「バレンタインに歌詞を書いてほしい、ホワイトデーに曲をプレゼントするから」——そんなロマンチックなお願いをお母さんにしていたのが、幾田りらさんのお父さんです。
ネット上では三井物産役員ではないかという噂が広がっていますが、幾田りらさん自身は「普通の会社員」とはっきり語っています。
この記事では、父親の職業・年収・噂の真相から、幾田りらさんが音楽の道を歩んだ原点にあるエピソードまで、詳しく解説します。
・幾田りらさんの父親の職業と三井物産役員説の真相
・転勤が多い父親が曲で絆をつないだロマンチックなエピソード
・音楽一家・幾田家の家族構成と経済力の実態
幾田りらの父親はどんな人?職業・年収・音楽への影響を徹底調査
YOASOBIのikuraとして知られる幾田りらさんのシンガーソングライターとしての才能は、どこから来たのでしょうか。
その答えのカギを握るのが、ギターを愛する父親の存在です。
職業の噂から音楽的な影響まで、詳しく見ていきましょう。
父親は「普通の会社員」と本人が語った理由
幾田りらさんの父親がどんな人物なのか、まず本人の言葉から確認してみましょう。
2023年3月12日放送の「おしゃれクリップ」(日本テレビ)に出演した幾田りらさんは、父親のことをこう話しています。
「父が(趣味で)結構弾き語りとかを家でしてくれるような。普通の会社員なんですけど、自分で曲を作って歌ったり」
ここ、ちょっと注目していただきたいんですが、幾田りらさんは「普通の会社員」という言葉をわざわざ使っています。
つまり、音楽業界の人ではないこと、芸能人でも音楽プロデューサーでもないことを自ら明言しているわけですね。
ネット上では「三井物産の役員では?」「大企業の幹部に違いない」という噂が広がっていますが、幾田りらさん本人がきっぱり「普通の会社員」と語っているのが最大のポイントです。
もちろん「普通の会社員」といっても、どんな規模の会社でどのくらいのポジションなのかは別の話。
シカゴ勤務歴があり、4人の子供を全員私立大学に通わせているという実態を考えると、決して平均的な会社員とは言えないかもしれません。
それでも、幾田りらさんが「父は音楽のプロじゃないよ」と伝えたかった気持ちはよく伝わってきます。
父親が音楽家でもないのに、家庭に音楽を根付かせてくれた——それが幾田りらさんにとって大切な出発点だったのでしょう。
幾田りらさんの父親は、本人の発言を踏まえると音楽業界とは無縁の会社員であることが最も確かな情報です。
職業は三井物産関連企業の役員という噂は本当か
ネット上で広く語られているのが、父親が三井物産と代理店契約を結ぶ「株式会社ハーモニック・ドライブ・システムズ」の執行役員ではないかという説です。
これは完全な空想ではなく、ある程度の状況証拠に基づいています。
同社の役員名簿に「幾田哲雄」という人物が掲載されており、この方の経歴が幾田りらさんの家族背景と複数の点で重なるのです。
幾田哲雄さん説の根拠
具体的に挙げると、以下のような一致点があります。
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 苗字の希少性 | 「幾田」は日本国内に約1,500人ほどの珍しい苗字 |
| シカゴ赴任歴 | 幾田哲雄さんにもシカゴ勤務歴があり、幾田りらさんの幼少期(3歳頃まで)のシカゴ生活時期と重なる |
| キャリア | 三井物産入社後、関連企業への出向・役員就任という流れ |
| 年齢 | 2000年生まれの幾田りらさんの父親として自然な世代 |
これだけ条件が揃うと、「偶然かな?」と思いながらも気になってしまいますよね。
ただし、幾田哲雄さんが幾田りらさんの父親であるという公式な情報は一切存在しません。
本人も事務所も公表していないため、現時点ではあくまでも「状況証拠が重なっている仮説」の域を出ません。
幾田りらさん自身が「普通の会社員」と述べているため、役員クラスではなく一般社員の可能性もゼロではありません。
ただ、4人の子供を私立一貫校に通わせ、シカゴへの家族帯同を実現していることを考えると、一定以上のポジションにいたことは想像に難くないです。
三井物産関連企業の役員説は状況証拠に基づく仮説であり、公式に確認されたわけではありません。断定的に「役員だ」とするのではなく、「可能性の一つ」として捉えるのが正確です。
父親の年収はどのくらい?裕福な家庭環境の根拠
父親の年収について具体的な数字は公表されていませんが、生活環境から推測することはできます。
まず、幾田りらさんの実家の状況を整理すると以下のようになります。
| 状況 | 内容 |
|---|---|
| 海外生活 | 幼少期にシカゴへの家族帯同(3年程度) |
| 学校 | 明星学園小・中・高(私立一貫校) |
| 大学 | 日本大学芸術学部(音楽学科) |
| 兄弟 | 4人全員を私立大学まで進学させた |
| 文化活動 | ミュージカル劇団所属、ニューヨーク・ワシントンの公演参加 |
| 居住 | 東京都内で6人家族が住める一軒家(推定) |
これだけを見ると、相当な経済力があることは間違いありません。
4人の子供を私立一貫校から大学まで通わせるだけでも、教育費だけで相当な金額になります。
さらにニューヨーク・ワシントンへのミュージカル公演参加を実現させているなど、文化的な経験にも惜しみなく投資していた様子です。
もし仮に三井物産関連企業の執行役員クラスであれば、一般的な目安として年収2,000万円前後のケースもありますが、これはあくまで一般論です。
個人の年収は役職・業績・勤続年数によって大きく異なりますし、役員でなくても高年収の場合もあります。
正確な年収は不明ですが、生活実態から考えると平均を大きく上回る収入があったことは確かといえます。幾田りらさんが「父は普通の会社員」と語る謙虚さの背景に、実態以上の控えめな表現がある可能性もあります。
転勤が多くシカゴへ!曲で絆をつないだ父と母の関係
幾田りらさんの父親について語る上で、絶対に外せないエピソードがあります。
2025年5月発売の「週刊文春」に掲載されたインタビューで、幾田りらさんはこんなことを明かしました。
「父が仕事で転勤が多かったので、言ってしまえばずっと遠距離恋愛みたいなものだったんです。だから曲で絆をつないでいたのかなって子供ながらに思っていました」
……これ、なんかじんわりしませんか。
父親が仕事で各地を転勤し、家族と離れて過ごすことも多かった。
そんな状況でも、お父さんとお母さんは音楽を使って気持ちをつないでいた——そのエピソードを「子供ながらに感じていた」と語る幾田りらさんの言葉に、思わず胸が温かくなります。
生後10か月からおよそ3歳まで幾田りらさん一家が暮らしていたシカゴも、父親の海外赴任に伴うものとみられています。
大手企業の海外駐在には家族を帯同できるケースも多く、当時の幾田りらさんはまだ物心もつかないような赤ちゃんの時期にアメリカで暮らし始めたのです。
帰国後も転勤が続いた時期があったとすれば、両親が離れていながらも夫婦としての絆を大切にしていたことになります。
その絆のツールが「音楽」だったというのは、音楽家・幾田りらの誕生を語る上で本質的なエピソードだと感じます。
父親の転勤が多かったという事実は、幾田りらさんが「音楽を人と人をつなぐもの」として感じてきた原体験にあたります。
ギター弾き語りが日課の父親が幾田りらに与えた音楽的影響
幾田りらさんが音楽の道を選んだ背景として、父親の存在は切っても切り離せません。
「物心ついた時から、父が家でギターを弾いていたり、気づけば家庭に音楽が溢れていた」——これは幾田りらさんが音楽雑誌のインタビューで語った言葉です。
父親はギターを使って弾き語りをするのが日課で、キャンプや船旅の仲間と一緒に歌うための自作曲を作るほどの音楽好きでした。
プロの演奏家でも音楽教師でもなく、生活の中に音楽が自然に溶け込んでいる人——そんな父親の背中を見て育った幾田りらさんにとって、「歌う」「曲を作る」という行為はとても身近なものだったはずです。
文春オンラインのインタビューでは、「家の中に歌を歌っている人が自然にいる、みたいな状況があったんです」とも語っています。
これはすごいことだと思いませんか。
特別な音楽教室に通わせたわけでも、英才教育をしたわけでもない。
ただ、家に「音楽を楽しむ人」がいた。
それだけで、幾田りらさんは物心ついたときから「歌手になりたい」という夢を持つようになっていたのです。
父親が好んでいたのはフォークソングやカントリーソングなど、言葉と情景を大切にするジャンルでした。
幾田りらさんの楽曲を聴くと、どこか温かみがあって、言葉がすっと心に入ってくる感覚があります。
その感性の土台には、幼いころから聴いていた父親の弾き語りが影響している——そんなふうに感じることができます。
また、YOASOBIが大ヒットした後、父親は「幾田家から音楽家が出た」と非常に喜んでいたそうです。
自分自身が音楽を愛していたからこそ、娘がプロの音楽家になったことへの喜びは人一倍だったのでしょう。
父親のギター弾き語りという日常の風景が、幾田りらさんの音楽家としての出発点になっています。
バレンタインに歌詞・ホワイトデーに曲を贈り合う両親のエピソード
幾田りらさんがシンガーソングライターを目指すきっかけになったエピソードとして、最も有名なのが「バレンタイン&ホワイトデーの贈り物」の話です。
幾田りらさん自身が複数のメディアで語っています。
小学校5〜6年生の頃、父親がお母さんへの贈り物として「バレンタインデーに歌詞をつくってほしい。ホワイトデーに曲をプレゼントしたいから」とお願いしたのだそうです。
……どういう夫婦なんですか(笑)。でも、なんかすごくロマンチックですよね。
お母さんが歌詞を書き、お父さんがそこにメロディをつけてホワイトデーにプレゼントする——既製品のお菓子やプレゼントではなく、手作りの「曲」を贈り合う夫婦。
文春のインタビューで幾田りらさんはこんなふうに語っています。
「身近な人が、自分の言葉とメロディーで想いを書いてプレゼントするっていうことをやってたのが、結構自分の中で大きくて。私も”歌手になりたい=シンガーソングライターになりたい”って、”曲を書きたい”っていうのが自然と湧き出てきた」
つまり、このエピソードが単なる「両親が仲良し」という話ではなく、幾田りらさんが「歌を書いて誰かに届ける」という行為に意味を見出すきっかけになっているんですよね。
実際、幾田りらさんは小学6年生のとき、卒業して別の中学校に行く友達のために曲を書き、校舎の裏でギターを担いでサプライズで歌ったそうです。
これはまさに、両親が見せてくれた「音楽で気持ちを伝える」という姿を自分なりに実践したものだと言えます。
父と母がバレンタイン・ホワイトデーに曲を贈り合うエピソードは、幾田りらさんがシンガーソングライターを目指した直接的なきっかけの一つです。
幾田りらの父親を調べる人向けの関連情報
父親の職業や年収だけでなく、幾田りらさんの家族全体についても気になる方に向けて、実家・兄弟・母親の情報をまとめました。
実家はお金持ち?私立一貫校や海外生活から見える経済力
幾田りらさんの実家がいわゆる「お嬢様」「お金持ち」と言われるのには、いくつかの根拠があります。
まず目を引くのが、小学校から高校まで私立一貫校の明星学園に通っていたという点です。
明星学園は東京の武蔵野市・三鷹市に位置する私立校で、小栗旬さん・宮崎あおいさん・土屋アンナさんなど多くの著名人を輩出しています。
高校の同級生には女優・小野莉奈さんもいます。
そして4人兄弟全員を大学まで進学させているという点も重要です。
姉・さくらさんは桐朋学園音楽大学(木村拓哉の長女・cocomiさんが通った音楽校としても知られます)を卒業しており、学費だけでも相当な金額です。
ニューヨーク・ワシントンのミュージカル公演参加・都内一軒家の可能性
さらに、幼少期のエピソードとして、姉・さくらさんとともに「劇団YPA」に所属し、2009年のニューヨーク・ワシントンでの国際公演にも参加していることが確認されています。
海外での公演参加となると、旅費や宿泊費などもかかり、一般家庭では簡単に実現できるものではありません。
また、2020年にX(旧Twitter)に投稿された雪だるまの写真から、自宅の敷地内と思われる場所で雪だるまを作っていることがわかります。
東京都内で6人家族が住める一軒家に住んでいるとすれば、それだけでも相当な経済力の証拠と言えるでしょう。
幾田家がいわゆる「お金持ち」と見られるのは、複数の生活実態から自然に導かれる見方です。ただし「お嬢様」といっても、幾田りらさん本人は中学生から路上ライブをするなど、地に足のついた努力を重ねていることも忘れてはなりません。
6人家族の構成は?兄と姉2人と末っ子りらの音楽一家
幾田りらさんは両親と3人の兄姉を含む、6人家族の末っ子です。
4人きょうだいの一番下として生まれ、上には長男・長女・次女がいます。
| 続柄 | 情報 |
|---|---|
| 父親 | 会社員。ギター弾き語りが趣味。海外赴任歴あり |
| 母親 | 名前は「恵里子」。おしゃれで料理上手 |
| 長男 | 幾田りらさんの12歳年上。ギターが弾ける |
| 長女 | 詳細不明 |
| 次女・さくら | 4歳年上。桐朋学園音楽大学卒。幼少期にミュージカル活動 |
| 三女・りら | 末っ子。YOASOBI・ikura、シンガーソングライター |
年齢差が大きい家族構成で、お兄さんは干支まで幾田りらさんと同じ(12歳差なので)。
久しぶりに実家に帰ってきたお兄さんにギターを弾いてもらったというSNSの投稿(現在は削除)もあり、兄弟仲は良さそうです。
末っ子として、異なる世代の兄姉たちの文化に触れながら育った幾田りらさんにとって、この大家族の環境が感性の幅を広げた可能性は高いです。
4人きょうだいそれぞれが音楽と関わりを持つ、幾田家は本物の音楽一家です。
兄はギターが弾ける!12歳上の長男と次女さくらの活動
幾田りらさんの兄弟の中で、情報が比較的多く出ているのが12歳年上の長男と4歳年上の次女・さくらさんです。
お兄さんは父親譲りのギターが弾け、以前のX(旧Twitter)で「久しぶりに実家に帰ってきたお兄ちゃんにギター弾いてもらいました」という投稿もありました(現在削除済み)。
12歳差という大きな年の差から、幼少期には一緒に遊ぶ機会は少なかったかもしれませんが、それでも家族の音楽文化を共有する存在として影響を与えていたでしょう。
次女・さくらさんについては、より多くの情報が確認されています。
幼少期から幾田りらさんとともに「劇団YPA」のミュージカルに所属し、2009年のニューヨーク・ワシントン国際公演にも一緒に参加していることが出演者名簿から確認できます。
その後、桐朋学園音楽大学に進学し、2018年には「管楽アンサンブルの夕べ」に「Tp.幾田さくら」として出演記録も残っています。
つまり、トランペット奏者として活動していたことになります。
幾田りらさんも中学時代にアンサンブル部でトランペットを担当していましたが、これはお姉さんの影響があったのかもしれませんね。
現在のさくらさんの活動については公表されていませんが、音楽への深い素養を持つ方であることは確かです。
兄弟姉妹が皆何らかの形で音楽に関わっており、幾田家の音楽への親しみは父親だけでなく家族全体に根付いています。
母親・恵里子のプロフィールとラブラブなエピソード
幾田りらさんのお母さんの名前は「恵里子」さんです。
残念ながらお母さんの写真や詳しい経歴は公表されていませんが、幾田りらさんのSNSからその人柄が垣間見えます。
おしゃれで、幾田りらさんが服を借りることがあるほど。
手作りのケーキやお菓子が得意で、幾田りらさんがSNSに「お腹ペコペコで家帰ってきてこれ出てきて泣きそうになった笑 お母さんいつもありがとう」とロコモコ丼の写真を投稿したこともあります。
また、幾田りらさんが所属していた音楽ユニット「ぷらそにか」の2周年ライブをお母さんが撮影していたり、メンバーに衣装を貸し出したりと、娘の活動を全力でサポートしています。
何より、バレンタインデーに歌詞を書いて夫にプレゼントし、ホワイトデーに曲としてお返しをもらうというロマンチックなエピソードからも、素敵な方であることが伝わってきます。
幾田りらさんの名前「りら」の由来にも、お母さんが深く関わっています。
出生届を出す際、当初は「こころ」という名前にするつもりだったところ、お母さんが「なんか『りら』っていうのが降ってきた!」と電話で伝え、急遽「りら」に変更されたのだそうです。
ライラックのフランス語読み「りら」が、後付けで由来になったというユニークなエピソードです。
恵里子さんは幾田りらさんの音楽活動を側で支え続けた、愛情深い母親です。バレンタインに夫へ歌詞を贈るセンスを持つ方ですから、幾田りらさんの言葉への感性はお母さんからも受け継いでいるのかもしれません。
幾田りらの父親のまとめ
- 幾田りらさんの父親は本人が「普通の会社員」と公言しており、音楽業界人ではない
- ギターの弾き語りを日課とする音楽好きで、フォーク・カントリー系の自作曲も作っていた
- 仕事上の転勤が多く、家族と離れて「遠距離恋愛状態」になることもあった(本人語る)
- バレンタインに母が歌詞を書き、ホワイトデーに父が曲をつけて返すロマンチックなエピソードがある
- このエピソードが幾田りらさんがシンガーソングライターを目指したきっかけの一つ
- 父親の仕事に伴い、幾田りらさんは生後10か月頃からおよそ3歳までシカゴで生活していた
- 三井物産関連企業「ハーモニック・ドライブ・システムズ」の執行役員・幾田哲雄さんが父親ではないかとする説があるが、公式確認はなし
- 「幾田」という苗字は日本国内に約1,500人ほどの珍しい苗字であり、一致の可能性が注目されている
- 4人きょうだい全員を私立一貫校・大学まで進学させており、経済的に恵まれた家庭とみられる
- 東京都内で6人家族が暮らせる一軒家(推定)に住んでいた可能性がある
- YOASOBI大ヒット後、父親は「幾田家から音楽家が出た」と喜んでいたと伝えられている
- 母親の名前は「恵里子」、おしゃれで料理上手、幾田りらさんの音楽活動を側面からサポートしていた
- 長男は12歳年上でギターが弾け、次女・さくらさんは4歳年上で桐朋学園音楽大学卒・トランペット担当
- 父・母・兄・姉ともに何らかの形で音楽に関わる、音楽一家である
- 幾田りらさんの名前「りら」は、出生届直前に母が「りらが降ってきた!」と電話で変更を申し出たことに由来するエピソードがある


