中学校・高等学校→京都府立医科大学医学部卒業(1972年) |
| 職業 | 精神科医・臨床心理学者・作詞家・歌手 |
| 現職 | 白鷗大学学長(2021年4月就任)、九州大学名誉教授 |
大学在学中にザ・フォーク・クルセダーズを結成し、1967年から1年限定でプロ活動を開始。
「帰って来たヨッパライ」はオリコン史上初のミリオンセラーを記録するという、まさに伝説の一枚でした。
しかし北山さんは音楽の道より医師の道を選びます。
1972年に京都府立医科大学を卒業後、札幌医科大学での研修医を経て、ロンドンのモーズレイ病院およびキングス・カレッジ・ロンドン精神医学研究所で約2年間の研修。
1980年に北山医院(現・南青山心理相談室)を開設し、精神分析家・心理療法家として活動を始めます。
医師と作詞家という2つの顔を持ちながら、九州大学教授、白鷗大学学長と学術の頂点まで登り詰めた、まさに唯一無二の存在です。
1991年に九州大学教育学部助教授に就任して以降は、研究者・教育者としての道も歩み続け、2021年4月には白鷗大学の第6代学長に就任。
専門は臨床精神医学と精神分析学で、特にイギリスの小児精神分析家・ドナルド・ウィニコットに関する研究では日本の第一人者とされています。
妻は顔や名前を非公開の一般女性
北山修さんが結婚していることは知られていますが、妻についての詳細はほぼ公表されていません。
名前も、顔写真も、職業も一切不明。
北山さんは医療・教育・音楽という3つの分野で長年にわたって公の活動をしてきた人物ですが、家族に関してはとことん口が固いんです。
2026年現在も、妻の氏名・顔写真・職歴など、詳細なプロフィールはまったく公表されていません。
一般的に考えると、北山さんほどの公人であれば週刊誌などにパートナーの情報が出てくることもありますが、今のところそういった報道もなし。
意図的に家族を守るために情報をシャットアウトしているのかもしれませんね。
妻の年齢については、北山さんが1946年生まれということを考えると、同年代であれば2026年現在で70代後半から80歳前後だと推測されます。
現時点では、妻は一般人女性であること以外、確認できる情報はほとんどないというのが実情です。
妻との馴れ初めと神社での簡単な結婚式
妻との馴れ初めについても、具体的な情報は公表されていません。
ただ、北山さんの経歴を追うと、出身は京都市で大学も京都府立医科大学。
大学在学中はザ・フォーク・クルセダーズとして活動しながら作詞家としても多忙な日々を過ごし、卒業後すぐに研修医生活がスタートしています。
そういった生い立ちを踏まえると、妻との出会いは北山さんが大学時代を過ごした京都だった可能性が高いと考えるのが自然ではないでしょうか。
実際、北山さんの著書にはこんな記述があります。
結婚式は神社で「結婚します」とお参りしただけの、とても簡単なものだったとのこと。
派手な披露宴や豪華な結婚式といったものは一切なく、神前でふたりが誓いを立てるだけの、シンプルな結婚だったようです。
……なんか、らしいですよね。
音楽と医学の両方で時代を切り開いてきた人物が、結婚もこんなにシンプルだったというのが、かえって北山さんらしさを感じさせます。
神社の場所については触れられていませんが、京都に縁のある神社だったかもしれません。
夫婦仲は良好?京都でのツーショット目撃情報
妻のことをほとんど明かさない北山さんですが、夫婦仲については、興味深いエピソードが伝わっています。
2016年の秋のこと。
大阪大学の病理学教授だった仲野徹氏(現・大阪大学大学院名誉教授)が、京都の繁華街を散歩していると、白髪の男性が女性と手をつないで歩いているのを目撃したといいます。
仲野氏はその様子を2017年に自身のエッセイにこう書き記しています。
「すごく自然で、映画のシーンのようにかっこよくて、思わず見とれてしまった。顔を見て、あれっ?と思った。北山修とちゃうの。」
「その瞬間、『あの素晴らしい愛をもう一度』が脳内を駆け巡ったのは言うまでもない。」
……最高じゃないですか、このエピソード。
仲野氏も声はかけなかったとのことなので、それが本当に北山さんだったかどうかは確認が取れていません。
でも、もしそれが北山さんご夫妻だったとすれば、40年以上連れ添ってもこれほど自然に手をつないで歩けるふたり——。
「あの素晴らしい愛をもう一度」を作詞した人物の夫婦生活がこれだとしたら、北山さんの家庭は、まさに歌詞そのものを体現するような穏やかな愛に満ちているのかもしれません。
子供は3人で長女・長男ともに現役医師
北山修さんには、子供が3人いると言われています。
長女・長男・次女の計3人で、長女と長男はともに医師として活躍しています。
北山さん本人も医師、父・北山一郎も医師、そして長女・長男も医師——まさに医師一家といえる構成ですね。
ただし、長女の北山英美子さんと長男の北山徹さんが北山修さんの子供であることについて、本人たちや北山さんから公式に認めるコメントが出ているわけではありません。
両者の姓が「北山」であること、出身地・年齢・父親が医師であるという共通点から指摘されているものです。
とはいえ、北山英美子さんが公式インタビューで「医師であった父の影響と母の薦めもあり、自然とこの道を選んでいたという気がしています」と語っていること、そして北山徹さんが「叔父が歯科医をしていた。子どものころ叔父に治療してもらっていました」と話していることから、医療一家であることは間違いなさそうです。
| 続柄 | 名前 | 職業 | 勤務先 |
|---|---|---|---|
| 長女 | 北山英美子 | 形成外科医・美容皮膚科医 | フェミークリニック総院長 |
| 長男 | 北山徹 | 歯科医 | 北山デンタルクリニック銀座院長 |
| 次女 | 非公開 | 不明 | 不明 |
長女の北山英美子はフェミークリニック総院長
長女とされる北山英美子さんは、美容皮膚科「フェミークリニック」の総院長を務めている形成外科医です。
インタビューで「医師であった父の影響と母の薦めもあり、自然とこの道を選んでいたという気がしています」と語っており、父親が医師であることを明かしています。
北山英美子の学歴と経歴
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年 | 1974年頃 |
| 出身地 | 東京都 |
| 出身校 | 東邦大学医学部(1999年卒業) |
| 経歴 | 東邦大学形成外科に入局 |
| 開業 | 2003年、渋谷フェミークリニックを開院 |
| 現職 | フェミークリニック総院長(2006年就任) |
大学を卒業後は形成外科に入局。将来的に美容に進みたいという思いを抱きながら形成外科での経験を積みます。
そして2003年に池袋駅近くに美容皮膚科専門の渋谷フェミークリニックを開院し、その後は新宿院・池袋院・銀座院と順次展開。
2006年にはフェミークリニックの総院長に就任しています。
フェミークリニックの展開
現在フェミークリニックは東京4院・大阪3院の計7院を展開しており、美容皮膚科専門クリニックとして着実に成長しています。
医療法人社団三幸会が運営するこのクリニックの特徴は「メスを使わない」こと。
医療脱毛をはじめ、しみ・しわ・たるみ・にきびなど、女性の肌のあらゆる悩みに対応しています。
北山英美子さんは「日常生活に支障なく誰にも気づかれないまま、あるとき『この人、いつまでも若いわね』となる——これは日本人独特の美意識に因るのではないでしょうか」と語っており、患者に寄り添う医療スタイルが支持されています。
北山英美子さんは、父親から受け継いだ医療への情熱を美容皮膚科という分野で花開かせた、医師一家の長女にふさわしい活躍ぶりです。
長男の北山徹は北山デンタルクリニック銀座院長
長男とされる北山徹さんは、東京・銀座に「北山デンタルクリニック銀座」を構える歯科医です。
インタビューで「叔父が歯科医をしていたんです。それで子どものころ、虫歯で痛い思いをしたときなど、すぐ叔父に治療してもらっていました。泣きたくなるくらいの痛さが、叔父の治療によって魔法のように消えていく。その印象が強く、こういう職業がいいなと思ったのがきっかけです」と話しています。
北山徹の学歴と経歴
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1979年10月26日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 血液型 | O型 |
| 出身校 | 日本歯科大学歯学部(2006年卒業) |
| 研修先 | 日本歯科大学附属病院(2006年〜) |
| 勤務歴 | 山王パークタワー松尾歯科(2007年〜)→清水歯科(2010年〜) |
| 開業 | 2013年3月、北山デンタルクリニック銀座院長就任 |
銀座一丁目駅からわずか徒歩1分という好立地に開業した北山デンタルクリニック銀座。
北山徹さんが大切にしているのは「再治療の必要のない歯科治療」。治療した歯が何十年も使えるよう、将来を見据えた施術を行っています。
また「自分がされてイヤなことはしない」を基本としており、治療内容を事前に写真で見せながら丁寧に説明する姿勢が患者からの信頼を集めています。
趣味は読書とサッカー、好きな言葉は「神は細部に宿る」とのことで、細部へのこだわりが歯科治療への姿勢にもそのまま表れているようです。
叔父の「魔法のような技術」に憧れた少年が、自らも銀座に腕を振るう歯科医として活躍している——なんか、じんわりするエピソードですよね。
次女の情報は非公開
北山さんの子供3人のうち、次女については名前や職業など一切の情報が公表されていません。
長女の北山英美子さん、長男の北山徹さんがともに医師として公の場で活動しているのとは対照的に、次女は完全に一般人として生活しているようです。
ブログやSNSといった公の発信も確認されておらず、現時点では詳細を知る手がかりがありません。
長女・長男が医療の道を歩んでいることから「次女も医療関係では?」と見る向きもありますが、それはあくまで推測に過ぎません。
プライバシーを徹底的に守る北山さんご一家の姿勢を考えれば、次女が自ら表舞台に出ることを望んでいないのかもしれませんね。
父・北山一郎も医師で京都に北山医院を開業
北山修さんが医師の道を歩んだ背景には、父・北山一郎さんの存在があります。
北山一郎さん自身も医師でした。
太平洋戦争中に応召して満州に出兵しましたが、現地で結核にかかって内地へ送還。療養後、JR京都駅から徒歩5分という好立地に「北山医院」を開業しました。
父親が医師として地域に根ざした開業医を営んでいたことが、北山修さんにとって医師を志す大きな動機になったのかもしれません。
北山医院のその後
その後、父・北山一郎さんが急逝。
北山修さんがしばらくの間、北山医院を引き継ぎますが、北山修さん自身が東京での開業を決意したため、大学の同級生だった西澤明彦さんに北山医院を引き渡します。
その後「西澤内科医院」と改名されましたが、2022年には川口隆作さんが医院長に就任し、「川口内科医院」という名前に変更されています。
北山修さんは1980年に東京・南青山に「北山医院(現・南青山心理相談室)」を開設し、以降は精神分析家・心理療法家として活動。
父から受け継いだ「北山」の名を医院名に刻みながら、独自の道を切り開いていきました。
祖父から父へ、父から子供たちへと医療の精神が受け継がれてきた——北山家は3世代にわたる医師一家なんです。
北山修の家族を調べる人向けの関連情報
北山修さんの家族を調べるなかで気になる、現在の活動や人生のエピソードについてもご紹介します。
現在の活動と白鷗大学学長としての顔
2010年に九州大学を定年退職した北山修さんですが、その後も精力的な活動を続けています。
2010年4月からは白鷗大学教育学部特任教授に就任。
2013年には副学長に昇任し、2021年4月には白鷗大学の第6代学長に就任しました。
2026年現在も学長として大学経営の最前線に立ちながら、精神分析家・心理療法家としての臨床活動も継続中です。
また音楽活動も断続的に続けており、2023年には加藤和彦さんのトリビュートバンド「トノバンズ」の一員として埼玉・狭山市のハイドパーク・ミュージック・フェスティバルに出演しました。
精神医学・教育・音楽という3つの世界を縦横無尽に行き来しながら、70代後半になった今も現役であり続けている北山修さん。
そのバイタリティはいったいどこから来るのでしょうか。
医師・学者・作詞家として半世紀以上を走り続けてきた北山修さんは、2026年現在も多方面で精力的に活動を続けています。
盟友・加藤和彦の死に際して残したコメント
北山修さんを語るうえで欠かせないのが、ザ・フォーク・クルセダーズの盟友・加藤和彦さんとの関係です。
2009年10月、加藤和彦さんが長野県軽井沢のホテルで62歳という若さで自ら命を絶ちました。
晩年うつ病を患っていた加藤さん。精神的に不安定な状況が続いていたといわれています。
北山さんは精神科医として加藤さんの変化に気づき、心配していたとも伝えられています。
訃報に際して、北山さんはこんなコメントを残しています。
「加藤和彦は全てが一流の演奏者」
「1人の人物の中に音楽家と演出家という、2つのあり得ない役割が両立するがゆえに、なかなか満足が得られない天才の不幸があった」
「友人として、病を食い止めるべき精神科医として無念に思う」
……正直、このコメントを読むと胸が痛くなりますよね。
友人として深い悲しみを抱えながら、一方で精神科医として「なぜ止められなかったのか」という無念さも滲み出ています。
加藤さんの密葬では出棺前に挨拶に立ち、「加藤君には2人の人間がいた」と冷静に語りながらも、「最後の幕引きでみんなの意見を聞いてくれなかった」と悔しさをにじませた北山さん。
盟友の死を乗り越えて音楽活動を再開した北山さんの姿勢には、精神科医として「生きることの意味」を誰よりも深く考えてきた人ならではの強さがあります。
医師一家への世間の声まとめ
北山修さんの家族が医師一家であることを知ったネット上では、さまざまな声が上がっています。
「本人も医師で子供も医師で親も医師って、どんな遺伝子なんだ」「歌でも才能を発揮し、医師としても大学教授・学長まで上り詰めるって、もはや人間じゃない(笑)」「フォークルのあの歌が北山修さんの作詞だったと知ってびっくり。しかも精神科医で大学学長って…」
また長女の北山英美子さんについては、「フェミークリニックの院長先生のお父さんがあの北山修なのか! すごい一家だ」「キャリアウーマンって感じで格好良い。お父さんの影響を受けてちゃんと医師になったんだね」といった声も。
長男の北山徹さんについても「銀座で歯科医院やってるって知って驚いた。あの北山修の息子なのか」「叔父に憧れて歯医者になったエピソードが温かい」などの反応があります。
音楽界に名を刻んだ父と、それぞれの医療分野で活躍する子供たちという北山家の構図は、多くの人が「才能と努力の一家だ」と感心する共通認識のようです。
医師・音楽家として半世紀以上を生き抜いてきた北山修さん。その家族もまた、それぞれの分野でひたむきに働き続けているというのが、世間の温かいまなざしを集めているようです。
北山修の家族のまとめ
- 北山修は1946年6月19日生まれ、精神科医・臨床心理学者・作詞家・歌手
- 京都府立医科大学を卒業後、医師の道と音楽家の道を両立した
- 代表作詞に「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」「戦争を知らない子供たち」など
- 2021年4月より白鷗大学第6代学長に就任、現在も現役
- 妻は一般女性で名前・顔写真・職業は非公開
- 妻との結婚式は神社でのお参りだけという、非常にシンプルなものだったとされる
- 2016年秋に京都の繁華街で妻と手をつなぐ姿が目撃されたとのエピソードがある(同一人物かは未確認)
- 子供は3人(長女・長男・次女)で長女と長男は医師
- 長女の北山英美子は東邦大学医学部出身の形成外科医で、美容皮膚科「フェミークリニック」の総院長
- 長男の北山徹は日本歯科大学歯学部出身の歯科医で、「北山デンタルクリニック銀座」の院長
- 次女の情報は非公表で、一般人として生活しているとみられる
- 父・北山一郎も医師で、戦後に京都駅近くに北山医院を開業した
- 北山医院はその後西澤内科医院→川口内科医院と引き継がれている
- 北山英美子と北山徹の2人が北山修の子供であることは本人たちから公式に確認されていない
- 家族全体として3世代にわたって医療に携わってきた医師一家として知られている


