画家バルテュスの妻として、パリコレの会場でも着物姿で人目を引いてきた出田節子さん。
日本を離れて60年以上が経ちますが、その名前は今もたびたび検索されています。
出田節子さんの現在を調べてみると、80代半ばになった今も画家として筆を持ち、スイスの山あいにある巨大な木造建築で暮らしていることが分かります。そして近年は、故郷である熊本との縁が急に表に出てきました。
・出田節子さんの現在の肩書きと、暮らしている場所
・2025年に熊本県菊池市の応援大使へ任命された背景
・バルテュスと結婚するまでの生い立ちと、家族のこと
出田節子の現在はスイス在住の画家|84歳で続けている活動と肩書き
まず、出田節子さんが今どこで何をしているのかを整理します。
結論からいえば、活動の拠点は日本ではありません。スイスの小さな村に暮らし、画家として、そして亡き夫の作品を守る立場として動いています。
現在の本名は「節子・クロソフスカ・ド・ローラ」
出田節子というのは日本名で、現在の本名は節子・クロソフスカ・ド・ローラといいます。
1967年に画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ)と結婚したことで、この名前になりました。
近年の報道や公式のプレスリリースでは、ほぼこちらの名前で紹介されています。「出田節子」で検索しても最新の情報が出てきにくいのは、そのためです。
生まれは1942年。2026年8月時点で84歳を迎える年齢にあたります。
住まいはスイス・ロシニエールの「グラン・シャレ」
出田節子さんの現在の住まいは、スイス西部の村ロシニエールにある「グラン・シャレ」です。
この建物はスイス最大級の木造建築として知られ、国の重要文化財に指定されています。もともとは18世紀に建てられたもので、バルテュスが晩年の四半世紀を過ごした家でもあります。
バルテュスの死後もこの家を離れず、そのまま暮らし続けている点が、出田節子さんの現在を語るうえでの中心にあります。
バルテュス財団の名誉会長として作品を守っている
バルテュスが亡くなったのは2001年です。
その翌年にあたる2002年、出田節子さんはバルテュス財団を設立し、名誉会長を務めています。
財団の役割は、夫が残した作品の管理と、その評価を後世へつないでいくことです。2014年に東京都美術館で開かれたバルテュス展にも全面的に協力しており、日本での大規模な回顧展が実現した背景には出田節子さんの存在がありました。
夫を支えた妻というより、作品の管理者としての立場が現在は前面に出ているといえます。
2005年にユネスコの「平和のアーティスト」に選ばれている
出田節子さんは2005年、ユネスコから「平和のアーティスト(平和芸術家)」に任命されました。
これは芸術を通じて国際的な相互理解に貢献した人に与えられる称号です。日本人でこの肩書きを持つ人は多くありません。
画家としての制作に加えて、日本とヨーロッパの文化をつなぐ役割を担ってきたことが、この任命につながっています。
2025年10月、熊本県菊池市の「ふるさと菊池応援大使」に任命された
出田節子さんの現在で、もっとも新しい動きがこれです。
2025年10月27日、熊本県菊池市は節子・クロソフスカ・ド・ローラさん(当時83歳)を「ふるさと菊池応援大使」に任命しました。同日には市内の廣現寺で「故郷」と題した文化講演会も開かれています。
菊池市との関わりは今回が最初ではありません。以前にも菊池市観光大使を務めており、長年にわたって交流が続いていました。今回の任命は、その関係を改めて結び直したものにあたります。
なぜ東京生まれの出田節子さんが熊本の大使なのか。その理由は、旧姓「出田」のルーツにあります(後半で詳しく触れます)。
2026年5月にはテレビ朝日『プラチナファミリー』にも登場
日本のテレビで姿を見る機会も、まったくないわけではありません。
2026年5月12日放送のテレビ朝日系『プラチナファミリー~華麗なる一族をのぞき見』に、出田節子さんが登場しています。番組では誕生会でのインタビューと、グラン・シャレでの暮らしぶりが紹介されました。
「最近見ない」と感じている人がいるとすれば、それは引退したからではなく、生活の場が日本にないからです。露出の頻度は低いものの、活動そのものは途切れていません。
熊本の眼科病院にいる「出田節子」とは別人
検索するときに気をつけたいのが、同姓同名の存在です。
熊本県にある出田眼科病院の歴史をたどると、理事長を継いで経営管理を担当した「出田節子」という人物が出てきます。こちらは医療法人の関係者で、バルテュス夫人とは別の人物です。
どちらも熊本と縁のある「出田」姓のため、検索結果が混ざりやすくなっています。画家としての現在を調べているなら、「節子・クロソフスカ・ド・ローラ」で探したほうが確実です。
出田節子がバルテュス夫人になるまで|生い立ちと家族の記録
現在の姿を見たうえで気になるのが、日本人女性がどうしてスイスの重要文化財に住むことになったのか、という点です。
きっかけは、大学生のときの一度の出会いでした。
1942年東京生まれ、ルーツは熊本・菊池一族
出田節子さんは1942年、東京に生まれました。
生まれ育ちは東京ですが、家系のルーツは熊本県菊池市の花房にあります。旧姓の「出田(いでた)」は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて名を馳せた豪族・菊池一族の分家にあたる家名です。
菊池市が応援大使に任命した理由も、まさにここにあります。出田節子さん自身、菊池一族の末裔であることを誇りに思っていると語っており、それが長年の交流につながってきました。
なお、先祖をめぐっては西郷隆盛や毛利元就との関わりを挙げる話も見かけますが、こちらは公的な資料で確認できる内容ではありません。確かなのは、菊池一族の流れを汲む家であるという点です。
上智大学在学中、20歳でバルテュスと出会った
森村学園高等部を経て、出田節子さんは上智大学のフランス語科へ進みました。
運命が変わったのは1962年、20歳のときです。パリで開かれる日本古美術展の作品を選ぶために来日していた画家バルテュスと出会いました。当時のバルテュスは、すでにシュルレアリスムの巨匠として名を確立していた人物です。
この出会いのあと、出田節子さんは大学を中退しています。20歳の学生が、それまでの進路をすべて手放す選択をしたことになります。
1967年、34歳差での結婚
2人が結婚したのは1967年です。
バルテュスは出田節子さんより34歳年上でした。当時としても、国籍と年齢の両方でかなり異例の結婚だったといえます。
結婚後はローマで15年ほどを過ごしました。バルテュスがローマのフランス・アカデミー館長を務めていた時期にあたります。
長男フミオを2歳で亡くしている
家族の記録として外せないのが、長男の存在です。
1968年、2人のあいだに長男フミオさんが生まれました。しかしフミオさんは2歳のときに病気で亡くなっています。
出田節子さんの家族を調べると子供は長女だけが挙がることが多いのですが、その前に一人の子供を失っているという事実があります。
長女ハルミはジュエリーデザイナー
1973年には長女のハルミ・クロソフスカ=ド=ローラさんが誕生しました。
ハルミさんはジュエリーデザイナーとして活動しています。芸術に携わる道を選んだという点では、両親の影響が色濃く出ているといえるでしょう。
グラン・シャレでの暮らしを追った映像作品なども残されており、母娘そろって取り上げられる機会があります。
1977年にローマからスイスのグラン・シャレへ移った
一家がスイスへ移ったのは1977年です。
ローマでの生活を終え、ロシニエールのグラン・シャレへ居を移しました。以来、出田節子さんはこの家に住み続けています。現在まで、およそ半世紀にわたる暮らしです。
バルテュスの作風がスイス移住を境に、生々しい官能性から神聖さを帯びた表現へと変わっていったことは、たびたび指摘されています。その変化の時期を、すぐ隣で見ていたのが出田節子さんでした。絵の具の準備など、制作そのものを手伝ってもいたと語られています。
自身も画家として制作を続け、2012年には絵本も出版
「バルテュスの妻」という肩書きが強すぎるため見落とされがちですが、出田節子さんは自身も画家です。
バルテュスは彼女を競争相手として扱うことはなく、描き方を押しつけることもないまま、本人が自分の美しさを見つけていくのを助けたと伝えられています。
2012年には初の絵本も出版しており、随筆家としての著作もあります。夫の死後20年以上が経っても制作を続けているところが、出田節子さんの現在を単なる「未亡人」で語れない理由です。
着物を貫いてきたことが今も注目される理由
出田節子さんの写真を見ると、ほとんどが着物姿です。
ヨーロッパで60年以上を過ごしながら、公の場では和装を通してきました。パリコレクションの会場でも、その姿は強い印象を残しています。
ユネスコの平和のアーティストに選ばれた背景にも、この姿勢があります。和と洋を融合させた暮らしと表現を、生活そのものの形で示し続けてきたわけです。日本を離れて長い人が、日本の名前と装いで語られ続けている理由がここにあります。
まとめ|出田節子の現在は画家・財団名誉会長としてスイスで続いている
出田節子さんの現在について、確認できたことを整理します。
・現在の本名は節子・クロソフスカ・ド・ローラ。1942年生まれで2026年時点で84歳
・住まいはスイス・ロシニエールの「グラン・シャレ」。スイス最大級の木造建築で国の重要文化財
・バルテュス財団の名誉会長を務め、自身も画家として制作を続けている
・2005年にユネスコの「平和のアーティスト」に任命された
・2025年10月27日、熊本県菊池市の「ふるさと菊池応援大使」に任命された
・2026年5月にはテレビ朝日『プラチナファミリー』にも出演している
生まれは東京ですが、旧姓「出田」は熊本・菊池一族の分家にあたる家名です。1962年に来日中のバルテュスと出会い、上智大学を中退して1967年に34歳差で結婚。1968年に生まれた長男フミオさんを2歳で亡くし、1973年に長女ハルミさんが誕生しました。ローマで15年を過ごしたのち、1977年からスイスのグラン・シャレに暮らしています。
なお、熊本の出田眼科病院の経営に関わった「出田節子」は同姓同名の別人です。検索する際は混同しないようご注意ください。


