福本清三の国籍は日本の可能性が高い|兵庫県香住の生家と、福本ではない本名とは

福本清三の国籍は日本と報じられてきた|兵庫県香住の生家と本名の橋本清三

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「5万回斬られた男」と呼ばれた俳優、福本清三さん。

ハリウッド映画『ラスト サムライ』で一言もしゃべらない侍を演じたことから、海外の観客のあいだで「あの侍は何者なんだ」「どこの国の人なんだ」と話題になり、いまも福本清三さんの国籍を調べる人が絶えません。

調べてみると、国籍そのものよりも「なぜ国籍が知りたくなったのか」のほうに面白い答えがありました。本名や生家までさかのぼって整理していきます。

この記事を読むとわかること
・福本清三の国籍について公開情報から何が言えるのか
・本名・生家・学校など出自をたどれる具体的な記録
・国籍が検索されるようになったきっかけと、噂の有無

福本清三の国籍と出自をたどれる記録

まずは、公開されている記録から福本清三さんの出自を順にたどっていきます。

生まれた場所、本名、通った学校まで具体的に残っているので、そこから何が言えるのかを整理していきますね。

生まれは兵庫県城崎郡香住町、現在の香美町香住区

福本清三さんが生まれたのは1943年(昭和18年)2月3日です。

生まれた場所は兵庫県城崎郡香住町森、現在の地名でいうと香美町香住区にあたります。

兵庫県北部、日本海に面した但馬地方の町です。

カニと但馬牛で知られる土地といえば、イメージが湧く方も多いのではないでしょうか。

地元の記録によれば、子どもの頃は香住の野山を走り回っていたそうです。

のちに斬られ役として評価された身体能力の下地は、この田舎育ちの日々にあったと地元では語り継がれています。

ここ、地味に大事なポイントなんですよ。

出生地が日本国内であることは、国籍を推し量るうえで最初の材料になります。

つまり福本清三さんは、生まれた土地までピンポイントで記録が残っている、兵庫県但馬生まれの人だということです。

出身地の記録は複数のソースで一致している

出身地については、Wikipedia、地元・但馬の百科事典、映画情報サイトのプロフィール欄など、複数の情報源が同じ内容を書いています。

表記のゆれとしては「兵庫県城崎郡香住町」と旧地名で書くものと、「兵庫県香美町」と現在の地名で書くものがありますが、指している場所は同じです。

合併で自治体名が変わっただけなので、矛盾ではありませんよ。

本名は橋本清三、6人兄弟の三男として育つ

福本清三さんの本名は橋本清三(はしもと せいぞう)さんです。

「福本」は芸名で、本名は「橋本」なんですね。

芸名と本名が違うと聞くと、それだけで「もしかして出自に何かあるのでは」と勘ぐられることがあります。

ただ、下の名前の「清三」はそのまま使われていますし、東映京都撮影所の大部屋俳優が芸名を持つこと自体はごく当たり前のことでした。

ここに特別な事情を読み取る材料は、公開情報の中には見当たりません。

家族については、6人兄弟の三男(きょうだいの順でいうと5番目)だったと記録されています。

決して裕福な家庭ではなく、中学卒業後は親類が営む米穀店を継ぐ話もあったそうです。

ところが本人が「挨拶をするのが苦手」という理由でその道を選ばず、進学もしませんでした。

……なんというか、のちに「セリフのない侍」で世界に知られる人らしい理由ですよね。

本名・きょうだい構成・進路の経緯まで、いずれも日本の一般的な家庭の記録として残っている、というのが実際のところです。

香住第一中学校を出て15歳で東映京都撮影所へ

福本清三さんは地元の香住第一中学校を卒業しています。

そして1958年、15歳のときに単身でふるさとを離れ、東映京都撮影所(太秦)に入所しました。

きっかけは叔父の紹介だったと伝えられています。

15歳といえば、いまなら高校に入る年齢です。

その歳で家族と離れて京都へ出るというのは、想像するとなかなかの覚悟だったろうなと思います。

入所後は大部屋俳優として、通行人や籠かきといった役から始まりました。

画面に大きく映してもらえない日々が、10年ほど続いたそうです。

学歴や就職の経緯という点でも、日本国内の学校を出て日本の映画会社に入った、という一本の線がきれいにつながります。

出自をたどれる記録を一覧で整理

項目 内容
本名 橋本清三(はしもと せいぞう)
生年月日 1943年2月3日
出生地 兵庫県城崎郡香住町森(現・香美町香住区)
きょうだい 6人きょうだいの三男(5番目)
学校 香住第一中学校 卒業
入所 1958年・15歳で東映京都撮影所へ
身長・血液型 172cm・B型
没年 2021年1月1日(77歳)

こうして並べると、生まれてから就職するまでの流れが空白なくたどれることがわかります。

日本人初と報じられた主演男優賞という材料

もうひとつ、外側から見た材料があります。

福本清三さんは2014年の映画『太秦ライムライト』で人生初の主演を務め、カナダで開かれた第18回ファンタジア国際映画祭で主演男優賞を受賞しました。

このとき各メディアが伝えたのが、同映画祭の主演男優賞を日本人として初めて受賞したという点です。

あわせて、受賞者としては歴代最年長という記録も更新しています。

「日本人初」という言い方は、報じた側がその人を日本人として扱っているということでもあります。

国内でも、2004年に第27回日本アカデミー賞協会特別賞を受けているほか、毎日映画コンクール特別賞なども受けています。

国内外の映画賞の場で、一貫して日本の俳優として扱われてきた人なんですね。

公開されている記録は、出生地から受賞報道まですべて日本の人であることを指しており、それと食い違う材料は見当たりません。

ただし戸籍などの公的資料は公開されない

ひとつだけ、正直に書いておきたいことがあります。

個人の国籍を直接証明できるのは戸籍や住民票といった書類ですが、これらは本人や家族以外が見られるものではありません。

芸能人であっても同じで、公表されることはまずないと思ってください。

ですから、ここで示せるのはあくまで公開情報から言えることまでです。

本人が国籍について語ったインタビューも、確認できませんでした。

そのうえで、出生地・本名・学校・受賞報道のどれをとっても日本の人として一貫している、というのが今回たどり着いた結論になります。

国籍が検索される理由はラストサムライの無言の侍

ここが個人的にいちばん面白かったところです。

福本清三さんの国籍が検索される理由は、出自に疑いがあるからではなく、海外の観客が「あの侍は誰なのか」を知りたがったからだと考えられます。

2003年公開のハリウッド映画『ラスト サムライ』で、福本清三さんはトム・クルーズさん演じる主人公を見張り続ける侍を演じました。

この役、最後まで一言もしゃべりません。

話しかけられても答えず、ただ立って見ている。

そして終盤の戦いで壮絶に討ち死にします。

名前も素性も語られないまま強烈な印象だけを残したので、映画を観た海外の人たちが「あの俳優は何者だ」「どこの国の人だ」と検索した、という流れです。

実際、この作品をきっかけに福本清三さんの名前は世界中に広まりました。

役の上で素性が明かされなかったことが、そのまま検索行動になったわけですね。

国籍というキーワードは、疑惑から生まれたのではなく、無名のまま世界に届いてしまったことの副産物だと考えるのが自然です。

在日や韓国系とする噂は見当たらない

「国籍」と検索されている以上、何か噂が出回っているのではと気になる方もいると思います。

そこで在日・韓国といった語を組み合わせて調べてみました。

結論からいうと、福本清三さんについて、そうした出自の噂が広まっている形跡は確認できませんでした

検索して出てくるのはWikipedia、地元・但馬の百科事典、映画情報サイト、追悼記事といったもので、出自を疑う内容のページは見つかりません。

芸能人の国籍というキーワードは、たいてい何かしらの噂とセットになっているものです。

そのパターンに当てはまらないのが、この人の珍しいところだと思いました。

ちなみに、顔立ちからハーフではないかと言われた、といった話も確認できていません。

噂がないところに噂があるかのように書くのは違うと思うので、ここは「見当たらなかった」とそのまま書いておきます。

訃報のときに集まった声

2021年1月に訃報が伝えられたとき、反応は日本国内だけにとどまりませんでした。

時代劇ファンや共演者からの追悼が相次いだのはもちろんですが、海外のSNSや掲示板でも訃報を伝えるスレッドが立ち、多くのコメントが書き込まれたと伝えられています。

海外のファンからは「ボブ」という愛称で親しまれていた、という話もあります。

セリフのない役で、名前も知られないまま、それでも世界の人に覚えられていた。

……これ、俳優としてすごいことですよね。

国籍を検索した人の多くも、たぶんこの「何者なんだ」という気持ちの延長線上にいるのだと思います。

福本清三の国籍を調べる人向けの関連情報

ここからは、福本清三さんの国籍を調べた人があわせて知りたくなる情報をまとめていきます。

斬られ役としての歩みから、家族、晩年の代表作、そして最期までを順に見ていきましょう。

5万回斬られた男と呼ばれた斬られ役人生

福本清三さんを語るうえで欠かせないのが、「5万回斬られた男」という異名です。

大部屋俳優として入所したあと、20代後半からは斬られ役・殺され役を専門にするようになりました。

それから50年以上、時代劇でも現代劇でも斬られ続けます。

「日本一の斬られ役」と呼ばれるようになったのは、単に本数が多いからではありません。

斬られたあとの倒れ方、のけぞり方、間の取り方を徹底的に磨いて、主役を引き立てる死に様を作り上げたからです。

格好よく死ぬのではなく、無様に死ぬ。

そのほうが斬った側が強く見える、という考え方だったといいます。

自分が目立たないことを技術にした人なんですよ。

撮影所では「福ちゃん」と呼ばれ、また「先生」とも呼ばれていました。

この「先生」というあだ名の由来がまた良くて、時代劇で悪徳商人が用心棒の浪人を「先生!」と呼び、その浪人がすぐに斬られてしまうお決まりの場面から来ているそうです。

ご本人の役どころそのものが、あだ名になっていたわけですね。

知名度が上がったきっかけはテレビ出演

長く裏方に近い立場だった福本清三さんの名前が世に知られたのは、1992年のことでした。

『探偵!ナイトスクープ』への出演がきっかけとなり、同じ年の9月24日には『徹子の部屋』にも出演しています。

斬られ役という職人仕事にスポットが当たり、そこから一気に知名度が上がっていきました。

15歳で東映に入ってからの歩み

1958年に東映京都撮影所へ入所してからの歩みも簡単に整理しておきます。

最初の10年ほどは通行人や籠かきといった役が中心で、画面に大きく映ることはほとんどありませんでした。

そこから斬られ役として頭角を現し、時代劇の現場になくてはならない存在になっていきます。

2003年に東映を定年退職していますが、その後も嘱託という形で現場に立ち続けました。

60歳で区切りを迎えたあとに、むしろ代表作が生まれているのが面白いところです。

『ラスト サムライ』も『太秦ライムライト』も、この定年前後の時期の仕事なんですよ。

50年以上ひとつの現場に立ち続けたことが、そのまま晩年の評価につながった人生だといえます。

ラストサムライでトム・クルーズと共演

『ラスト サムライ』で福本清三さんが演じたのは、主人公ネイサンを警護し、常に見張っている侍でした。

いわゆる「サイレント・サムライ」で、劇中でセリフはありません。

それでも存在感が強烈で、海外のスタッフが驚いたのは「立っているだけで伝わる緊張感」だったと伝えられています。

侍を演じているというより、そこに侍がいる。

そういう質の演技だったということですね。

撮影中には、セットで60歳の誕生日を祝ってもらい、トム・クルーズさんからプレゼントを受け取ったというエピソードも語られています。

さらにトム・クルーズさんから「ハリウッドにおいでよ」と声をかけられたという話も残っています。

……これ、言われたほうは一生の宝物でしょうね。

太秦ライムライトで初主演を務める

2014年、福本清三さんは映画『太秦ライムライト』で人生初の主演を務めました。

役どころは、斬られ役一筋で生きてきたベテラン俳優。

ほとんど本人の人生そのものです。

この作品でファンタジア国際映画祭のシュヴァル・ノワール賞を含む複数の賞を獲得し、福本清三さん自身も主演男優賞を日本人として初めて受賞しました。

受賞時は71歳で、同賞の歴代最年長記録も塗り替えています。

15歳で撮影所に入り、10年間は映してもらえなかった人が、71歳で世界の映画祭の主演男優賞を持ち帰る。

正直、この経歴を追っていて胸が熱くなりました。

嫁の雅子と2人の子供について

家族についても触れておきます。

福本清三さんは25歳のときに雅子さんと結婚したと伝えられています。

雅子さんは当時19歳で、雅子さんのほうから押しかける形での結婚だったという話が複数のインタビュー記事をもとに紹介されています。

結婚を機に東映の独身寮を出ることになり、新婚生活はかなり苦しかったそうです。

布団は1組、茶碗は1個。

みかん箱をテーブル代わりにして、夫婦で交代しながらご飯を食べていた、という時期があったと語られています。

大部屋俳優の給料を考えれば、無理もない話ですよね。

お子さんは2人で、いずれも成人して独立したとされています。

ただし、お子さんの名前や性別、職業といった具体的な情報は公表されていません。

一般の方ですから、そこは伏せられたままです。

お子さんが独立したあとは、夫婦2人で穏やかに過ごしていたと伝えられています。

家族の情報は一次情報が限られる

なお、結婚や家族に関する話は、ご本人のインタビューを引用した記事を経由して広まったものが中心です。

公式プロフィールに家族構成が載っているわけではないため、細かい数字や経緯には幅があると考えておいたほうがよいと思います。

この記事でも、断定ではなく「伝えられている」という書き方にしています。

死因は肺がん、2021年1月1日に死去

福本清三さんは2021年1月1日、京都市の自宅で亡くなりました

77歳でした。

死因は肺がんと発表されています。

訃報が広く報じられたのは同月4日のことです。

元日に旅立つというのが、なんとも時代劇の人らしいというか……。

亡くなったあとも、代表作の再上映や、生涯を追ったドキュメンタリー番組の再放送などが続いています。

斬られ役という仕事に光を当てた人として、いまも語り継がれている俳優さんです。

福本清三の国籍のまとめ

  • 福本清三の国籍について、公開情報はいずれも日本の人であることを指している
  • ただし戸籍・住民票は非公開のため、書類で断定できるものではない
  • 本人が国籍について語ったインタビューは確認できなかった
  • 生まれは1943年2月3日、兵庫県城崎郡香住町森(現・香美町香住区)
  • 本名は橋本清三で、福本清三は芸名にあたる
  • 6人きょうだいの三男(5番目)として育った
  • 地元の香住第一中学校を卒業している
  • 1958年、15歳で単身京都へ出て東映京都撮影所に入所
  • 2014年『太秦ライムライト』でファンタジア国際映画祭の主演男優賞を受賞
  • 同賞は日本人として初めての受賞と報じられ、歴代最年長記録も更新した
  • 2004年には第27回日本アカデミー賞協会特別賞も受けている
  • 国籍が検索される理由は『ラスト サムライ』の無言の侍役だとみられる
  • 在日や韓国系といった出自の噂は、調べた範囲では見当たらなかった
  • 妻は雅子さんとされ、25歳で結婚し子供は2人と伝えられている
  • 2021年1月1日に肺がんのため77歳で死去した

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