周防正行の国籍は非公表|東京都目黒区生まれで、名字「周防」のルーツとは

周防正行の国籍は本人が公表していない|東京都目黒区生まれで名字のルーツは山口県

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周防正行さんの国籍が気になって検索された方、多いのではないでしょうか。

『Shall we ダンス?』『それでもボクはやってない』を撮った日本を代表する映画監督なのに、なぜか国籍というキーワードが並ぶ。

調べてみると、その入口になっているのは作品でも発言でもなく、全国におよそ1200人しかいないという珍しい名字のほうでした。

この記事を読むとわかること
・周防正行の国籍について、公表されている一次情報がどこまであるのか
・東京都目黒区生まれ・神奈川県川崎市育ちという公表プロフィールの中身
・珍しい名字である周防のルーツと、従兄の作曲家・周防義和との関係

周防正行の国籍について公開情報でわかること

まずは、確かめられることと確かめられないことをきっちり分けていきますね。

公表されているプロフィール、名字のルーツ、公になっている経歴の順に見ていきます。

国籍を本人が明言した一次情報は確認できない

結論から書きます。

周防正行さんが自分の国籍について語った本人発言や、所属先の公式プロフィールでの国籍表記は、確認できませんでした。

映画.com、ORICON NEWS、WEBザテレビジョン、映画ナタリーといった主要な人物データベースを見ても、記載されているのは生年月日と出身地までです。

国籍という項目自体が、そもそも設けられていません。

これは周防さんに限った話ではなく、日本の映画監督や俳優のプロフィールでは国籍欄を置かないのが一般的なんですよね。

ここ、大事なところなので先に書いておきます。

公的記録である戸籍や帰化の官報告示は誰でも見られるものではありませんし、本人が語っていない以上、この記事で国籍を断定することはできません。

できるのは、公になっている材料を並べて、そこから何が言えて何が言えないのかを正直に示すことだけです。

ネット上で見かける噂の扱いについて

検索していると、周防正行さんを韓国にひもづける趣旨のページが出てきます。

ただ、そうしたページを開いても、根拠として示されているものはありませんでした。

ページ自体が「〇〇 韓国人」という組み合わせを自動的に量産している作りで、周防さん個人について何かを取材した形跡が見当たらないタイプのものです。

裏づけのない出自の話は、書かれた側にとっては実害でしかありません。

この記事では、そうした噂を事実として扱うことはしません。

公表プロフィールは東京都目黒区生まれで川崎育ち

公表されているプロフィールは、どの媒体を見てもほぼ一致しています。

1956年10月29日に東京都目黒区で生まれ、その後は神奈川県川崎市で育ったという内容です。

項目 内容
生年月日 1956年10月29日
生まれ 東京都目黒区
育った場所 神奈川県川崎市
血液型 A型
職業 映画監督・脚本家
配偶者 草刈民代(1996年3月に結婚)

少年時代の話も残っていて、これがなかなか面白いんです。

周防さんは野球が好きな子どもで、野球をやりたいという理由だけで、わざわざ遠方の武蔵工業大学附属中学校・高等学校に進学しています。

ところが中学2年生のときに肘を痛めてしまい、そこで野球の道はあきらめることになりました。

好きなことのために学校まで選んだのに、2年で断たれてしまう。

……これは、当時の本人にとってはかなりこたえたはずです。

出生地・育った場所・進学先まで日本国内で一貫しており、海外にルーツがあることをうかがわせる公表情報は見当たりません。

名字の周防は山口県の旧周防国が由来

ここが今回いちばんの本題かもしれません。

周防という名字を初めて見た人が、どう読むのか分からず身構えてしまう。

国籍という検索が生まれる入口は、おそらくここです。

ですが、名字の由来をたどると行き先ははっきりしています。

周防は、現在の山口県東半部にあたる旧国名「周防国」に由来する日本の名字です。

周防国は飛鳥時代の記録にも登場する古い地名で、発祥地は現在の山口県光市小周防のあたりとされています。

地名の語源についても説があって、盆地の地形を「窄む(すぼむ)」と形容したものが変化したと推測されているそうです。

名字の系統としては、清和源氏の島津氏流、村上源氏、藤原南家、大友氏族、多々良氏などにみられると整理されています。

読み方も一つではありません。

すおう、すほう、すわ、すお、しゅうぼう、すぼうと、複数の読みが記録されています。

周防正行さんの読みは「すお まさゆき」です。

つまり周防という名字は、日本の古い地名からきた由緒ある日本の名字であって、海外由来の姓ではありません。

全国におよそ1200人しかいない珍しい名字

珍しさの度合いも、数字で出ています。

名字の統計データによると、周防姓は全国順位でおよそ7048位、全国の人数はおよそ1200人とされています。

日本の名字は10万種類以上あると言われますから、7000位台は決して下位ではないのですが、実数が1200人となると話は別です。

1200人というのは、日本の人口比でいえば10万人に1人いるかどうかという水準になります。

身のまわりで一度も出会わないまま一生を終える人のほうが、圧倒的に多いわけですね。

分布としては、滋賀県東近江市上平木町に見られるほか、江戸時代には福井藩士にもあったという記録が残っています。

この「見慣れない」という感覚が、そのまま「もしかして日本の名字ではないのでは」という連想に変換されてしまう。

珍しい名字の人が出自を詮索されやすいのは、正直、気の毒な話だと思います。

名字の希少さは出自の証拠にならない

念のため書いておくと、名字が珍しいことと、出自が海外にあることの間には何の関係もありません。

むしろ周防姓は、由来がはっきり日本の旧国名にたどれるという意味では、素性の明快な名字です。

数が少ないのは、発祥地が限られていて広がらなかったからにすぎません。

従兄の周防義和も日本で活動する作曲家

周防という名字の身内が、実はもう一人、映画の世界にいます。

従兄にあたる作曲家の周防義和さんです。

周防義和さんは1953年に東京で生まれた作曲・編曲家で、映画・アニメ・ドラマ・CMの音楽を数多く手がけてきました。

作曲家としての活動は1981年の舞台劇『女殺油地獄』の劇音楽から始まっています。

そして、いとこである周防正行さんの監督作の音楽を担当することが多いんです。

受賞年 作品
1997年 Shall we ダンス? 日本アカデミー賞 最優秀音楽賞
2008年 それでもボクはやってない 日本アカデミー賞 優秀音楽賞
2015年 舞妓はレディ 日本アカデミー賞 最優秀音楽賞
2020年 カツベン! 日本アカデミー賞 優秀音楽賞

日本アカデミー賞を通算4度受賞し、現在は大阪スクールオブミュージックの特別講師、名古屋学芸大学の客員教授も務めています。

いとこ同士でタッグを組んで、その音楽が国内最大級の映画賞を4回獲る。

……これ、けっこうすごい話じゃないですか。

周防姓の親族が東京生まれの日本の作曲家として長く活動している点も、この一族が日本の家系であることを示す材料の一つになります。

2016年の紫綬褒章と国が関わる委員の経歴

周防正行さんの経歴には、国の制度と接点のある事柄がいくつかあります。

一つは、2016年に紫綬褒章を受章していることです。

紫綬褒章は、学術・芸術・スポーツなどの分野で優れた業績をあげた人に国から贈られる褒章になります。

もう一つが、法制審議会の委員としての活動です。

2007年公開の『それでもボクはやってない』で刑事裁判を描いたことをきっかけに、2011年6月から2014年まで、法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員を務めました。

この部会は総勢42人で構成され、周防さんはそのうち一般有識者7人のうちの1人という立場でした。

取り調べの全面可視化、証拠の全面開示、人質司法の改善を訴え続けたことは、のちに『それでもボクは会議で闘う――ドキュメント刑事司法改革』という著書にもまとめられています。

ここは慎重に書きます。

褒章の受章歴や審議会の委員歴は、それ単体で国籍を証明するものではありません。

ただ、国の制度の内側で長く仕事をしてきた人物であり、その経歴が公の資料として残っているという事実は確認できます。

出自の話題に対する世間の受け止め方

周防正行さんの出自について、世間で大きな騒動になったことはありません。

そもそも、大手メディアが出自を取り上げた例が見当たらないんです。

語られてきたのは、いつも作品と仕事の中身のほうでした。

ピンク映画『変態家族 兄貴の嫁さん』でデビューした異色の経歴、相撲部を描いた『シコふんじゃった。』、社交ダンスを題材にして国際的に評価された『Shall we ダンス?』。

そして冤罪という重いテーマに正面から取り組んだ『それでもボクはやってない』。

作品ごとに題材がまったく違うのに、どれも「知らない世界を丁寧に見せる」という一点で共通しているんですよね。

国籍という切り口で検索されるのは、名字の珍しさが呼び水になった、いわば副産物のようなものだと考えられます。

出自をめぐる具体的な報道も、本人が語った記録も存在しない以上、この話題を膨らませる材料そのものが無いというのが実情です。

周防正行の国籍を調べる人向けの関連情報

ここからは、周防正行さんについて一緒に調べられることが多い話題をまとめていきます。

妻・学歴・代表作・最新作まで、順に見ていきましょう。

妻は元プリマバレリーナの草刈民代

周防正行さんの妻は、女優の草刈民代さんです。

結婚は1996年3月で、きっかけになったのは同じ年に公開された『Shall we ダンス?』でした。

草刈民代さんはもともとバレエダンサーで、プリマバレリーナとして活躍していた人です。

その草刈さんが同作でヒロインを演じ、監督だった周防さんと出会いました。

ただ、馴れ初めの話がちょっと面白くて。

撮影中は特別な感情があったわけではなかったそうなんです。

撮影が終わったあとの帰りの飛行機でたまたま隣同士の席になり、草刈さんが「この人はなんだか一緒にいて楽だな」と感じたのが始まりだったと語られています。

そして完成披露試写会が終わってから1か月ほどで、結婚を決めたとのことでした。

仕事で出会って、いちばん距離が縮まったのが打ち上げでも撮影現場でもなく帰りの飛行機の座席だった。

……なんか、いいですよね、この始まり方。

学歴は武蔵工業大学附属から立教大学へ

周防正行さんの学歴は、日本国内で完結しています。

中学・高校は、野球をやるために選んだ武蔵工業大学附属中学校・高等学校です。

高校卒業後は2年間の浪人を経験しました。

そして進学したのが立教大学文学部のフランス文学科です。

ここで人生が変わります。

1981年、在学中に受けた蓮實重彦さんの「映画表現論」の講義に出会い、卒業後に映画監督を志すことになりました。

この講義は伝説的なもので、周防さんのほかにも黒沢清さん、青山真治さんといった監督、ミュージシャンの佐野元春さんが受講しています。

大学4年生のころには劇団の女優の紹介で高橋伴明さんと知り合い、助監督としての承諾を得ました。

その後はイメージフォーラム映像研究所に進みつつ、高橋伴明さん、若松孝二さん、井筒和幸さんのもとで助監督修行を積んでいます。

1本の講義で進路が決まり、その場でつかんだ縁が助監督の口につながる。かなり劇的な学生時代です。

なお2023年には、母校である立教大学で「立教大学の100年、『シコふんじゃった。』の30年」と題した講演会も行っています。

代表作はシコふんじゃった。とShall we ダンス?

監督デビューは1984年、ピンク映画『変態家族 兄貴の嫁さん』でした。

一般映画への進出は1989年の『ファンシイダンス』です。

そこからの歩みを表にまとめます。

公開年 作品 題材
1984年 変態家族 兄貴の嫁さん 監督デビュー作
1989年 ファンシイダンス 寺の修行
1992年 シコふんじゃった。 大学の相撲部
1996年 Shall we ダンス? 社交ダンス
2007年 それでもボクはやってない 痴漢冤罪と刑事裁判
2012年 終の信託 終末期医療
2014年 舞妓はレディ 京都の花街
2019年 カツベン! 活動弁士

『シコふんじゃった。』と『Shall we ダンス?』では、いずれも日本アカデミー賞の最優秀監督賞を受賞しています。

受賞はそれぞれ1993年と1997年です。

脚本賞をはじめ、両作は数多くの映画賞を受賞しました。

それでもボクはやってないから続く刑事司法への関わり

2007年の『それでもボクはやってない』は、痴漢冤罪に問われた青年の裁判を描いた作品です。

この年のキネマ旬報ベストテンで日本映画1位に選ばれました。

ただ、周防さんの場合は映画を撮って終わりにならなかったんですよね。

前述のとおり2011年から法制審議会の特別部会に加わり、制度そのものを変える側の議論に3年間参加しています。

その後も活動は続いていて、日本弁護士連合会の再審法改正プロジェクトで村木厚子さんと対談したり、大学での講演に招かれたりと、冤罪救済をめぐる場に呼ばれ続けている人です。

近年も、再審制度がなぜ変わらないのかというテーマで、法制審議会の限界と市民運動の可能性について語っています。

1本の映画をきっかけに20年近く同じテーマを追い続けているというのは、そうそうできることではありません。

新作は小津安二郎の青年時代を描く作品

そして周防正行さんは、いま新作に取りかかっています。

題材は、昭和の日本を代表する映画監督・小津安二郎の青年時代です。

主演にはSnow Manの目黒蓮さんが起用されると報じられています。

撮影は夏ごろに行われる予定と伝えられていました。

巨匠が巨匠の若き日を撮る、という構図になるわけですね。

『カツベン!』で活動弁士という失われた職業を描いた人が、次は日本映画史そのものに切り込む。

個人的に、これはかなり楽しみにしています。

周防正行の国籍のまとめ

  • 周防正行が自身の国籍について語った本人発言や公式プロフィールの国籍表記は確認できない
  • 映画.com・ORICON NEWS・映画ナタリー等の人物データベースに国籍欄そのものが無い
  • 公表プロフィールは1956年10月29日生まれ、東京都目黒区の生まれ
  • 育ったのは神奈川県川崎市で、血液型はA型
  • 野球をやるために遠方の武蔵工業大学附属中学校・高等学校へ進学した
  • 中学2年で肘を痛め、野球の道は断念している
  • 名字の周防は現在の山口県東半部にあたる旧国名「周防国」に由来する日本の名字
  • 読み方はすおう・すほう・すわ・すお等が記録され、本人は「すお」
  • 周防姓は全国順位およそ7048位、全国人数はおよそ1200人とされる
  • 名字の希少さは出自が海外にあることの根拠にはならない
  • 従兄は1953年東京生まれの作曲家・周防義和で、監督作の音楽を多く担当
  • 周防義和は日本アカデミー賞を通算4度受賞している
  • 2016年に紫綬褒章を受章
  • 2011年から2014年まで法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員を務めた
  • 出自をめぐる大手メディアの報道は見当たらず、根拠を示した情報源も確認できない

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