佐藤善雄の若い頃は178cmの長身イケメン!海苔売り場からラッツ&スターへの軌跡

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佐藤善雄さんといえば、ラッツ&スターのバスボーカルとして知られていますが、若い頃は178cmの長身イケメンとして女性人気がすごかったんです。

デビュー前に海苔の山本山で働いていたという意外な経歴も持つ佐藤善雄さん。

この記事では、シャネルズ時代の活躍から現在のファイルレコード社長としての顔まで、佐藤善雄さんの若い頃を中心にたっぷりご紹介します。

この記事を読むとわかること
・佐藤善雄の若い頃のイケメンぶりと身長178cmのルックスの魅力
・シャネルズ結成からラッツ&スター「め組のひと」までの活躍の軌跡
・現在のファイルレコード社長やゴスペラッツとしての活動

佐藤善雄の若い頃はイケメンで女性人気が凄かった

ラッツ&スターのバスボーカルとして活躍した佐藤善雄さんの若い頃は、メンバー随一のイケメンとして女性ファンを魅了していました。

ここでは、デビュー前の意外な経歴から、シャネルズ・ラッツ&スター時代の活躍、そして合同結婚式まで、佐藤善雄さんの若い頃を時系列で振り返ります。

シャネルズ結成前は海苔の山本山で働いていた

佐藤善雄さんは1956年9月12日、東京都大田区大森に生まれました。

地元の大田区立大森第三小学校に通い、ここで後にラッツ&スターのメインボーカルとなる鈴木雅之さんと出会っています。

中学校は大田区立大森第八中学校で、ここでも鈴木雅之さんと同級生。

さらにもう一人のメンバーである久保木博之さんとも中学で同級生という関係でした。

ちなみに桑野信義さんは小学校・中学校の1年後輩にあたります。

こうして見ると、ラッツ&スターの核となるメンバーは大田区大森周辺の幼なじみグループから生まれたことがわかりますよね。

高校は東海大学高輪台高等学校に進学し、卒業後はなんと海苔の老舗「山本山」に入社して、百貨店の海苔売り場で働いていたんです。

え、あのラッツ&スターの佐藤善雄さんが海苔を売っていたの?って驚きますよね。

でも当時はまだプロデビュー前で、昼間は百貨店で海苔を販売しながら、夜や休日は仲間たちと音楽活動を続ける日々だったそうです。

学生時代は番長だった鈴木雅之さんの友人だったこともあり、なかなかヤンチャな日々を過ごしていたとも言われています。

のちにラッツ&スターとして大スターになる佐藤善雄さんの原点は、海苔売り場と大田区の仲間たちとの音楽だったんですね。

項目詳細
生年月日1956年9月12日
出身地東京都大田区大森
出身小学校大田区立大森第三小学校
出身中学校大田区立大森第八中学校
出身高校東海大学高輪台高等学校
卒業後の就職先海苔の山本山(百貨店の海苔売り場勤務)

シャネルズのオリジナルメンバーとしてデビュー

1975年、佐藤善雄さんが19歳のとき、鈴木雅之さんが結成したドゥーワップグループ「シャネルズ」のメンバーとなりました。

シャネルズは結成後に数回のメンバーチェンジを経ていますが、佐藤善雄さんはその中でも数少ないオリジナルメンバーの一人です。

当時、日本ではドゥーワップというジャンル自体がまだ一般的ではなかったんですよね。

それでも仲間たちと一緒に、このジャンルにこだわり続けたのはすごいことだと思います。

メンバーは鈴木雅之さん、佐藤善雄さん、久保木博之さん、そして後から加わった田代まさしさん、桑野信義さんらで構成され、アマチュアとして精力的に活動を続けました。

そして1980年2月、ついに「ランナウェイ」でプロデビューを果たします。

この「ランナウェイ」がなんと110万枚を超えるミリオンセラーの大ヒットとなり、一躍スターダムにのし上がりました。

……正直、デビュー曲でいきなりミリオンって、とんでもないですよね。

佐藤善雄さんはシャネルズではバスボーカルを担当。

最も低音域のパートで、グループのサウンドの土台を支える存在でした。

デビュー直後は音楽活動と百貨店の仕事を兼業していたというのも、なかなか信じられないエピソードです。

EastWest’77出場とサザンオールスターズとの共演

プロデビュー前の1977年には、当時最高峰のアマチュア・バンドコンテスト「EastWest’77」に出場しています。

この大会では決勝大会まで進出し、見事に入賞を果たしました。

しかも同じ大会には、あのサザンオールスターズも出場していたんです。

サザンの勢いに圧倒されたメンバーたちは「もっとインパクトのある見せ方はないか」と考え始めたとも言われていて、後の黒塗りパフォーマンスのきっかけの一つになったとされています。

田代まさしさんが東宝映画「三匹の狸」に登場する黒塗りパンチパーマの詐欺師を見て、メインボーカルが顔を黒く塗ってステージに立つことを提案したのがきっかけだったそうです。

178cmの高身長と正統派ルックスでファンを魅了

佐藤善雄さんの若い頃を語る上で欠かせないのが、そのルックスの良さです。

身長178cmという当時としてはかなりの高身長で、スラッとしたスタイルはメンバーの中でも際立っていました。

ラッツ&スターといえば顔を黒く塗ってスーツを着るというスタイルが有名ですが、黒塗りをしていても隠しきれないイケメンぶりが佐藤善雄さんの魅力だったんですよね。

メンバーの中で最もシルエットが美しく、まるでモデルのようだったと評されています。

メインボーカルの鈴木雅之さんが一番人気ではありましたが、正統派のイケメンだった佐藤善雄さんは鈴木さんに負けないくらいのアイドル的な人気を誇っていました。

黒塗りという独特のビジュアルの中で、長身で端正な顔立ちが際立っていたんでしょうね。

佐藤善雄さんの若い頃は、178cmの高身長と爽やかなルックスで、グループ随一の女性人気を集めるイケメンでした。

大滝詠一がデビュー前から才能を見抜いていた

シャネルズの才能を早くから見抜いていた人物がいます。

それが、日本の音楽シーンを代表するミュージシャンの大滝詠一さんです。

大滝詠一さんは、シャネルズが「ランナウェイ」でデビューするよりもずっと前から彼らに注目していました。

自身のアルバムやCMソングのレコーディングにシャネルズのメンバーを起用するなど、まだアマチュア時代のグループを積極的にサポートしていたんです。

当時、日本ではドゥーワップというジャンルはほとんど知られていませんでしたが、大滝詠一さんはドゥーワップにこだわり続けるシャネルズの姿勢に共感。

大滝詠一さんはシャネルズにとって最大の理解者であり、メンター的な存在だったと言われています。

……なんか、いいですよね。

まだ誰にも認められていない時代に、大滝詠一さんのような大物が才能を認めてくれていたなんて。

その後、シャネルズの人気によってドゥーワップという言葉自体が日本で一般的に広まり、大滝詠一さんとも楽曲提供やプロデュースで多くのコラボレーションを重ねていきました。

佐藤善雄さん自身も、後にファイルレコード社長の視点から「インディペンデント・レーベル・オーナーの草分け」としての大滝詠一さんについてラジオ番組で語っています。

ラッツ&スターで「め組のひと」を大ヒットさせた

1983年4月1日、シャネルズは「ラッツ&スター」に改名しました。

改名後もグループの勢いは衰えることなく、むしろさらに加速していきます。

そして同年リリースされた「め組のひと」が大ヒット。

この曲はラッツ&スターの代表曲として、今なお多くの人に親しまれていますよね。

佐藤善雄さんはラッツ&スターでも変わらずバスボーカルを担当し、グループのハーモニーの要として活躍しました。

顔を黒く塗ったボーカル陣の中で最も低音のバスを担当するという、グループサウンドの土台を支えるポジションです。

シャネルズ時代から数えると、「ランナウェイ」「街角トワイライト」「トゥナイト」「ハリケーン」、そして「め組のひと」と、数々のヒット曲を世に送り出しました。

なお、ラッツ&スターは1986年頃に活動休止となりましたが、1996年に再集結を果たし、11年ぶりのシングル「夢で逢えたら」をリリースしています。

佐藤善雄さんの低音バスボーカルは、ラッツ&スターの唯一無二のサウンドを支える欠かせない存在だったのです。

「夢見る16歳」では桑野信義とツインボーカルを披露

佐藤善雄さんはバスボーカル担当としてだけでなく、作詞やツインボーカルにも挑戦していました。

シャネルズの2ndアルバム『Heart&Soul』に収録されている「夢見る16歳」では、桑野信義さんとのツインボーカルを披露しています。

しかもこの曲は桑野信義さんと共同で作詞も手がけているんです。

普段は低音パートでグループを支える立場の佐藤善雄さんが、前に出て歌い、しかも作詞まで行うという、多才な一面が垣間見えるエピソードですね。

メンバー5人の合同結婚式が話題になった

1985年、佐藤善雄さんはラッツ&スターのメンバーと一緒に、東京・赤坂の日枝神社で合同結婚式を挙げました。

なんと5人のメンバーが同じ日に同じ場所で一斉に結婚式を行ったんです。

これは当時かなり話題になりました。

芸能人の結婚式自体がニュースになる時代に、グループのメンバーが5人揃って合同で挙式するなんて、前代未聞のことですよね。

メンバー同士の絆の強さがうかがえるエピソードで、個人的にすごく好きなんですよね、この話。

小学校時代からの幼なじみが一緒に音楽を始めて、スターになって、結婚式まで一緒にやるって、なかなかできることじゃないですよ。

佐藤善雄さんのお嫁さんに関しては、詳しい情報は公開されていません。

ただ、結婚後にスキャンダルのような噂が一切出ていないことから、堅実で誠実な人柄がうかがえます。

佐藤善雄の若い頃を調べる人向けの関連情報

佐藤善雄さんの若い頃に興味がある方は、現在の活動や結婚事情、プロデューサーとしての顔も気になるところですよね。

ここでは、佐藤善雄さんにまつわる関連情報をまとめてご紹介します。

嫁は一般女性で詳細は非公開

佐藤善雄さんの嫁(妻)について気になっている方も多いようです。

前述の通り、1985年にラッツ&スターのメンバー5人と合同結婚式を挙げています。

しかし、お相手は一般女性と見られており、名前や年齢、職業などの詳細は一切公表されていません。

芸能人の奥さんに関する情報は話題になりやすいものですが、佐藤善雄さんの場合はプライベートをしっかり守っているようですね。

結婚から40年以上が経過していますが、離婚の話も浮気の噂も一切出ていません。

メンバーの中には後にさまざまな問題を起こした人もいますが、佐藤善雄さんに関してはネガティブな話題が本当に見当たらないんですよね。

これだけ長い間、家庭を大切にしながら音楽業界の第一線で活躍し続けているというのは、なかなかすごいことだと思います。

現在はファイルレコード社長として活躍中

佐藤善雄さんは現在、インディーズレーベル株式会社ファイルレコードの代表取締役社長を務めています。

1986年頃からラッツ&スターの活動が休止状態に入った後、佐藤善雄さんは音楽業界のスタッフワーク側に活動の軸を移しました。

1991年にファイルレコードに入社し、新人アーティストの発掘やプロデュースを担当。

その手腕が認められ、現在は同社のトップにまで上り詰めています。

ファイルレコードは1988年にクラブミュージックレーベル「Major Force」の運営会社として設立された歴史あるレーベルで、日本のクラブミュージックや日本語ラップシーンを支えてきた存在です。

社長業だけでなく、アーティスト活動も続けているのが佐藤善雄さんのすごいところ。

鈴木雅之さんのコンサートにゲスト出演したり、アルバムに参加するなど、コンスタントに表舞台にも登場しています。

ソロアルバムも3枚リリース

佐藤善雄さんはソロアーティストとしてもアルバムをリリースしています。

アルバム名リリース年レーベル備考
30th2010年FILE RECORDSデビュー30周年記念
Barry2015年FILE RECORDSデビュー35周年記念
Sixty Candles2020年FILE RECORDSデビュー40周年記念

ソロアルバム『Barry』にはフランク永井さんの「愛のセレナーデ」のカバーが収録されており、伊藤銀次さんが作詞、山下達郎さんがプロデュースと作曲を手がけるという豪華な布陣でした。

10年ごとの節目にアルバムをリリースするスタイルから、音楽への変わらない情熱が伝わってきますね。

プロデューサーとしてDA.YO.NEを大ヒットさせた

佐藤善雄さんのもう一つの大きな功績が、音楽プロデューサーとしての活動です。

ファイルレコードで新人アーティストの発掘・育成に携わり、数々のアーティストを世に送り出してきました。

中でも特筆すべきは、1994年にリリースされたEAST END×YURIの「DA.YO.NE」です。

この曲は日本語ラップとして初めて100万枚のセールスを記録し、社会現象にまでなりました。

当時、日本語でラップをすること自体がまだ珍しかった時代に、ポップな感覚で日本語ラップを大衆に届けたのは画期的なことでした。

その他にも、ゴスペラーズ、RIP SLYME、RHYMESTER、AJIなど、佐藤善雄さんが発掘・プロデュースに関わったアーティストは多岐にわたります。

ファイルレコードが育てた主なアーティスト

佐藤善雄さん率いるファイルレコードは、いとうせいこうさんやMajor Force勢をはじめ、日本のヒップホップ・クラブミュージックシーンの発展に大きく貢献しました。

GAGLE、PSGなど、リリースや関わったアーティストを挙げればキリがないほどです。

ラッツ&スターのバスボーカリストが、日本語ラップの礎を築いたレーベルの社長を務めているというのは、なかなか知られていない意外な一面かもしれません。

佐藤善雄さんはステージの上だけでなく、裏方としても日本の音楽シーンに多大な貢献をしてきた人物なのです。

ゴスペラッツで再び黒塗りメイクのステージへ

2005年、佐藤善雄さんは再びステージの前面に立つことになります。

きっかけは、その年の夏に行われた「情熱大陸スペシャルライブ」。

鈴木雅之さんのステージにゴスペラーズの村上てつやさんと酒井雄二さんがスペシャルゲストとして参加し、さらに佐藤善雄さんも加わった4人が、ラッツ&スターのトレードマークである黒塗りメイクで登場したのです。

これがきっかけとなり、翌2006年には桑野信義さんも加わって「ゴスペラッツ」としてCDデビューを果たしました。

ゴスペラッツのメンバーは以下の5人です。

メンバー所属グループポジション
鈴木雅之ラッツ&スターボーカル
桑野信義ラッツ&スターボーカル、トランペット
佐藤善雄ラッツ&スターボーカル
村上てつやゴスペラーズボーカル(田代まさしのポジション)
酒井雄二ゴスペラーズボーカル(久保木博之のポジション)

初めて黒塗りを経験した村上さんと酒井さんは「顔が痒かった」というエピソードも残っています。

2006年4月にアルバム『ゴスペラッツ』をリリースし、同年7月29日の「情熱大陸スペシャルライブ」大阪公演で一旦活動を終了。

しかし2015年に再始動し、2ndアルバム『GOSPE☆RATS 〜ペラッII〜』をリリースするなど、期間限定ながらファンを楽しませてくれました。

ラッツ&スターの佐藤善雄さんが再び黒塗りメイクでステージに立つ姿は、往年のファンにとってたまらなかったでしょうね。

佐藤善雄の若い頃のまとめ

  • 佐藤善雄は1956年9月12日に東京都大田区大森で生まれた
  • 小学校で鈴木雅之と出会い、中学では久保木博之とも同級生だった
  • 高校卒業後は海苔の山本山に入社し百貨店の海苔売り場で働いていた
  • 1975年、19歳でシャネルズ(後のラッツ&スター)に参加しオリジナルメンバーとなった
  • 1977年のアマチュアコンテストEastWest’77で決勝進出し入賞を果たした
  • 1980年に「ランナウェイ」でデビューし110万枚超のミリオンセラーを記録した
  • シャネルズ・ラッツ&スターでは最低音のバスボーカルを担当した
  • 身長178cmの高身長と正統派ルックスでメンバー随一の女性人気を誇った
  • 大滝詠一がデビュー前からシャネルズの才能に注目しメンター的存在だった
  • 1983年にラッツ&スターに改名し「め組のひと」を大ヒットさせた
  • 1985年にメンバー5人で赤坂の日枝神社にて合同結婚式を挙げた
  • 嫁は一般女性で詳細は非公開、スキャンダルとは無縁の堅実な人物である
  • 1991年にファイルレコードに入社し現在は代表取締役社長を務めている
  • EAST END×YURI「DA.YO.NE」など日本語ラップの歴史的ヒットをプロデュースした
  • 2006年にはゴスペラッツとして再び黒塗りメイクのステージに立った

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