「三宅裕司に再婚相手がいる」という噂が気になって調べた方も多いのではないでしょうか。
実はこれ、再婚の事実はゼロ。1986年から40年近く連れ添ってきた妻・天野正子さん(マコさま)との仲睦まじいエピソードや、7回の別れを乗り越えた馴れ初めは、知れば知るほど胸に来るものがありますよ。
この記事では再婚の真相から、長年愛され続ける天然語録「マコさま」の名言集まで、三宅さんの家族のすべてをまとめました。
・三宅裕司に再婚相手はいるのか(結論:いない)
・妻・天野正子(マコさま)との馴れ初めと7回の破局の詳細
・子供・娘・孫の情報と現在の家族関係
三宅裕司に再婚相手はいない!妻・正子のプロフィールと馴れ初め
「三宅裕司に再婚相手がいる」という噂を聞いて調べた方も多いと思いますが、結論から言うと再婚の事実はありません。
1986年に結婚した妻・天野正子さんとの仲睦まじい夫婦生活、そして「マコさま」として知られる妻の天然エピソードまで、詳しく紹介していきますね。
再婚相手はおらず妻は正子さん一人だけ
「三宅裕司 再婚相手」という検索ワードが存在するために「もしかして再婚したの?」と思った方もいるかもしれませんが、三宅裕司さんには離婚歴も再婚歴も一切なく、結婚歴はたった1回です。
ネット上に「再婚相手」というキーワードが出回っているのは、検索する人が多いからこそサジェストされるようになっているだけで、実際に再婚したという事実はまったくありません。
三宅裕司さんが結婚したのは1986年6月9日のこと。
相手は小学校時代からの同級生・天野正子さん(通称「マコさま」)で、それ以来40年近くにわたって同じ屋根の下で暮らしています。
三宅さんはテレビ番組などで頻繁に妻のエピソードを披露しており、そのたびに「仲がいいんだな」と視聴者を和ませているんですよね。
「再婚相手を探している」なんて情報は皆無。むしろ「妻が最高の人」と惚れっぽく語る三宅さんの姿からは、現在もラブラブな様子が伝わってきますよ。
妻・正子のプロフィールと現在の職業
三宅裕司さんの妻・天野正子さん(旧姓:天野)は、夫と同じ1951年生まれ(2024年時点で73歳前後)の一般女性です。
画像や写真については公開されていないため顔は不明ですが、三宅さんが「天然で可愛らしい女性」と語っており、ユニークな性格でお茶の間を笑顔にしていることで有名な存在です。
結婚当時、正子さんは能力開発セミナー会社の社員として働いていました。
現在の職業は、なんと飲食店の経営者。
浅草の人気からあげ店「浅草 安心や」
現在の正子さんは、東京都台東区浅草1-37-11にあるテイクアウト専門店「浅草 安心や」の経営者を務めています。
お店の名物は台湾からあげ。Googleの口コミ評価は4.1と高く、昼の時間帯には20人を超えるお客さんが列を作る人気ぶりです。
台湾産の五香粉を使ったスパイシーな香りと、さつまいも粉を使ったザクザクの衣が特徴で、食べ応えも抜群だと口コミで評判になっています。
2024年9月18日放送のテレビ東京「ソレダメ!あなたの常識は非常識!?」でも紹介されるなど、メディアにも取り上げられる名店に成長しています。
アクセスは東京メトロ銀座線・浅草駅から徒歩3分と便利な立地です。
正子さんは公の場にはほとんど顔を出しませんが、自分のお店を持って精力的に仕事をしているのは、あの天然キャラとはまた違う一面が見えて面白いですよね。
馴れ初めは小学校の同級生
三宅裕司さんと妻・正子さんの出会いは、実に小学校時代にまでさかのぼります。
2人が通っていたのは東京都千代田区にあった西神田小学校(現在のお茶の水小学校)。正子さんが小学4年生のときに転校してきて三宅さんと同じクラスになり、このときから正子さんは三宅さんに恋心を抱いたといいます。
一方の三宅さんは当時からやんちゃな子供だったようで、正子さんのノートを取ったり隠したりと、ちょっとしたいじめのようなことをしていたのだとか。
三宅さん「変な趣味ですねぇ(笑)でもいじめると、彼女は屋上までほうきを持って追いかけてきて僕は逃げまどったものです。」
正子さん「よくノートを取られたり、隠されたりしました。でも今考えると、いじめられるのがうれしかったみたい。」
……なんか、いいですよね。好きな人にかまってほしくていじめてしまう、あのドキドキした感じが思い出されます。
その後、2人は同じく千代田区立一橋中学校に進学しましたが、当時は1学年が12クラスもあるマンモス校だったため、同じクラスになることはほとんどありませんでした。高校も別々に進学し、そのまま距離ができていきます。
転機が訪れたのは、高校2年生のときに開かれた小学校のクラス会でした。
ここで久しぶりに再会した2人は意気投合し、高校3年生から正式に交際をスタートさせます。小学4年生のときに芽生えた恋心が、数年の時を経てようやく実を結んだ瞬間でした。
7回の破局を経た結婚への道
三宅さんと正子さんの恋路は、一筋縄ではいきませんでした。
高校3年から始まった交際は、なんと7回も破局と復縁を繰り返すという波乱続きのものだったんです。
なかでも最大の別れとなったのが、三宅さんが27歳のときのエピソードです。
27歳の別れ〜山小屋でのプロポーズと両親の反対
当時の三宅さんは大学を卒業したものの、喜劇役者の道を歩みながら喫茶店でアルバイトをしてやっと生計を立てている状態でした。今でこそ大物芸人ですが、当時は全くの無名だったんですよね。
そんな状況でも三宅さんは正子さんのことが諦めきれず、2人で山梨へ旅行に出かけます。山小屋に泊まった夜、外に出ると手を伸ばせば届きそうなほどの満天の星空。そのロマンチックな夜空の下で、三宅さんは「結婚しよう」とプロポーズしました。
しかし正子さんの両親は、将来性が見えない状況を理由に結婚を認めてくれませんでした。三宅さんは口添えを頼もうと、山梨に住む正子さんのお祖母さんのもとへも2人で訪問しましたが、結局はうまくいかず。三宅さん自身も「仕方ない」と納得し、2人は別れることになります。
これはきつかったでしょうね……。好きな人がいて、勇気を出してプロポーズしても、将来性がないという理由で断られてしまう。その痛みは相当なものだったと思います。
1984年の再プロポーズと婚約会見
別れから数年後、「三宅裕司のいかすバンド天国」などのテレビ番組で全国的な知名度を上げた三宅さんは、1984年に正子さんと再び交際を始めます。
そして正式なプロポーズは新宿の寿司屋で。三宅さんは「だいぶ酔っぱらっていましたけど」と笑いながら振り返っています。
正子さん「当時、彼はすでに有名だったし、そうなると逆にもう結婚できないんじゃないかと思っていたので、半信半疑でした。でも嬉しかった。」
正子さんからすると「有名になったらもう一般人の自分とは釣り合わない」という気持ちがあったのかもしれません。それでも「嬉しかった」という言葉に、ずっと三宅さんのことを想い続けていた気持ちが込められているようで、読んでいてこちらまで温かくなりました。
婚約発表は1986年3月24日、ニッポン放送「三宅裕司のヤングパラダイス」の生放送で行われました。
劇団員30名が待ち受ける中を2人で登場し、プロから劇団員からは「顔がこわばってるよ!」「悲しんでるみたいだぞ!」とヤジが飛ぶなど、アットホームな雰囲気の会見に。三宅さんは記者への配布資料の誤りを「高校で50人中49番の成績というのは嘘で、本当は51人中49番です」と訂正して爆笑を誘うなど、記者会見でも笑いを忘れない三宅さんらしいシーンでした。
その後、1986年6月9日に正式に結婚。小学4年生からの出会いを数えると実に25年越しの結婚となりました。
結婚の決め手は「同じ所で笑えるセンス」
7回の別れを経てもなお、三宅さんが正子さんを選んだ理由は何だったのでしょうか。
婚約会見でその質問をされた三宅さんはこう答えています。
「高2で再会した時のフィーリングが、そのまま続いている感じです。シャレがわかって、同じ所で笑えるというセンスですね。」
お笑いを仕事にしている三宅さんにとって、「同じところで笑える」というのは最高の褒め言葉でもあります。
正子さんも「私も笑うことが好きだし、彼の舞台も生き方も大好きです」と語っており、2人が共通の価値観で結ばれていることがよく伝わってきます。
「同じところで笑えるかどうか」——それが三宅裕司さんにとって、最も大切にする結婚の条件だったんですね。
正子さんは天然キャラとして有名ですが、その天然な言動がむしろ笑いを生み出し、三宅さんを心から楽しませているという点が、二人の関係の本質なのかもしれません。
笑いを生む天然語録「マコさま」とは
三宅さんの妻・正子さんは「マコさま」という愛称でお茶の間に知られる存在です。
この愛称が生まれたきっかけは、三宅さんが結婚当時にパーソナリティを務めていたニッポン放送のラジオ番組「三宅裕司サンデーヒットパラダイス」内に「世界のマコ様!」というコーナーがあったから。そこで正子さんの天然発言が次々と紹介され、リスナーに広まっていったんです。
現在でも三宅さんがテレビ番組に出演するたびに妻の新しいエピソードを披露しており、見るたびに笑いが止まらないんですよね。
マコさまの珠玉の天然語録
正子さんの天然語録は長年にわたって積み上げられており、その数はかなりのもの。代表的なエピソードをいくつか紹介しましょう。
ガソリンスタンドで「ガソリン満タンで」と言おうとしたところ、「マソリン、ガンタンで!」と言い間違えてしまったというエピソード。「ガソリン」と「満タン」の語の配置がどういうわけか入れ替わってしまった一言です。
ホテルのチェックイン時間を確認しようと電話したところ、「おたく、ベッドイン、何時ですか?」と言ってしまい、スタッフから「それはお客様次第ですけど……」と返されたエピソード。これには三宅さんも「スタッフさんも困っただろうな」と苦笑い。
友人が集中治療室(ICU)に入院した際、正子さんが「CIA(アメリカの情報機関)はどこですか?」と病院の案内係に尋ねてしまったというエピソード。ICUとCIAの混同は正子さんにしかできない芸当です。
寝室で夫婦ゲンカをして、三宅さんが邪魔だったのか「どいてよ」と言おうとしたところ、「抱いてよ」と言ってしまい、そのまま2人で爆笑してケンカが終わったというエピソード。これには「最強の仲直り発言」と話題になっています。
これだけのエピソードが積み上がっているのに、それでも正子さんが「天然」であり続けているというのが、ある意味すごいことですよね。
マコさまの天然発言は、作ろうとして作れるものではない純粋な面白さ——だからこそ、長年にわたってファンに愛され続けているんだと思います。
病気を乗り越えた夫婦の絆
三宅裕司さんは60代に入ってから、様々な病気やケガに見舞われました。そのつらい時期を支え続けたのが、妻・正子さんの存在です。
2011年、長年患っていた椎間板ヘルニアが悪化し、脊柱管狭窄症と診断された三宅さんは緊急手術を受けることになります。術後は下半身の感覚がほとんどない状態が続き、医師からは「リハビリをしても止まってしまった神経が伸びる保証はない。治る確証もない」という厳しい言葉を告げられました。
このとき、妻・正子さんは医師の言葉とは真逆のことを宣言します。
「三宅は絶対に治る。舞台にいる姿が私には見えます。」
言い間違えと天然キャラで笑わせてくれる正子さんが、これほど力強い言葉で夫を励ましていたとは……。読んでいて胸が熱くなります。
三宅さんは正子さんのことを「神様みたいな女房」と表現しており、この一言にどれだけ妻に救われたかが伝わってきます。
その後のケガや病気についても、妻のユーモラスな発言で笑いに変えながら夫婦で乗り越えてきた三宅さん。
2019年にスキーで大腿骨を骨折した際には、医師から「だいたい(大腿)の骨が折れています」と告げられたとき、正子さんは「えー!そんなにたくさん折れたんですか!?」と真剣に驚いてしまいました。正子さんは「だいたい」を「ほとんど全部」という意味で受け取ってしまったんですね。
重大なケガの告知の場面でもついつい笑いを生んでしまう正子さん。三宅さんにとって、その天然さが最高の精神的支えになっていることが伝わってきます。
2022年には関節リウマチも患いましたが、医師が驚くほどの早さで回復し、ライブに無事間に合ったとのこと。
三宅さんは「今、孫からパワーをもらっている」と語っており、病気を経た今も前向きに活動を続けています。
三宅裕司の再婚相手を調べる人向けの関連情報
三宅裕司さんの妻・正子さんについては以上ですが、ほかにも気になる情報がたくさんありますよね。
ここでは子供や孫、病気の詳細、現在の活動についてまとめて紹介します。
子供は娘と息子の2人
三宅裕司さんには娘と息子の合計2人の子供がいます。
| 娘(長女) | 息子(長男) | |
|---|---|---|
| 名前 | 三宅麻祐子(まゆこ) | 非公表 |
| 生年 | 1987年生まれ | 1991年前後(推定) |
| 職業 | 元女優(現在は引退) | デザイナー(一般人) |
| 配偶者 | 俳優・弓削智久(2013年結婚) | 不明 |
娘の麻祐子さんはかつて女優として主に舞台を中心に活動しており、主演を担当した舞台もありました。2013年に俳優・弓削智久さんと結婚したのを機に芸能界を引退しています。
息子さんは一般人として活動しており、画家志望だったことから現在はデザイナーとして働いていると伝えられています。2009年に行われた劇団SETの公演「ステルスボーイ」のポスターをデザインしたことが知られており、父の舞台に縁のある形で才能を発揮しています。
三宅さんは子供たちとの関係を大切にしており、インタビューでもたびたび家族への感謝を口にしています。
娘・麻祐子が弓削智久と結婚した経緯
娘・三宅麻祐子さんが結婚した相手は、俳優の弓削智久(ゆげ ともひさ)さんです。
弓削智久さんは仮面ライダー鎧武など特撮作品を中心に活躍してきた俳優で、モデルとしても活動している人物。
2人の出会いは舞台共演でした。麻祐子さんが劇団「東京セレソンDX」に所属していたころに弓削さんと同じ舞台に出演し、そこで親しくなったとされています。
弓削智久さんが2013年12月23日に一般女性との結婚を発表した際は、お相手が「三宅裕司の娘」とはすぐには明かされませんでした。その後、麻祐子さんが三宅裕司さんの娘であることが広まり、SNS上でも話題になっています。
麻祐子さんは結婚を機に芸能界を引退し、現在は家庭に入って子育てに専念しています。
三宅さんにとって弓削さんは娘の夫ですが、同じ舞台関係者という共通点もあり、義理の父として心強い味方がいるようです。
孫は2人でデレデレのおじいちゃん
三宅さんと正子さんにとって最大の喜びの一つが、孫の存在です。
娘・麻祐子さんと弓削智久さんの間には現在2人の孫がいます。
- 第一子(女の子):2020年8月27日生まれ(2024年時点で4歳)
- 第二子(男の子):2023年4月27日生まれ(2024年時点で1歳)
三宅さんは孫について「ウチの孫が生まれて、半年ぐらいでわかったんだけど、あの子は天才だね」と語っており、完全に孫バカおじいちゃんになっていますね。
2024年10月4日放送の「徹子の部屋」に出演した際も、孫たちとのエピソードを嬉しそうに語っており、「孫が会話ができるようになってきて、今は孫からパワーをもらっている」と目を細めていたそうです。
三宅さんが何十年も舞台に立ち続けているエネルギーの源のひとつに、この孫たちの存在があるのかもしれませんね。
60代に次々と患った病気の全貌
三宅裕司さんの60代は、病気やケガとの闘いの連続でした。詳しくまとめると以下の通りです。
| 年 | 病気・ケガ | 内容 |
|---|---|---|
| 2011年 | 脊柱管狭窄症 | 椎間板ヘルニアが悪化して緊急手術。下半身麻痺の危機。リハビリ後2012年に復帰 |
| 2018年 | 前立腺肥大症 | 新橋演舞場で20ステージを強行。腎臓にまで影響し、腎臓治療後に手術 |
| 2019年 | 左大腿転子部骨折 | スキー場で転倒し骨折。現地病院で手術 |
| 2022年 | 関節リウマチ | ブルーノートのライブを控え点滴10回が必要と言われるも2回で回復 |
これだけの病気・ケガを経ながらも、70代になった現在も舞台やラジオ番組で精力的に活動を続けていることは、本当に驚異的です。
三宅さん自身は「医者が驚くほど早く治った」と笑って話しており、その回復力の背景には「舞台に立ちたい」という強い意志があるように感じます。
劇団SETを旗揚げしてから40年以上、舞台への情熱が健康の原動力になっているのかもしれませんね。
現在も劇団SETの座長として活躍
三宅裕司さんは2024年現在、73歳になった今も様々なメディアや舞台で精力的に活動しています。
三宅さんが1979年に創立した劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)は、2024年に創立45周年を迎えました。「東京の笑いを追求する」をコンセプトに誕生したSETは、毎年東京公演だけで1万6千人以上を動員する人気劇団に成長しています。
2024年の主な活動としては、テレビ朝日「おかしな刑事 最終回!大千秋楽スペシャル」への出演や、ニッポン放送のラジオ番組「三宅裕司のサンデーヒットパラダイス」のパーソナリティを務めるなど、幅広い活動を続けています。
また「徹子の部屋」にも定期的に出演しており、そのたびに妻・正子さんの新しいエピソードを披露してスタジオを笑いに包んでいます。
三宅さんの芸歴の長さと舞台への情熱は、同じ道を歩む後輩芸人たちにとっても大きな存在となっています。
73歳になった今も衰えることなく笑いの現場に立ち続ける三宅裕司さん——その原動力の中心には、いつも妻・正子さんと家族の存在があるようです。
三宅裕司の再婚相手のまとめ
- 三宅裕司に再婚相手はおらず、離婚歴も再婚歴もない
- 妻の名前は天野正子(あまのまさこ)、通称「マコさま」
- 妻は1951年生まれで三宅裕司と同年齢の一般女性
- 馴れ初めは東京都千代田区の小学校(西神田小学校)の同級生
- 正子さんが三宅さんに恋心を抱いたのは小学4年生のとき
- 高校2年生のクラス会で再会し、高校3年生から交際をスタート
- 7回の破局と復縁を繰り返したのちに結婚を決意
- 27歳のとき山小屋でプロポーズするも、将来性を理由に正子さんの両親が反対し別れた
- 知名度が上がった1984年に再プロポーズ、新宿の寿司屋でプロポーズした
- 婚約は1986年3月24日のラジオ生放送で発表された
- 1986年6月9日に正式に結婚
- 小学4年生からの縁を数えると出会いから25年越しの結婚だった
- 結婚の決め手は「同じところで笑えるセンス」
- 正子さんは現在、浅草の台湾からあげ店「浅草 安心や」を経営している
- 「マコさま」として知られる妻の天然語録が長年にわたってお茶の間を笑わせてきた
- 三宅裕司が脊柱管狭窄症で倒れた際、妻が「絶対に治る」と断言して支えた
- 子供は娘(三宅麻祐子・元女優)と息子(一般人・デザイナー)の2人
- 娘・麻祐子さんは俳優・弓削智久と2013年に結婚し現在は芸能界を引退している
- 孫は2人おり、三宅裕司は完全に孫バカおじいちゃんになっている

