北大路欣也さんの家系図、調べてみるとかなり奥が深くて面白いんです。
父親は昭和の大スター・市川右太衛門さんで、映画主演300本以上という伝説的な俳優でした。
この記事では、北大路欣也さんの家系図を父のルーツから兄弟、妻・古屋祥子さんとの結婚エピソードまで、まるごとわかりやすくまとめています。
・北大路欣也の父・市川右太衛門の経歴と家系のルーツ
・兄弟や妻・古屋祥子を含む家族構成の全体像
・兄弟不仲の真相や現在の老人ホーム暮らしなど関連情報
北大路欣也の家系図と家族構成を徹底解説
北大路欣也さんといえば、時代劇から現代ドラマまで幅広く活躍し続ける日本を代表する名優ですよね。
ここでは、そんな北大路欣也さんの家系図と家族構成をわかりやすくまとめていきます。
父・市川右太衛門は歌舞伎出身の映画スター
北大路欣也さんの父親は、昭和の銀幕を彩った大スター市川右太衛門(いちかわうたえもん)さんです。
本名は淺井善之助さんといい、1907年2月25日に大阪市西区で生まれました。
幼い頃から日本舞踊の山村流を習い、なんと6歳のときに「菅原伝授手習鑑」の菅秀才役で初舞台を踏んでいます。
小学校卒業後は、上方歌舞伎の名優・2代目市川右團次に弟子入りし、「市川右一」という名前をもらいました。
関西青年歌舞伎団の一員として活躍し、歌舞伎の大役である勧進帳の弁慶まで演じたというのですから、かなりの実力者だったことがうかがえます。
ちなみに、同じ劇団には後の大スター・長谷川一夫さんや嵐寛寿郎さんもいたそうですよ。
ただ、当時の歌舞伎界はお家の縛りが厳しく、できる芝居にも限界があったようです。
そこで映画会社からの誘いを受け、映画俳優へと転向しました。
市川右太衛門さんは映画の世界で大成功を収め、主演映画は300本以上にのぼります。
阪東妻三郎さん、大河内伝次郎さん、長谷川一夫さん、嵐寛寿郎さん、片岡千恵蔵さんと並んで「時代劇六大スタア」と称される存在になりました。
旗本退屈男シリーズと映画主演300本以上の実績
市川右太衛門さんの代表作といえば、「旗本退屈男」シリーズです。
1930年の第1作から1963年の最終作まで、なんと33年間にわたって全30本が制作されました。
同一俳優が同一キャラクターを演じ続けた最長記録ともいわれており、いかに市川右太衛門さんが愛されたスターだったかがわかりますよね。
俳優としてだけでなく東映の役員も務めるなど、映画業界全体に大きな影響力を持っていた人物でもあります。
市川右太衛門の家系ルーツと芸名の由来
市川右太衛門さんの家系をさらにさかのぼると、祖父は香川県坂出市の旧家の出身で、大阪市西区で鉄工所を経営していた家庭だったそうです。
つまり、もともとは芸能とは無縁の実業家の家系だったということですね。
市川右太衛門さんの兄・山口天龍さんは全勝キネマの設立者で、こちらも映画関係のお仕事をされていました。
歌舞伎の名家の出身ではなく、一般家庭から芸能界に飛び込んで大スターになった……そんなドラマチックな背景があるんです。
ちなみに「市川右太衛門」という芸名は、師匠の「市川」と、5代目中村歌右衛門の「右」と「右團次」を組み合わせて名付けられたものだそうです。
そして息子・北大路欣也さんの芸名の由来もまた面白いんですよ。
市川右太衛門さんの邸宅が京都市北区の北大路通り沿いにあったことから、「北大路の御大」と呼ばれていたことにちなんで「北大路欣也」という芸名がつけられました。
地元・京都への愛着と、父への敬意が込められた芸名だといえますね。
兄は早稲田大学理工学部卒のエリート会社員
北大路欣也さんには兄がいます。
一般の方なのでお名前は公表されていませんが、芸能界には進まず堅実な社会人の道を歩んだ人物です。
京都市立紫竹小学校、同志社香里中学校を経て、早稲田大学理工学部に進学しています。
理工学部は当時も全国屈指の難関学部ですから、かなり優秀な方だったことがうかがえますよね。
卒業後は大手企業に就職し、芸能界とは無縁の一般社会で活躍されてきたそうです。
幼少期から真面目で落ち着いた性格だったと伝えられており、家庭内ではリーダー的な存在だったようです。
実は、北大路欣也さんが早稲田大学に進学したのも、この兄の影響が大きかったといわれています。
兄が早稲田のキャンパスライフや学問の話を自宅でしていたことが刺激になり、自分も同じ大学を目指すきっかけになったそうですよ。
芸能一家でありながら、兄は自分の道を選び、堅実に歩んできた方なんですね。
姉も芸能界には進まず一般家庭へ
北大路欣也さんには姉もいます。
姉についても一般の方ということで、メディアにはほとんど登場していません。
兄と同様に芸能界には進まず、一般家庭に嫁いでいるとされています。
北大路欣也さんの家族は父・市川右太衛門さん、母親、兄、姉、そして本人の5人家族でした。
| 家族 | 名前 | 特徴 |
|---|---|---|
| 祖父 | 非公表 | 香川県坂出市の旧家出身 |
| 父 | 市川右太衛門 | 映画スター・東映役員 |
| 母 | 非公表 | 一般人 |
| 兄 | 非公表 | 早稲田大学理工学部卒・大手企業勤務 |
| 姉 | 非公表 | 一般人・一般家庭に嫁ぐ |
| 本人(次男) | 北大路欣也 | 俳優 |
| 妻 | 古屋祥子 | 貿易会社社長の娘・慶應大学卒 |
芸能界で活躍しているのは父と北大路欣也さんだけで、兄も姉もそれぞれ一般社会で自分の人生を歩んでいます。
華やかな芸能一家のイメージとは裏腹に、家族それぞれが違う道を選んでいるのが興味深いですよね。
妻・古屋祥子は社長令嬢で慶應卒
北大路欣也さんの奥さんは古屋祥子さんという一般女性です。
お父さんは貿易会社の社長という裕福な家庭のお嬢さんで、慶應義塾大学文学部を卒業されています。
北大路欣也さんと古屋祥子さんの出会いは、北大路さんがまだ15歳のときだったそうです。
初めて祥子さんを見たとき、電撃のようなものを感じて「この人が理想の妻だ」と直感したのだとか。
実際に交際が始まったのは北大路さんが21歳のときで、そこからなんと13年間もの交際期間を経て、1977年11月12日に結婚しています。
北大路さんは当時34歳でした。
……13年越しの恋が実るって、なんだかすごくロマンチックですよね。
古屋祥子さんは芸能界の華やかさにはあまり関心がなく、自然体で接してくれるタイプだったそうで、それが北大路さんにとって何よりも心地よかったようです。
結婚後も夫婦仲は非常に良く、祥子さんは北大路さんのことを「欣也様」と呼んでいるのだとか。
北大路さんは2007年に紫綬褒章を受章した際の会見で、妻への感謝の言葉を述べたことでも話題になりました。
13年の交際を経た結婚と結婚式エピソード
結婚式は、北大路欣也さんの母校である暁星学園のチャペルで挙げられました。
実はこの結婚式には、ちょっと面白いエピソードがあるんです。
当時、暁星小学校5年生だった香川照之さんが聖歌隊として参加していたのだそうですよ。
それから数十年後に、「半沢直樹」で中野渡頭取と大和田常務として共演するなんて、すごい縁を感じませんか?
息子や娘はおらず夫婦二人の生活
北大路欣也さんと古屋祥子さんの間には、子供はいません。
夫婦二人だけの生活を長年にわたって送っており、お互いを大切にする穏やかな暮らしを続けています。
子供を持たなかった具体的な理由については、北大路さん本人からの公式なコメントはありません。
ただ、40年以上にわたって仲睦まじく暮らしている姿を見ると、お二人にとってはこの形がベストだったのだろうなと感じます。
「息子よしお」の噂はドラマとの混同
ネット上では「北大路欣也の息子はよしお」という噂が出回ることがありますが、これは事実ではありません。
この噂の原因は、2018年放送のドラマ「海月姫」で北大路さんが演じた父親役の家族に「花森よしお」(要潤さん)というキャラクターがいたことと、ソフトバンクCM「白戸家」での父親イメージが混同されたためだと考えられています。
実際には北大路欣也さんに息子も娘もおらず、「よしお」はフィクションの人物です。
北大路欣也の家系図を調べる人向けの関連情報
北大路欣也さんの家系図を調べていると、家族間の不仲の話や現在の暮らしぶりなど、気になる話題がたくさん出てきます。
ここからは、そんな関連情報をまとめてお届けします。
兄弟の不仲は父の介護問題がきっかけ
北大路欣也さんと兄・姉の間に不仲説があることは、以前からメディアで報じられてきました。
そのきっかけとなったのが、父・市川右太衛門さんの晩年の介護と老人ホーム入所をめぐる意見の相違です。
市川右太衛門さんは晩年、千葉県館山市の老人保健施設に夫妻で入所しました。
この入所をめぐり「北大路欣也が両親を強引に老人ホームに入れた」という報道が一部で出たのです。
1999年に市川右太衛門さんが92歳で亡くなった後、北大路夫妻が主催した「お別れ会」には兄夫婦・姉夫婦が参列しませんでした。
さらに2001年に親族が主催した「市川右太衛門を偲ぶ会」には、逆に北大路夫妻が参列しなかったと報じられています。
……これは傍から見ると、かなり関係がこじれてしまったように感じますよね。
兄は週刊誌の取材に対して、父の葬儀で北大路さんと会ったのを最後に一切連絡を取っていないという趣旨のコメントを残しています。
一方、北大路欣也さんは母親が亡くなった後のインタビューで、「両親は都心のマンションで2人暮らしだったが、母の足が不自由になりガスや電気の取り扱いに不安が生じた。10年以上かけて入所を説得した」と説明しています。
強引に入れたわけではなく、あくまで安全を考えた上での判断だったということですね。
介護をめぐる家族間の意見の食い違いは、どの家庭でも起こりうる問題です。
有名人だからこそ表に出てしまったという側面もあるのかもしれません。
老人ホームでの暮らしと入居の理由
北大路欣也さんは2015年頃から、妻の古屋祥子さんとともに都内の高級老人ホームで暮らしています。
この施設は入居一時金が数千万円、月額費用が一人あたり数十万円ともいわれる超高級施設で、専属シェフ付きのダイニングやプール、最上階のバーなど、まるで高級ホテルのような環境が整っているそうです。
入居の理由がまた素敵なんですよ。
北大路さんは仕事でしょっちゅう家を空けなければならないため、留守中に妻に何かあったらと心配で、万が一の時でも安心な施設に入ることを決めたのだそうです。
他の入居者との交流も取りやすく、妻が寂しい思いをしなくて済むという配慮もあったとのこと。
まだまだ現役で俳優活動を続けながら、妻への愛情を形にしたこの判断には、思わず感心してしまいます。
実際、2023年には文化功労者に選出されており、施設から颯爽と外出する姿が報じられるなど、精力的に活動を続けています。
学歴は暁星高校から早稲田大学卒
北大路欣也さんの学歴も華やかです。
| 学校 | 備考 |
|---|---|
| 京都市立紫竹小学校 | 京都で過ごした幼少期 |
| 同志社香里中学校 | 関西の名門校 |
| 暁星中学校(編入) | 東京の名門私立校 |
| 暁星高等学校 | 香川照之も同校出身 |
| 早稲田大学第二文学部演劇専修 | 文学士取得 |
京都で生まれ育った北大路さんは、中学のときに東京へ引っ越し、暁星学園に編入しています。
暁星学園といえば、後に「半沢直樹」で共演する香川照之さんも通った都内屈指の名門校ですよね。
大学は兄の影響で早稲田大学を志望し、第二文学部の演劇専修に進学しました。
演劇を本格的に学びながら俳優としてのキャリアを積んでいったわけで、学業と実践の両輪で力をつけていったんですね。
2025年度の早稲田大学入学式では芸術功労者として表彰されるなど、母校との関係も続いています。
本名は淺井将勝で芸名の由来は京都
北大路欣也さんの本名は淺井将勝(あさいまさかつ)さんです。
父・市川右太衛門さんの本名が淺井善之助さんですから、兄も姉も同じく「淺井」姓になります。
「北大路欣也」という芸名は、先ほども触れた通り、父の邸宅があった京都市北区の北大路通りに由来しています。
市川右太衛門さんが「北大路の御大」と呼ばれていたことから、その通称がそのまま息子の芸名になったわけです。
地元・京都への愛着と、偉大な父へのリスペクトが詰まった芸名だといえますね。
ちなみに、妻の古屋祥子さんは結婚後も芸名で「欣也様」と呼んでいるそうで、本名の「将勝」で呼ばれることはあまりないようです。
剣道と時代劇で見せる殺陣の腕前
北大路欣也さんといえば、時代劇での凛々しい殺陣が印象的ですよね。
テレビ東京のドラマ「三匹のおっさん」シリーズでは剣道の達人・清田清一役を演じ、その迫力ある剣さばきが話題になりました。
時代劇の撮影現場でも、北大路さんの殺陣は俳優仲間から非常に高く評価されています。
藤岡弘さんの息子で俳優の藤岡真威人さんは、父から「北大路さんの殺陣を見なさい」とアドバイスを受け、実際に見学したそうです。
そのとき藤岡真威人さんは「軽く打ち込んでいるだけなのに芯があって身が入っている」と感銘を受けたと語っています。
父・市川右太衛門さんから受け継いだ時代劇の血が、北大路欣也さんの殺陣にもしっかりと息づいているようです。
北大路欣也の家系図のまとめ
- 父・市川右太衛門は歌舞伎役者出身の映画スターで映画主演300本以上
- 市川右太衛門の代表作「旗本退屈男」シリーズは全30本、33年間にわたって制作された
- 家系のルーツは香川県坂出市の旧家で、祖父は大阪市西区で鉄工所を経営していた
- 市川右太衛門の兄・山口天龍は全勝キネマの設立者
- 芸名「北大路欣也」は父の邸宅があった京都の北大路通りに由来する
- 本名は淺井将勝(あさいまさかつ)で、父の本名は淺井善之助
- 兄は早稲田大学理工学部卒業後に大手企業に就職したエリート
- 姉も芸能界には進まず一般家庭に嫁いでいる
- 妻の古屋祥子は貿易会社社長の娘で慶應義塾大学文学部卒
- 15歳で出会い21歳で交際を始め13年の交際を経て1977年に結婚
- 子供はおらず夫婦二人の生活を続けている
- 「息子よしお」の噂はドラマ「海月姫」のキャラクターとの混同
- 兄弟の不仲は父の介護施設入所をめぐる意見の相違がきっかけとされる
- 2015年頃から妻とともに都内の高級老人ホームで暮らしている
- 学歴は暁星高等学校から早稲田大学第二文学部演劇専修を卒業


