吉田美和の結婚歴は2回!前夫・末田健との死別と鎌田樹音との再婚まとめ

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吉田美和さんの結婚歴には、愛する人を癌で失った「死別」と、その悲しみを乗り越えて19歳年下の男性と再婚するというドラマが詰まっています。

「共に白髪が生えるまで」と誓った相手がわずか3年で逝ってしまうなんて、想像するだけで胸が痛いですよね…。

この記事では、最初の事実婚相手・末田健さんとの壮絶な闘病エピソードから、現在の夫・鎌田樹音さんとの馴れ初め、再婚のきっかけとなった東日本大震災のエピソードまで、吉田美和さんの結婚歴を時系列で詳しくまとめています。

この記事を読むとわかること
・吉田美和の最初の事実婚相手・末田健の人物像と死因
・現在の夫・鎌田樹音(JUON)との馴れ初めと19歳差の結婚事情
・再婚を決意したきっかけと現在の夫婦仲エピソード

吉田美和の結婚歴と2人の夫の物語

吉田美和さんの結婚歴には、愛する人との死別という悲劇と、その悲しみを乗り越えての再婚という、ドラマチックなストーリーが詰まっています。

まずは最初の事実婚の相手・末田健さんとの関係から、現在の夫・鎌田樹音さんとの馴れ初めまで、時系列で詳しく解説していきます。

最初の夫・末田健はどんな人物だったか

DREAMS COME TRUEのボーカル・吉田美和さんと事実婚関係にあったのが、映像ディレクターの末田健さんです。

1974年生まれの末田さんは、吉田さんより9歳年下。

東放学園専門学校放送芸術科を卒業後、株式会社セップ(SEP)に入社し、映像制作の世界に入りました。

項目 内容
本名 末田 健(すえだ たけし)
生年 1974年生まれ
没年 2007年9月26日(享年33歳)
職業 映像ディレクター
学歴 東放学園専門学校放送芸術科卒
所属 株式会社セップ(SEP)

末田さんはミュージックビデオのディレクターとして、数多くのアーティストの代表作を手がけた実力者でした。

m-flo「come again」、浜崎あゆみ「walking proud」、大塚愛「金魚花火」、EXILE「song for you」、加藤ミリヤ「Last Summer」、東方神起「Stay With Me Tonight」など、今でも名作として語られるPVが並びます。

当時の音楽シーンで最前線を走っていた末田さんですから、吉田美和さんが「この人の才能に惹かれた」というのも、十分うなずける話ですよね。

吉田さんとの事実婚発表前の2003年には、前妻との間に子供が1人いたことも明らかになっています。

一般人であるため詳しい情報は公表されていませんが、末田さんと前妻の離婚が成立したのは2003年3月のことでした。

末田健との馴れ初めと略奪不倫の真相

吉田さんと末田さんの出会いは、ドリカムのミュージックビデオの制作現場でした。

末田さんが監督として担当したのは、おそらく2001年にリリースされた楽曲のPVと言われています(諸説あり)。

仕事を通じて意気投合したふたりはいつしか恋仲に発展し、同棲するほどの仲になっていました。

ところが2003年1月、週刊誌「FRIDAY」がこの交際をスクープ。

記事の内容は「ドップリ不倫同棲」という衝撃的なもので、吉田さんはここで初めて末田さんが妻子持ちであることを知ったのです。

これ、読んでいてなんとも複雑な気持ちになりますよね…。

好きになった相手が実は既婚者だったという事実を、自分が付き合っている最中に週刊誌で知るなんて、普通では考えられない展開です。

当時、吉田美和さんはかなりのショックを受けたと伝えられています。

しかしそれでも交際を継続し、末田さんが2003年3月に離婚が成立したのち、翌2004年5月に「事実婚」という形で結婚を発表しました。

世間からは「略奪婚」として批判的な声も上がりましたが、吉田さん自身は既婚者と知らずに交際を始めたという事情もありました。

知らなかったとはいえ、不倫状態になってしまったという事実は変わらないのですが、末田さんとの離婚成立後に正式な形で関係を公にしたという点は、当時の状況を理解する上で重要なポイントです。

事実婚を選んだ理由と「共に白髪になるまで」の誓い

2004年5月、吉田美和さんはDREAMS COME TRUEのファンクラブのホームページで、末田健さんとの事実婚を報告しました。

そこには有名なメッセージが綴られています。

「籍を入れるわけでもないし、でも心意気は『共に白髪が生えるまで』だからさっ!」

正式に入籍しないという形を選んだ背景には、複数の理由があったと見られています。

ひとつは末田さんに前妻との子供がいたこと。

入籍すると法的な問題が複雑になる可能性があること、また前妻や子供への配慮から、あえて籍を入れないという選択をしたという説があります。

もうひとつは当時の世間の批判的な視線。

不倫関係からスタートした交際という事実は、一般のファンや世間から批判されていたこともあり、入籍してさらに注目を集めることへの抵抗感もあったかもしれません。

それでも「共に白髪が生えるまで一緒にいる」という誓いを公の場で宣言したこと自体、ふたりの絆の強さを示していました。

公的な婚姻という形にこだわらず、それよりも深い「心意気」で繋がろうとしたふたりの関係は、吉田美和さんにとって間違いなく本気の愛だったといえます。

末田健の死因と闘病・看病の壮絶な日々

2004年5月から始まったふたりの事実婚生活。

「白髪になるまで」という誓いもむなしく、わずか3年後に悲劇が訪れます。

末田健さんは2007年9月26日16時15分、胚細胞腫瘍のため33歳の若さで亡くなりました。

…あまりにも早すぎる別れです。読んでいて、胸が痛くなりました。

胚細胞腫瘍とはどんな病気か

胚細胞腫瘍は、精巣・卵巣・縦隔(胸の部分)・後腹膜・脳などさまざまな部位に発生する悪性腫瘍です。

10歳から30歳代に発症しやすいという特徴があり、末田さんはまさにその年代でした。

初期段階では無症状のことが多いため、発見が遅れてしまうケースも少なくありません。

早期に適切な治療が受けられれば完治の可能性もある病気ですが、発見された段階によって予後が大きく変わってきます。

末田さんが病状を訴えたのは2007年頃から。頭痛・意識障害・嘔吐などの症状が現れ、会社を退社することになりました。

ツアーと看病を往復した吉田美和の日々

末田さんが2007年8月頃に病状が急速に悪化し、緊急入院となりました。

ちょうどそのころ、吉田さんは4年に1度の大規模ツアー「ドリカムワンダーランド」を控えていました。

ツアーを中止しようと考えた吉田さんを引き止めたのは、末田さん本人でした。

「ツアー、すごく楽しみにしているよ!頑張ってきて」

闘病中のベッドの上からそう笑顔で送り出してくれたそうです。

その言葉を受け、吉田さんはツアーを続行する決意をします。

しかし気持ちの上では穏やかでいられるはずがありません。

ツアー期間中も、時間が許す限り東京に帰って看病を続けた吉田さん。

地方公演が続いて帰れない夜には「万が一のことがあったら…」と、眠れない夜もあったといいます。

そして2007年9月23日、ドリカムワンダーランドの最終公演を走り切った吉田さん。

その3日後、末田さんは安心したかのように静かに息を引き取りました。

吉田さんに見守られながら、2007年9月26日の午後4時15分でした。

追悼曲「AND I LOVE YOU」に込めた末田健への想い

最愛の人を失った吉田美和さんは、しばらくの間は歌うことすらできなかったといいます。

食事ものどを通らず、毎日泣き暮らす日々。

末田さんが暮らしていたマンションの彼の部屋をそのままにして、思い出の品に触れながら悲しみを紛らわせていたそうです。

それでも彼女が立ち上がるきっかけは、生前の末田さんとの約束でした。

2006年に世界中を一緒に旅行しながら制作した曲を、「2007年のクリスマスまでに発売しよう」というふたりの約束。

「めそめそしていても、末田さんは喜ばないし、歌っている私が好きだと思うから」

そう気持ちを切り替えた吉田さんは、亡くなってから約3か月後にレコーディングスタジオへ戻りました。

そして約束通り、2007年12月12日にアルバム「AND I LOVE YOU」を発売。

このアルバムの中に、当初は予定されていなかった末田さんへの追悼曲「AND I LOVE YOU」が収録されました。

レコーディングの際、吉田さんは歌詞を1行歌うたびに涙があふれて止まらなかったといいます。

短いながらも愛に満ちたその曲には、「いつかあなたのところへ私が行く時、しわしわでもぜったいにすぐに見つけてよ」という歌詞が含まれており、別れても続く愛の深さが伝わってきます。

中村正人さんもドリカムの公式ブログで末田さんへのメッセージを綴りました。

「スーくん。『ア・イ・シ・テ・ルのサイン〜わたしたちの未来予想図〜』を、スーくんに捧げます。(中略)僕は、吉田がこの歌をまた歌える時がくるまで、静かに待ちます。」

「AND I LOVE YOU」はストリーミングサービスには配信されておらず、ライブやテレビ番組でも歌われたことがない、特別な1曲です。それだけ吉田美和さんにとって末田健さんへの想いが詰まった、パーソナルな曲なのかもしれません。

現在の夫・鎌田樹音(JUON)のプロフィール

吉田美和さんの現在の夫は、ロックバンド「FUZZY CONTROL(ファジー・コントロール)」のボーカル兼ギタリスト、鎌田樹音(かまたじゅおん)さんです。

「JUON(じゅおん)」という芸名でも知られており、2012年に吉田さんと結婚しました。

項目 内容
本名 鎌田 樹音(かまた じゅおん)
芸名 JUON
生年月日 1985年3月8日
出身 沖縄県生まれ、東京育ち
血液型 AB型
職業 ミュージシャン(ボーカル・ギター)
所属バンド FUZZY CONTROL
デビュー 2003年
家族 父:ギタリスト、母:歌手りりぃ(鎌田小恵子)

鎌田さんはクォーターで、祖父がアメリカ人という国際的なルーツを持ちます。

独特のルックスが目を引くイケメンで、FUZZY CONTROLでの活動のほか、DREAMS COME TRUEのサポートギタリストとしても長くステージを共にしています。

サポート活動の幅も広く、B’zの稲葉浩志さんや絢香さんなど、トップアーティストのステージにも参加してきました。

そして特筆すべきは、彼の母親が1974年に「私は泣いています」を大ヒットさせた歌手・りりぃさん(鎌田小恵子さん)であること。

音楽一家に生まれ育った鎌田さんにとって、音楽は生活の一部でした。

鎌田樹音との馴れ初めと19歳差の恋愛

吉田美和さんと鎌田樹音さんの出会いは、2009年のこと

FUZZY CONTROLがDREAMS COME TRUEのサポートバンドとしてライブに参加したのがきっかけでした。

2009年10月の「LOVE in Actionプロジェクト」でも共演し、2009年12月のNHK紅白歌合戦でも同じステージに立っています。

当時、吉田さんは43歳。末田さんを亡くして2年が経ったばかりで、男性とは意識的に距離を置いていた時期でした。

そんな吉田さんの心をゆっくりと溶かしていったのが、音楽に対してひたむきな鎌田さんの姿でした。

ギターを片時も離さず、感じたことや経験をすぐ歌にするような純粋さ。

そんな鎌田さんに、吉田さんは少しずつ好意を持っていったといいます。

ただ気持ちが動き始めた一方で、吉田さんの中には葛藤もありました。

末田さんのご両親との付き合い、お墓参りや法事への参加。

2011年頃まで吉田さんはそういった義理を大切に続けており、「末田さんのことが忘れられない」という状態が続いていたそうです。

「もう一度幸せになっていいの?」という気持ちと、「鎌田さんへの想い」の間で揺れ続けた時間…。

これ、すごくわかる気がしませんか。前に進もうとするたびに罪悪感が出てしまう、あの感覚。

そんな葛藤を経ながらも、ふたりの距離はじわじわと縮まっていきました。

再婚を決意したきっかけと東日本大震災の影響

吉田美和さんが再婚を決意する後押しをしたのは、2011年3月の東日本大震災でした。

吉田さんは震災後すぐに1000万円の寄付を行い、2011年6月にはDREAMS COME TRUEのベストアルバムを緊急発売して収益をすべて義援金に。

さらに2011年8月には被災地4か所を巡る無料ライブを開催しました。

被災地で目にしたのは、過酷な状況の中でも互いに手を取り合う家族の姿でした。

吉田さんの実の弟さんが当時を振り返っています。

「ふたりが付き合い始めたのはつい最近のことだと思う。2011年までは、姉は末田さんの親御さんとの付き合いもあったし、法事にもよく参加してたし。精神的に昨年もすごく落ち込んでいたから。(被災地の)しんどい状況の中、助け合う家族の姿を見て、感動していたみたいだし、それで自分も家族がほしいとようやく思えるようになったんだと思う」

大切な人を亡くした悲しみの中にいた吉田さんが、あの震災を通じて「自分も家族をつくりたい」と思えるようになった。

時を同じくして寄り添い続けてきた鎌田さんの存在が、どれほど大きかったかがわかりますよね。

震災という悲劇が、逆説的に吉田美和さんの人生を前に進める力になったというこのエピソードは、ドリカムの歌が持つ「前を向く力」とも重なる、とても印象的なストーリーです。

婿養子になった理由と「身も心も捧げます」の誓い

2012年3月8日、吉田美和さんと鎌田樹音さんは入籍しました。

入籍日は鎌田さんの27回目の誕生日であり、また「み(3)わ(8)」の語呂合わせでもあります。

この日付の選び方からも、ふたりの関係の愛らしさが伝わってきます。

そして特筆すべきは、鎌田さんが婿養子として吉田家に入ったこと

婿入りを申し出たのは鎌田さん自身からでした。

音楽業界関係者によると、その理由はこういうものだったそうです。

「JUONくんとしては、”吉田美和”という偉大な名前を守りたいという思いと、”身も心も全部あなたに捧げます。オレがあなたを守ります”という誓いの意味を込めて”婿入り”を申し出たそうですよ。さすがにこれには吉田さんも”彼は本気で自分を愛してくれている””彼ならもう一度愛しても大丈夫だ”と心が動き、プロポーズを受けたんです」

ミュージシャンとして「吉田美和」という名前を心から尊敬し、その名前を守りたいという気持ちで婿入りを選んだ鎌田さん。

「吉田美和」という偉大な名前を守りたかった

吉田美和さんには2人の弟がいるため、「吉田」という家名を絶やさないために婿が必要だったわけではありません。

それでも鎌田さんが婿入りを選んだのは、純粋にアーティストとしての「吉田美和」を守りたいという気持ちと、「あなたのすべてを受け止める覚悟がある」という愛の表明だったのでしょう。

鎌田さんはFUZZY CONTROLのバンドホームページでこう宣言しています。

「全身全霊を賭けて彼女を守り幸せにします。見ていて下さい」

この言葉がプロポーズの決め手となり、吉田美和さんは「もう一度愛しても大丈夫だ」と心を開いたのです。

結婚式はニューヨークで執り行われ、2012年3月21日に公式ブログで入籍を報告。

中村正人さんは「めでたい!音楽の神様に祝福されたふたりだもの。愛、最強!」と喜んでいます。

吉田美和の結婚歴を調べる人向けの関連情報

吉田美和さんの結婚歴を調べている方に向けて、義母・りりぃさんとの関係や子供についての情報、そして2025年現在の夫婦の様子まで詳しくお伝えします。

義母・りりぃとの深い絆と死別

鎌田樹音さんの母親は、歌手・りりぃさん(本名:鎌田小恵子さん)です。

1952年2月17日生まれ。アメリカ人の父(米空軍将校)と日本人の母を持つハーフで、1972年に歌手デビュー。

1974年にリリースした「私は泣いています」が大ヒットを記録し、一躍有名になりました。

後年はドラマ「半沢直樹」や映画「モテキ」「任侠ヘルパー」などへの出演でも知られています。

項目 内容
本名 鎌田 小恵子(かまた さえこ)
芸名 りりぃ
生年月日 1952年2月17日
没年月日 2016年11月11日(64歳)
出身 福岡県福岡市
代表曲 「私は泣いています」(1974年)

吉田美和さんはりりぃさんのことを「りりたん」と呼ぶほど親しくしており、ふたりは「姉妹みたいに仲良し」と言われていました。

りりぃさんは当初から吉田さんと鎌田さんの交際を歓迎しており、「2人が幸せならいいじゃない」と二つ返事で応援していたそうです。

ちなみに吉田さんとりりぃさんの年齢差はわずか13歳。嫁姑というより、本当に姉妹のような関係性だったといえます。

2016年11月11日、りりぃさんは64歳でこの世を去りました。

吉田さん夫婦は亡くなる前日の11月10日夜にも病室に見舞いに訪れており、最後まで義母に寄り添っていました。

2016年11月15日の密葬にも参列した吉田さん。

翌11月12日にはドリカムのツアーがあり、その舞台で吉田さんはりりぃさんへの思いを語りました。

「昨日、JUONのお母さんであるりりぃさんが亡くなりました。私も”りりたん”と呼ばせていただくくらい親しくさせていただいていました。いろんなことがあるけれども、一生懸命歌います」

大切な義母を失った翌日にもステージに立ち、「一生懸命歌います」と声を振り絞った吉田美和さんの姿は、多くのファンの心に刻まれています。

りりぃさんの遺志は「鴨川に散骨してほしい」というもので、吉田さん夫婦はその願いを叶えたといいます。

子供がいない理由と夫婦の子供への想い

吉田美和さんと鎌田樹音さんの間に、子供はいません。

また、最初の事実婚相手・末田健さんとの間にも子供は生まれませんでした。

入籍した2012年当時、吉田さんは46歳。

年齢的な事情もあり、子供を持つことは難しい状況でした。

一時期、吉田さんが舞台でお腹が大きく見えるという写真が話題になり「妊娠しているのでは?」という噂が広まりましたが、これは完全に誤報です。

当時の衣装の見た目によるものだったとされています。

音楽業界関係者によると、結婚前の鎌田さんは中村正人さんに「もし子供ができたらいろいろ教えてね」と頼んでいたというエピソードもあり、子供への願望がなかったわけではなさそうです。

しかし現在に至るまで子供は生まれておらず、吉田さんと鎌田さんは音楽を共通言語にしながら、ふたりきりの豊かな時間を過ごしています。

幸せの形は人それぞれ。ふたりにとっての幸せは「一緒に音楽をすること」にあるのかもしれませんね。

19歳差夫婦の現在の仲睦まじいエピソード

吉田美和さんと鎌田樹音さんは2012年に結婚し、2025年現在も変わらず夫婦円満です。

当初は「19歳差の年齢格差婚はすぐ離婚するのでは」という声もありましたが、10年以上経った今も、むしろ仲の良さに磨きがかかっているようです。

2025年2月25日放送の日本テレビ「踊る!さんま御殿!!」に出演した鎌田さんは、妻・吉田美和さんのことを惜しみなく語りました。

吉田さんのことを普段は「ミィ」と呼んでいると明かした鎌田さん。

「料理が抜群に上手です。最強です!」と満面の笑みで惚気を披露しました。

自宅でのふたりの様子も微笑ましい内容で、鎌田さんがアコギを弾いて歌っていると、吉田さんも自然と歌い出して、ふたりで音楽を楽しんでいるそうです。

「2人の中で大切な、すごく楽しい時間になってます」

ビートルズやローリング・ストーンズなど洋楽も一緒に歌うそうで、鎌田さんが「ヘイ・ジュード」を口ずさむと吉田さんがすかさず応えてくれるというエピソードも。

明石家さんまさんから「ええな〜!」と羨ましがられる場面もありました。

また音楽以外の話題では、吉田さんが大のゲーム好きだということも判明。

移動中も自宅でも、いつでもゲームに集中しているそうで、鎌田さんは「頭の中を整理したり、メロディーを考えているのかな」とそっと見守っているとのこと。

「音楽以外のことで言い合いになったことはない」と断言するほど、ふたりの仲の良さは本物です。

普段は吉田さんの北海道弁に合わせて話しているものの、沖縄出身の鎌田さんが沖縄弁を交えると「お互い会話の20%くらいは理解できていないかも」と笑い飛ばすほど、リラックスした関係を築いているふたりです。

吉田美和の結婚歴への世間の声

吉田美和さんの2度の結婚と、その波乱に満ちた半生は、多くのファンに深い印象を残しています。

末田健さんとの別れについては「泣けた」「末田さんとのエピソードがつらすぎる」「ツアーを完走してから逝ったなんて末田さんも素晴らしい人」などの声が多く見られます。

一方、鎌田樹音さんとの再婚については、当初こそ「19歳差は無謀では?」「年齢差がありすぎる」という懐疑的な意見もありましたが、年月が経つにつれ「こんなに仲良し夫婦なんて羨ましい」「JUONさんの愛情表現が素敵すぎる」「婿養子まで選んでくれるなんてすごい」という好意的な声が主流になっています。

りりぃさんとの関係についても「義母と姉妹のように仲良しだったなんて微笑ましい」「りりぃさんのことが好きだったのが伝わる」という声が多く見られました。

吉田美和さんの結婚歴には確かに複雑な部分もありますが、それでも最後は愛で前に進んできた彼女の人生は、多くの人の共感を呼んでいます。

吉田美和の結婚歴のまとめ

  • 吉田美和は2度の結婚歴を持つ(1度目は事実婚)
  • 最初の事実婚相手は映像ディレクターの末田健。吉田美和より9歳年下の1974年生まれ
  • 末田健との馴れ初めはDREAMS COME TRUEのPV制作現場。しかし交際当時は末田が既婚者とは知らなかった
  • 2003年3月に末田健の離婚成立後、2004年5月に事実婚を発表
  • 事実婚を選んだのは前妻への子供への配慮など複数の理由があったとされる
  • 末田健は2007年9月26日に胚細胞腫瘍のため33歳で死去
  • 末田健との約束を果たすため、2007年12月に追悼アルバム「AND I LOVE YOU」を発売
  • 末田健の死後、5年間は再婚せず、前夫の両親との交流も続けていた
  • 現在の夫は1985年3月8日生まれのミュージシャン・鎌田樹音(JUON)
  • 吉田美和と鎌田樹音の年齢差は19歳。2012年3月8日に入籍
  • 鎌田樹音は自ら婿養子入りを申し出、「吉田美和」の名前を守りたいという思いが理由
  • 再婚を決意した背景に東日本大震災での経験があり、被災地で見た家族の絆に心動かされた
  • 義母・りりぃは2016年11月11日に64歳で死去。吉田夫婦は前日まで見舞いに訪れていた
  • 吉田美和と鎌田樹音の間に子供はいない
  • 2025年現在も夫婦円満。鎌田が吉田を「ミィ」と呼び、料理の腕を絶賛するほど仲睦まじい

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