木村俊作の若い頃「キムタクの弟が嫌で突っ張ってきた」——苦悩から日本代表へ

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木村俊作さんといえば、元SMAPの木村拓哉さんの弟として知られていますが、実はアメフトで日本代表にまで輝いたリアルアスリートです。

しかも「キムタクの弟」と呼ばれることへの苦悩を赤裸々に語り、悔しさをバネにアメフト界のトップへと駆け上がった——この話、知ったらきっと木村俊作さんのことが気になって仕方なくなると思いますよ。

今回は木村俊作さんの若い頃から現在まで、アメフト選手・デザイナー・実業家としての歩みを詳しくまとめました。

この記事を読むとわかること
・木村俊作の若い頃のアメフト経歴(堀越高校〜日体大〜日本代表)
・「キムタクの弟」として生きた苦悩と成長の軌跡
・現在の活動(有限会社NFF・防衛大学校コーチ・再婚)まで

木村俊作の若い頃:アメフト一筋で日本代表になった男の軌跡

キムタクの弟として知られる木村俊作さんですが、実はアメフトで日本代表にまで上り詰めた本物のアスリートです。

若い頃の軌跡を詳しく追っていきましょう。

堀越高校でアメフトを始めた転機

木村俊作さんがアメリカンフットボールと出会ったのは、堀越高等学校に進学したのがきっかけです。

兄・木村拓哉さんが「あすなろ白書」で大ブレイクした1993年、木村俊作さんはちょうど中学2年生でした。

思春期まっただ中のその頃、自分の兄が日本中で話題になるほどの有名人になっていくわけです。

同学年の子どもたちの間でも「キムタクの弟」という目で見られることが増え、木村俊作さんにとってはプレッシャーの日々が続いたと後に語っています。

そんな中、高校は堀越高等学校を選択。

芸能人の通う学校としても知られるこの高校で、木村俊作さんはアメリカンフットボールを始めます。

出身の小中学校について

中学校は千葉市立磯辺第一中学校に通っていたとされ、小学校については千葉市立磯部第二小学校が兄と同じと推測されています(ただしいずれも公式発表ではありません)。

千葉県千葉市で生まれ育った木村俊作さんですが、思春期に東京の堀越高校への進学を選んだことで、その後の人生が大きく変わることになります。

アメフトという、体力・精神力・チームワークが試される競技に出会い、木村俊作さんはそこに「自分の居場所」を見つけていったのかもしれませんね。

日体大で磨いたラインバッカーの才能

堀越高校でアメフトの才能を開花させた木村俊作さんは、卒業後は関東リーグで常に1部リーグに君臨する強豪校・日本体育大学体育学部体育学科に進学します。

ポジションはラインバッカー(LB)。

これはディフェンスラインの一つ後ろに位置する、いわば守備の司令塔とも言われるポジションです。

相手の攻撃を読み、ランプレーへの対処もパスカバーもこなさなければならない、高い判断力と身体能力が求められる役割です。

木村俊作さんは身長180cm・体重89kgという恵まれた体格を持っており、このラインバッカーというポジションにまさにぴったりのフィジカルです。

バズーカ岡田との交友

日体大時代の同級生には、後に「バズーカ岡田」として有名になる岡田隆さん(日体大准教授、ボディビルダー、YouTuber)がいます。

2人は大学時代の仲間として今でも交流が続いているとされており、木村俊作さんの大学時代がいかに充実したものだったかが伝わってきます。

アメフト一筋で駆け抜けた大学生活は、木村俊作さんにとって「キムタクの弟」というレッテルを超えて自分自身の実力を証明するための場だったと言えるでしょう。

大学時代に磨き上げたラインバッカーとしての能力が、後の社会人チームへの入団と日本代表選出につながっていきます。

アサヒビールシルバースターへの入団とルーキーNo.1の評価

日体大卒業後の2002年4月、木村俊作さんは社会人アメフトクラブ・アサヒビールシルバースターに入団します。

アサヒビールシルバースターは、日本のアメリカンフットボールリーグであるXリーグで長年活躍してきた名門チームです。

このような強豪チームに入団を果たしたこと自体が、木村俊作さんの実力の高さを示しています。

そして入団1年目の活躍は目覚ましく、監督から「ディフェンスではルーキーNo.1の選手」と高く評価されたという情報もあります(単独ソースからの情報)。

これ、かなりすごいことですよね。

社会人チームにはその道のプロたちが集まっているわけで、その中でルーキーとして最高評価をもらえるというのは、並の実力ではありません。

日体大でしっかりと基礎を築き、即戦力として輝きを放った木村俊作さんの若い頃のアメフト選手としての姿が、まざまざと浮かんでくるようです。

2003年ワールドカップで日本代表として連覇に貢献

入団翌年の2003年、木村俊作さんはアメリカンフットボールの第2回ワールドカップ(ドイツ開催)に日本代表として出場し、日本の連覇達成に大きく貢献しました。

これは、プロとして入団してわずか1年少しでの代表選出です。

改めてすごいですよね……。

アメフトの世界で日本代表に選ばれるということは、日本国内でも上位に位置するトップ選手であることの証明です。

しかも連覇に貢献したというのですから、木村俊作さんのアメフト選手としての実力は本物だったということが分かります。

出来事
2002年4月 アサヒビールシルバースター入団
2002年 SHUIPブランドを高校同級生と共同設立
2003年 第2回アメフトワールドカップ(ドイツ)日本代表・連覇貢献
2004年 アリーナフットボール選抜選出(外国チームと対戦)
2004年 現役引退・同年一般女性と結婚

また翌2004年には、アメリカンフットボールをベースに作られたスポーツ「アリーナフットボール」の選抜に選ばれ、外国チームとも対戦しています。

アサヒビールシルバースター入団からわずか2〜3年で日本代表に選ばれ、世界の舞台で戦ったのが木村俊作さんの輝かしい若き日々です。

現役引退と並行して立ち上げたファッションブランドSHUIP

実は木村俊作さん、アメフト現役時代と並行して早くもビジネスの世界にも足を踏み入れていました。

2002年、高校時代の同級生である老川一平さんとともに、ファッションブランド「SHUIP(シュイップ)」を立ち上げたのです。

「SHUIP」という名前は、木村俊作の「SHU(しゅん→しゅ)」と老川一平の「IP(いっぺい)」を組み合わせたもの、という説があります。

ブランドのコンセプトは「cosmopolitan “WA” wear」。

和と洋を融合させたスタイルが特徴で、花押や家紋などをモチーフにした和柄のシンプルなデザインが国内外から注目を集めました。

裏原宿のキャットストリートと代官山の駒沢通り沿いに「SHUIP KAOU」の直営ショップをオープンし、メンズカジュアルを中心にユニセックスのアイテムも展開していました。

アメフト選手でありながら、ファッションデザイナーとしての二足のわらじを履いていたんですね。

ただ、残念ながら2007年9月末に実店舗は閉店。

SHUIPブランドもその後クローズとなっています。

それでも閉店後もオークションサイトなどでSHUIPのアイテムが売買されているほど根強いファンがついていたのは、ブランドのクオリティの高さを物語っています。

「キムタクの弟」と呼ばれ続けた苦悩の青春時代

木村俊作さんのことを語るうえで避けて通れないのが、「キムタクの弟」という宿命との葛藤です。

2002年、当時23歳の木村俊作さんは週刊朝日の独占インタビューに応じ、自らの苦悩を赤裸々に語っています。

「兄が有名になった後は、どこへ行っても絶対に”キムタクの弟”がついて回る。

最初に自分として見てくれない」

「”キムタクの弟”としか見られず、それが悔しくて突っ張ってきた。

体を鍛えたきっかけも舐められたくなかった」

「(兄が有名人で)迷惑の方が多かった。

親だってそう。

うちは兄貴の稼ぎでは食っていないのに”お宅は右肩上がりでいいですね”って言われたりする」

……これは、読んでいてちょっと胸が痛くなりますよね。

日本中を熱狂させた「キムタク」の弟として生きることの重さを、木村俊作さんは思春期からずっと背負ってきたわけです。

キムタクが出世作「あすなろ白書」で話題になった1993年、木村俊作さんは中学2年生。

「ロングバケーション」の1996年には高校2年生。

まさに一番多感な時期に、自分の兄が国民的スターになっていくのを見ていたわけですから、その複雑な気持ちは想像にあまりあります。

また、ヤンキーや先輩に絡まれたり、いじめられたりしたこともあったとも伝えられており、自宅周辺を週刊誌の記者やファンが常にうろついているなど、芸能人の身内ならではの苦労も多かったようです。

その悔しさをバネに、アメフトで日本代表にまで上り詰めた木村俊作さん。

「キムタクの弟ではなく、木村俊作として生きたい」という強い意志が、彼のアスリートとしての飛躍の原動力だったのかもしれません。

木村俊作の若い頃を調べる人向けの関連情報

木村俊作さんのアメフト時代の話だけでなく、現在の活動や気になる家族関係についても詳しくまとめました。

現在の仕事:有限会社NFFと防衛大学校コーチ

アメフトを引退し、SHUIPブランドを閉店した後の木村俊作さんは、新たなビジネスの道を切り開いていきます。

2005年には「有限会社NFF」を設立し、現在も代表取締役を務めています。

事業内容は、自衛官・海上保安官・警察官向けの「カレッジリング」の制作・販売です。

カレッジリングとは、卒業や入隊の記念として作られるリングのこと。

アメリカの大学や軍関係者の間で古くから親しまれているカルチャーです。

防衛省共済組合の契約商品として採用されるなど、木村俊作さんは自衛隊との深い繋がりを持っています。

そして2019年からは、防衛大学校のアメリカンフットボールチーム「Cadets(カデッツ)」のコーチに就任しています。

アメフト選手としての経験と、自衛隊との繋がり、この2つが見事に合わさった形での社会貢献と言えますね。

東日本大震災での自衛隊支援

2011年の東日本大震災では、自衛隊の活動を陰ながらサポートしていたというエピソードも伝えられています(単独ソースからの情報)。

普段からカレッジリングを通じて自衛隊との絆を持つ木村俊作さんならではの支援活動で、アメフト選手・デザイナーという側面だけでは語れない人物の奥深さを感じます。

電通キャタピラーズで42歳の現役復帰

木村俊作さんのエピソードで「やっぱりすごい人だ」と驚かされるのが、2021年の42歳でのアメフト現役復帰です。

大手広告代理店・電通のアメフトチーム「電通キャタピラーズ」に入団し、日本アメフト界のトップリーグ「Xリーグ」のメンバーとして登録されました。

42歳での現役復帰というのは、並大抵のことではありません。

日常的なトレーニングを続けていなければまず不可能ですし、体格・体力の維持も相当なものです。

かつてと同じラインバッカー(LB)のポジションで今シーズン3試合に出場したという情報もあり、現役バリバリの選手たちと並んでプレーしていたということになります。

2023年頃には電通キャタピラーズを退き、現在は完全に選手としては引退しているようですが、この42歳での復帰劇は木村俊作さんのアスリートとしての意地と情熱を感じさせますよね。

2023年の不倫スキャンダルと離婚・再婚の経緯

2023年11月、週刊女性が木村俊作さんの不倫スキャンダルを報じ、話題になりました。

経緯を整理すると——

2004年に高知県出身の一般女性と結婚し、約20年近くをともに過ごしてきた木村俊作さんでしたが、2020年に都内のラウンジで出会った30代の女性と交際を開始したとされています。

「妻と離婚して再婚する」と約束しつつも、なかなか離婚の決断には至らず、その女性との関係が続いたというのが報道の骨子です。

その後関係を解消した後、木村俊作さんは別の女性と交際に発展。

2023年4月に最初の妻と離婚し、同年7月に年下の女性と再婚

10月には再婚相手が男児を出産しています。

Wikipediaによると、最初の結婚で2021年に長女、2022年に長男が誕生しているという記述もあり、時系列がやや複雑ですが、2023年は木村俊作さんにとって大きな転機の年となりました。

キムタクとの兄弟仲は絶縁?現在の関係

長年にわたって噂されてきた木村俊作さんと兄・木村拓哉さんの「不仲説」や「絶縁説」。

これについては、実は大きな誤解がある可能性が高いようです。

確かに、かつてはキムタクの豪邸に頻繁に遊びに行っていた木村俊作さんですが、アメフト引退後に拠点を移したことで行き来が減ったと言われています。

ただ「行き来が減った=不仲・絶縁」と断定するのは早計で、それぞれが家庭を持ち、それぞれの人生を歩んでいる中で、会う頻度が自然に下がっただけという見方もできます。

2002年のインタビューで木村俊作さんが語った発言——「ヤツはヤツで好きなことをやってんだから、俺には関係ないと思った」——も、確かに距離を感じさせる言葉ですが、それは「嫌い」というよりも「兄とは別の道で自分を証明したい」という独立心の表れとも解釈できます。

ちなみに木村家の両親についても触れておくと、父・木村秀夫さんはもともとサラリーマンでしたが、木村俊作さんが高校生だった1997年ごろにイタリアンレストラン「ラ・ボニータ」を開業。

現在は東京都内で盆栽カフェを経営しているとされています。

母・木村方子さんは「キムタクの母」という知名度を生かした食育・育児の講演活動を全国で行い、スピリチュアル系の活動にも取り組んでいると伝えられています。

なかなか濃いキャラクターを持つ一家ですよね。

現時点では木村俊作さんと木村拓哉さんの絶縁を示す確かな証拠はなく、お互いの生活スタイルを尊重した適度な距離感を保っているというのが実態に近いとみられます。

まとめ:木村俊作の若い頃と現在

  • 1979年7月29日生まれ、千葉県千葉市出身
  • 中学校は千葉市立磯辺第一中学校(推定)、高校は堀越高等学校
  • 堀越高校でアメリカンフットボールを始め、日体大でラインバッカーとして活躍
  • 日体大の同級生には「バズーカ岡田」こと岡田隆准教授がいる
  • 2002年4月、アサヒビールシルバースターに入団し、ルーキーNo.1と評価される(単独ソース情報)
  • 2002年に高校同級生の老川一平とファッションブランド「SHUIP」を設立
  • 2003年、第2回アメフトワールドカップ(ドイツ)に日本代表として出場し連覇に貢献
  • 2004年にアリーナフットボール選抜に選ばれ、外国チームとも対戦
  • 2004年に現役引退し、同年高知県出身の一般女性と結婚
  • アメフト現役中から「キムタクの弟」と呼ばれることへの苦悩を週刊誌で吐露していた
  • 2005年に有限会社NFFを設立し、自衛官・警察官向けカレッジリング事業を展開
  • 2007年にSHUIPの実店舗を閉店
  • 2018年に「Amazon Fashion Week TOKYO」でランウェイモデルとして活動
  • 2019年より防衛大学校アメフト部「Cadets」のコーチを務める
  • 2021年に42歳で電通キャタピラーズに入団しアメフト現役復帰
  • 2023年4月に離婚、7月に年下女性と再婚し、10月に男児誕生
  • キムタクとの絶縁説は証拠なく、お互い適度な距離を保つ兄弟と考えられる

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