渡部樹也の学歴|インターナショナルスクール卒で大学は行かず19歳で劇団設立

渡部樹也の学歴|インターナショナルスクール卒で大学は行かず19歳で劇団設立

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渡部篤郎さんとRIKACOさんという豪華な芸能一家に生まれた長男・渡部樹也さん。

学歴について調べると、インターナショナルスクールに通っていたことや、大学には進学していないことがわかってくるのですが……インターナショナルスクールを卒業後、大学には進まず19歳で自ら劇団を立ち上げてしまうほどの行動力の持ち主です。

そこには母・RIKACOさんの強い想いと、揺るぎない意志が隠されていたんです。知れば知るほど「この人、かっこいいな」と思わせてくれる学歴ストーリー、一緒に見ていきましょう。

この記事を読むとわかること
・渡部樹也さんがインターナショナルスクールに通った理由と学校名の真相
・大学進学を選ばず、19歳で劇団を立ち上げるまでの経緯
・父・渡部篤郎や弟・渡部蓮との関係と一家の芸能活動の全貌

渡部樹也の学歴|インターから始まった経歴と大学進学を選ばなかった理由

渡部樹也さんの学歴については、「大学はどこ?」「インターに通ってたって本当?」と気になっている人が多いようですね。

父・渡部篤郎さん、母・RIKACOさんという超豪華な芸能一家に生まれながら、樹也さん自身はどんな学校生活を送ってきたのでしょうか。

インターナショナルスクールへの進学はRIKACOの教育方針

渡部樹也さんが幼い頃から通ったとされているのが、インターナショナルスクールです。

これはRIKACOさん自身の強い教育方針からきていました。

RIKACOさんは10代の頃からモデルとして海外でも活動していた経験があります。

しかし、そのときに「言葉が通じないこと」が人生を大きく左右すると痛感したそうです。

その経験から、「息子たちには最初からカタカナを覚えるように英語を学ばせたい」という強い意志を持つようになり、長男・樹也さんと次男・蓮さんの2人をインターナショナルスクールに通わせることを決意したといいます。

2022年のテレビ出演時にRIKACOさんは、「インターナショナルスクールに頑張って行かせてたので。今の時代は私たちの時代と違って、SNSでつながって、海外も凄い近くなってますから、言葉の壁さえ越えられれば本当にみんなと友達になれるし、いろんなお仕事もできる」と語っています。

読んでいて、なるほどなと思いませんか?

「頑張って行かせた」という言葉からは、経済的にも簡単ではない選択をRIKACOさんが子供たちのためにした、その覚悟が伝わってきます。

こうして、渡部樹也さんはインターナショナルスクールで英語漬けの学校生活をスタートさせたわけです。

渡部樹也さんのインターナショナルスクール通学は、母・RIKACOさんの「グローバルに育てたい」という強い教育方針から始まったものでした。

高校は横浜インターナショナルスクール卒業説が浮上

インターナショナルスクールに通っていたことはほぼ確実視されている渡部樹也さんですが、「具体的にどの学校か」については公式な発表はなく、情報はやや錯綜しています。

その中でもっとも有力な説として浮上しているのが、横浜インターナショナルスクール(YIS)です。

この説が広まったのは、主に弟・渡部蓮さんの卒業写真がきっかけでした。

RIKACOさんが2017年6月3日のInstagramに「次男の卒業式😭長年通ったインターナショナルスクールと今日でお別れ」という投稿をしており、そこに写った学校の敷地内の様子、周辺の建物、警備員の制服などが横浜インターナショナルスクールとよく似ているといわれています。

さらに、弟・渡部蓮さんについては「幼稚園から高校まで横浜インターナショナルスクールに通った」という情報があり、兄・樹也さんも同じ学校に通った可能性が高いという見方がされています。

横浜インターナショナルスクールとはどんな学校か

横浜インターナショナルスクール(YIS)は、神奈川県横浜市に位置する私立の国際学校です。

国際バカロレア(IB)プログラムを採用しており、世界水準の教育を日本で受けられる環境が整っています。

授業はすべて英語で行われ、日本語や母国語の授業も設けられています。

世界各地から集まる生徒たちと学ぶ環境は、グローバルな感覚と語学力を自然と身につけるうえで非常に優れています。

渡部蓮さんが実際にこの学校でネイティブ並みの英語力を身につけ、後にApple TV+の大型ドラマでメインキャストを勝ち取ったことを考えると、横浜インターナショナルスクール出身説には十分な説得力があります。

大学進学を断念して実践の場に飛び込んだ選択

インターナショナルスクールを卒業した渡部樹也さんに、大学進学の選択肢はなかったのか——という疑問も多くの人が抱くところです。

実は、樹也さんは高校卒業後に大学への進学は一切していないことが、本人の発言から明らかになっています。

進学先として検討していたのは、いわゆる「総合芸術大学」と呼ばれる芸術系の大学だったといいます。

日本大学芸術学部や早稲田大学、桜美林大学など、演劇や脚本について学べる大学への進学も視野に入れていたとみられます。

しかし樹也さんは最終的に、大学で学ぶという道を選びませんでした。

総合芸術大学への進学を検討していた

樹也さんが2015年のインタビューで語ったところによると、当時は大学進学も「選択肢の一つ」としてあったそうです。

しかし、それよりも「早く経験や実績を積みたい」という思いの方がはるかに強かったといいます。

座学で学ぶよりも、実際の現場で動きながら身につける——そういう気質が、樹也さんには幼い頃から備わっていたのかもしれません。

順調に進学していれば高校卒業は2013年。

その年の10月にはもう舞台出演を果たしているわけですから、高校卒業と同時に即座に行動に移した、その決断の早さには正直驚かされます。

渡部樹也さんは大学進学を選ばず、卒業直後から舞台の現場に飛び込むという実践主義の道を歩み始めました。

演出家・伊藤和重のもとで演出助手として腕を磨いた学生時代

大学には行かなかった樹也さんですが、芸能の現場で「別の形での学び」を選んでいました。

それが、演出家・脚本家の伊藤和重さんが代表を務める団体「IN EASY MOTION」への参加です。

2013年10月に舞台出演し、その後は演出助手として伊藤和重さんのもとで修業を積んでいきました。

演出家の助手を務めるということは、演じる側の視点だけでなく、作品全体を構成する側の視点を鍛えることでもあります。

脚本家・演出家としての才能を開花させた樹也さんにとって、この時期の修業がどれほど大きな意味を持っていたか——想像するだけでじんと来るものがあります。

そしてわずか1年後の2014年2月には、自身が主宰する劇団「HANDS UP(ハンズアップ)」の旗揚げ公演を成功させるわけです。

当時19歳。

自分の劇団を立ち上げ、旗揚げ公演「リリィの語り部」では脚本・演出をすべて自分で手がけてのけました。

大学の4年間を別の方法で圧縮して吸収したような、そんな密度の高い20代の始まりでした。

学歴と現在の俳優・脚本家活動の関連性

渡部樹也さんの現在の肩書は「俳優・演出家・脚本家」。

所属事務所「Acepad(株式会社エースペイド)」のプロフィールにも、そのように明記されています。

インターナショナルスクールで鍛えたグローバルな視点と英語力は、樹也さんの創作活動においても独自の強みになっているはずです。

大学で演劇を学ぶ同世代が理論を学んでいた時間、樹也さんは実際の舞台で試行錯誤を重ねていました。

その差は、作品のオリジナリティに表れているのかもしれません。

2023年2月に手がけた舞台「どうか妹だけは助けてください」は公演の2週間前に完売という実績を残しており、同年には総合芸術制作集団「等々力帝國劇場」の発足と、「薄羽集魚灯」の脚本・演出・出演を果たしています。

大学へ行かないという選択は、決してマイナスではなく、現場での学びを徹底的に積み重ねた結果として、今の渡部樹也という才能を生み出しました。

さらに興味深いのは、人前に立つことが「全然ダメ」と本人が公言しているにもかかわらず、作家・演出家として舞台に欠かせない存在になっていることです。

「実は僕、人前で目立つことが全然ダメで。なにかとデリケートになっちゃうんですね」「次はもう出ませんよ(笑)ホントダメなんです。恥ずかしいんです人前が・・・」というコメントからは、舞台に立つことへの葛藤と、それでも自分の表現のために覚悟を持って臨む姿が伝わってきます。

世間の渡部樹也の学歴への声・評価

渡部樹也さんの学歴やバックグラウンドについて、ネット上ではさまざまな声が上がっています。

まず多いのが、「インターナショナルスクール出身はやっぱりすごい」という声です。

英語力という武器を早い段階で身につけたことは、これからの活動においても大きなアドバンテージになるという意見も多く見られます。

一方で「大学行かなかったのに劇団まで立ち上げてしまうのはすごい」という驚きの声も。

親の七光りと思われがちな二世俳優が、自分のやりたいことを貫いて独自の世界を切り開いているところが評価されているようです。

また、樹也さんがRIKACOさんのYouTubeチャンネルに一緒に登場した際には、「イケメンすぎる」「父・渡部篤郎にそっくり」という反応が相次ぎ、その存在感が一気に注目を集めました。

「ご両親からの素晴らしい体形」「DNAを受け継いでる」という声もあり、185cmの高身長と端整な顔立ちが話題になっています。

渡部樹也の学歴を調べる人向けの関連情報

渡部樹也さんの学歴に興味を持った方に向けて、プロフィールや家族についてもまとめてご紹介します。

読み方は「わたべみきや」で本名は渡部 樹

意外と間違えやすいのが、渡部樹也さんの名前の読み方です。

正しい読み方は「わたべ みきや」。

「わたべ いつきや」などと読んでしまう人も多いようですが、「みきや」が正解です。

そして芸名が「渡部樹也(わたべ みきや)」であるのに対し、本名は「渡部 樹(わたべ みき)」です。

所属事務所Acepad(株式会社エースペイド)のプロフィールページにも本名「樹(みき)」と記載があります。

では、なぜ「渡部」という苗字なのか——これにはちょっとした背景があります。

両親が2005年に離婚した際、親権はRIKACOさん側に渡ります。

通常であれば、親権者の苗字に変わるはずですが、当時11歳だった樹也さんと7歳だった蓮さんは「渡部」の苗字を変えたくないと強く主張したといいます。

その思いを汲んで、RIKACOさん(本名・吉川莉加子)が自ら新たに「渡部」という戸籍を作り、自分だけそこに移るという手続きを取りました。

これほどまでに父・渡部篤郎さんを尊敬し、「渡部」という名前に誇りを持つ樹也さんの姿、なんか……いいですよね。

「渡部」という苗字へのこだわりは、父・渡部篤郎への尊敬と愛情の表れでした。

父・渡部篤郎の背中を追い続けた幼少期

渡部樹也さんの父親は、言わずと知れた大御所俳優・渡部篤郎さん(1968年5月5日生まれ・身長180cm)です。

RIKACOさんと渡部篤郎さんは1993年に結婚し、1994年に樹也さんが誕生。

その後1999年に蓮さんが生まれましたが、2005年12月に離婚します。

離婚時、樹也さんは11歳でした。

しかしその後も、父・篤郎さんとの関係は良好に続きます。

2015年の「徹子の部屋」への父・篤郎さんのゲスト出演時には、「ちょくちょく3人で旅行に行く」というエピソードが語られていました。

現在も休みが合えば親子でゴルフに出かけるなど、離婚後も良き父として関わり続けている篤郎さんの姿が伺えます。

また、2016年に篤郎さんが一般女性と再婚した際には、樹也さんと蓮さんが「良かったね!幸せになってほしいね!」と祝福したというエピソードも。

ちょっと大人だな、と思いませんか?

これは、RIKACOさんが「離婚は子どもたちにはなんの関係もなく親の都合。できるだけ息子たちには負担を掛けないように」という姿勢を貫いてきたことの成果でもあるのでしょう。

そして樹也さんが脚本家・演出家として創り上げる舞台の世界観には、どこか父・篤郎さんの持つ重厚な芸術性が受け継がれている気がします。

母・RIKACOが語ったインター教育への想い

改めて、渡部樹也さんにとって最も身近な存在であり、育ての親であるRIKACOさんについて触れておきましょう。

RIKACO(本名・吉川莉加子、1966年3月30日生まれ・身長169cm・A型)は、1990年代から人気タレントとして活躍し、現在もタレント業に加え洋服や雑貨のプロデュース・販売活動も手がけています。

樹也さんと蓮さんをインターナショナルスクールに通わせた背景には、RIKACOさん自身の海外モデル経験が直結していました。

「息子たちには最初からカタカナを覚えるように英語を学ばせたいっていうのがあって、インターナショナルスクールに頑張って行かせてたので」——この言葉には、母親としての強い覚悟が滲んでいます。

シングルマザーとして2人の息子を育てながら、将来「老人ホームに入るかもしれない。息子の世話にならないように決めている」とも発言するRIKACOさん。

自立した息子に育てたいという思いと、息子たちへの深い愛情が、インター教育という選択にも表れているのかもしれません。

2022年の「産んで良かった」という言葉は、そんな母の素直な気持ちでしょう。

RIKACOさんの「グローバルに育てたい」という一貫した教育方針が、渡部樹也さんの学歴の土台を作りました。

弟・渡部蓮も同じくインター卒業でモデル俳優に

渡部樹也さんには、4歳年下の弟・渡部蓮さん(1999年3月生まれ・身長183cm・O型)がいます。

蓮さんもまた、インターナショナルスクールを経て芸能界へと進んだ人物です。

こちらは具体的な学校名がより明確で、幼稚園から高校まで横浜インターナショナルスクールに通ったといわれています。

授業がすべて英語で行われていたため、日本語よりも英語の方が得意という環境で育ちました。

16歳の頃には、運転免許を取りに自動車学校へ行く際もアメリカ人のいる自動車学校を選んだというエピソードが残っています(2015年「徹子の部屋」での父・篤郎さんの証言)。

高校卒業後はモデルとしてキャリアをスタートさせ、2017年11月号の「Men’s Non-no」に掲載。

その後アメリカのエージェントのもとで3年間オーディションを受け続け、2023年11月にApple TV+のドラマ「モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ」でメインキャストの1人として抜擢されました。

「モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ」はゴジラやキングコングが登場する「モンスター・ヴァース」シリーズを舞台にしたSFドラマで、全世界配信という大舞台への進出です。

インターナショナルスクールで培った英語力が、文字通り「世界への扉」を開いたわけです。

兄・樹也さんが国内の舞台で脚本・演出・俳優として才能を発揮する一方、弟・蓮さんはその英語力を活かして世界を舞台に活躍しています。

ふたりとも、インター教育という選択が確かに実を結んでいますね。

劇団HANDSUPから等々力帝國劇場へと続く舞台活動

渡部樹也さんが芸能の世界で築いてきたキャリアの核にあるのは、やはり「舞台」です。

インターナショナルスクールを卒業し、伊藤和重さんのもとで演出助手として経験を積んだ樹也さんは、2014年2月に自身の劇団「HANDS UP(ハンズアップ)」を旗揚げします。

旗揚げ公演「リリィの語り部」では脚本・演出をすべて自ら担当。

さらに2015年の第2回公演「ルキアの使い手」では脚本・演出に加えて主演まで務めました——本人は「人前が恥ずかしい」と言い続けながらも。

2016年には「イライザ〜深海にひそむ初恋〜」の脚本、同年の劇団公演「父より」の美術・脚色・演出を担当するなど、マルチな才能を発揮し続けました。

等々力帝國劇場とは

2023年に新たに立ち上げたのが、総合芸術制作集団「等々力帝國劇場」です。

共同設立者は俳優・福地展成さん。

福地展成さんは俳優・哀川翔の三男です。

実は渡部家と哀川家はご近所同士で、しかも家と家の間をはしごでつないでいたほどの仲。

幼い頃から一緒に育ってきた関係が、大人になって表現者としてのタッグとして結実したわけです。

2023年の初プロデュース舞台「薄羽集魚灯」では渡部樹也さんが総指揮・脚本・演出・出演の全てを担当。

衣装はあのHYSTERIC GLAMOUR、音楽は電子音楽と和太鼓を組み合わせた独自の世界観で、芸術性の高い舞台として注目を集めました。

同じ2023年2月に手がけた舞台「どうか妹だけは助けてください」が公演2週間前に完売という実績を残していることからも、その演出の評価が確実に高まっていることがわかります。

劇団「HANDS UP」設立から「等々力帝國劇場」発足へと続く10年の歩みは、渡部樹也さんが独自の表現世界を着実に構築してきた証です。

渡部樹也の学歴のまとめ

  • 父は俳優・渡部篤郎、母はタレント・RIKACOという芸能一家に生まれた
  • 1994年11月25日生まれ、東京都出身
  • インターナショナルスクールに通っていたことはRIKACOの発言から確認されている
  • 横浜インターナショナルスクール(YIS)に通っていた可能性が高いとされる(断定はされていない)
  • 弟・渡部蓮は幼稚園から高校まで横浜インターナショナルスクールに通ったといわれている
  • 最終学歴は高卒とされており、大学への進学はしていない
  • 高校卒業後、総合芸術大学への進学も選択肢にあったが実践を選んだ
  • 2013年に伊藤和重のもとで演出助手として修業をスタート
  • 2014年に19歳で劇団「HANDS UP」を立ち上げ
  • 本名は「渡部 樹(わたべ みき)」、芸名に「也」を加えて「渡部樹也(わたべ みきや)」
  • 「渡部」の苗字は両親の離婚後も本人の希望で変えなかった
  • 父・渡部篤郎と現在も良好な関係を維持し、休日は一緒にゴルフを楽しむ
  • 母・RIKACOのYouTubeに出演するなど、親子関係は良好
  • 人前で目立つことが苦手と自称しながらも、舞台の主演も務めた
  • 漫画好きで、16歳から週刊誌6冊・月刊誌4冊を継続的に読んでいた
  • 2023年に俳優・福地展成(哀川翔三男)と総合芸術制作集団「等々力帝國劇場」を設立
  • 舞台「どうか妹だけは助けてください」が2週間前完売という実績を残す
  • 弟・渡部蓮はApple TV+ドラマ「モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ」にメインキャストで出演

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