元T-SQUAREのドラマー・長谷部徹さんの再婚について気になっている方は多いのではないでしょうか。
妻・甲斐智枝美さんを2006年に突然失い、二人の息子を育てながら静かに音楽の世界に戻ってきた長谷部さん。「風祭ゆきと再婚した」という噂も飛び交いますが、実は意外な事実があって、調べれば調べるほど奥が深いんです。
この記事では、長谷部徹さんの再婚の有無から現在の活動、甲斐智枝美さんとの結婚の経緯や死別の背景まで、徹底的にまとめました。
・長谷部徹が再婚しているかどうかの答えと「風祭ゆき再婚説」の真相
・甲斐智枝美との結婚・死別の経緯と自殺の背景にあった事情
・元T-SQUAREドラマーとして現在も活躍する長谷部徹の最新活動
長谷部徹の再婚は?甲斐智枝美との死別後の現在
愛妻・甲斐智枝美さんを突然失ってから、長谷部徹さんはどんな歩みを続けてきたのか。まずは核心の「再婚」問題から、その後の活動まで一緒に確認していきましょう。
長谷部徹は再婚していない
結論から言ってしまいます。
長谷部徹さんは、2026年現在も再婚していません。
2006年に嫁・甲斐智枝美さんと死別してから約20年。「長谷部徹 再婚」というキーワードが検索されることが多いこともあり、「再婚しているのでは?」と思う方もいるかもしれません。
ですが、複数の情報サイトが調査した結果、再婚しているという情報は一切確認されていないんですよね。
なお、検索していると「風祭ゆきと再婚した」という情報を目にすることがあります。しかし、これは同姓同名の別人――作曲家の長谷部徹さんのことです。風祭ゆきさんと結婚したのは作曲家・長谷部徹さんで、ドラマーの長谷部徹さんとは全くの別人。混同しないようにご注意ください。
甲斐智枝美さんとの結婚生活は1990年から2006年の16年間。最愛の妻との突然の別れは、いかばかりの衝撃だったことでしょう。その後、長谷部さんが再婚という形で新たな出発をしていないのは、当時のショックがいかに深かったかを物語っているようにも思います。
甲斐智枝美との馴れ初めと結婚
長谷部徹さんと甲斐智枝美さんが出会ったのは、二人が通っていた東京・渋谷区の堀越高校でのことです。
堀越高校といえば、芸能活動と学業を両立できる全日制高校として知られており、当時の芸能人が多く通っていた学校。1960年代生まれのアイドルたちの多くが同校の出身で、長谷部さんも甲斐さんも、そこで出会う運命だったんですね。
ただし交際が始まったのは高校時代ではなく、二人が20歳になってから。高校卒業後にじっくりと関係を育て、約7年間のロング交際を経て、1990年10月に結婚しました。
「恋の成就は、20歳から7年越しの交際を経てのことだった」——デイリー新潮の記事にはそう記されています。なんか、そういう気長な交際の末に結ばれた感じ、いいですよね。
甲斐智枝美さんは結婚を機に、当時所属していたホリプロを退所し、芸能界を引退。「幸せ太りをしてしまいました」と後年笑って語るほど、当初は幸せな結婚生活を送っていたようです。
二人は長谷部さんの地元・千葉県習志野市で生活をスタートさせ、1991年に長男、1994年に次男が誕生。家族四人、静かな日常を歩んでいました。
甲斐智枝美の死因と自殺の背景
そんな幸せな家庭に、突然の悲劇が訪れます。
2006年7月10日、甲斐智枝美さんは自宅2階の寝室で首をつって亡くなっているのが発見されました。享年43歳。
死亡推定時刻は同日午前3時ごろ。千葉県警習志野署が検視した結果、自殺と断定されています。
最初の報道では「心不全による急死」とだけ伝えられましたが、葬儀の翌日(7月13日)に自殺であることが報じられ、ワイドショーが大きく取り上げることとなりました。
「聖子ショック!」「チェミィ逝く」——同期の松田聖子さんや柏原芳恵さんとともに80年代を駆け抜けたアイドルの早すぎる死は、当時のファンに計り知れない衝撃を与えました。
遺書は残されていなかったため、自殺の原因は今も明確にはわかっていません。ただ、複数の報道から浮かび上がってくる背景があります。
健康問題(不整脈・心不全)
甲斐さんは長男を出産した後から不整脈が出るようになり、亡くなる数年前には心不全で2週間の入院を余儀なくされていました。
また、亡くなる前には家族に「更年期障害で体調が悪い」「死にたい」と漏らすこともあったといいます。更年期障害はホルモンバランスの乱れによって情緒不安定や不眠、倦怠感などさまざまな症状が出るもの。若くして引退した元アイドルが、目立つことなく闘病していたことを思うと、読んでいて胸が痛くなります。
金銭的背景(給料引き下げ・パート掛け持ち)
デイリー新潮の取材によれば、甲斐さんが結婚前に貯めていた約600万円の貯金は、結婚から数年のうちにほぼ底をついていたといいます(甲斐さんの実父・甲斐和徳さんの証言)。
長谷部さんはザ・スクエアを1985年に脱退した後、スタジオミュージシャンとして活躍していましたが、甲斐さんが亡くなる頃には引退状態となり、実家の自動車整備工場を手伝っていたようです。その実家の整備工場も経営状態が芳しくなく、給与が30万円から20万円に引き下げられる事態も起きていました。
収入が不安定な中、甲斐さんは生花店でのパート勤務に加え、亡くなる1ヶ月前にはスナックでの仕事を週3回掛け持ちして家計を支えていたとも報じられています。
体調の悪化と金銭的なプレッシャーが重なり、甲斐さんが追い詰められていったのではないか——そう思われても仕方のない状況が積み重なっていたのです。
子供の発見と長谷部徹の葬儀コメント
甲斐さんの遺体を最初に発見したのは、当時中学3年生だった長男でした。
……想像するだけで、本当につらい話です。まだ10代半ばの少年が、朝、母を発見する。その後の長男の心に残った傷がどれほどのものか、考えると胸が締め付けられます。
葬儀の席で、長谷部徹さんは記者団にこう話しています。
「疲れていたのかもしれませんが、前兆というものはなかったと思います」(週刊誌・女性自身・2006年8月1日号)
言葉少なに会見を終わらせたと伝えられており、突然の死別にどれだけ混乱していたかがにじみ出ているようです。
なお、甲斐さんが亡くなった当時、長谷部さんはほぼ引退状態であることも報じられ、「二人の息子は大丈夫なのか」と心配する声もありました。
長谷部徹の現在の活動
嫁を亡くした2006年から2年後の2008年、長谷部さんはTHE SQUARE結成30周年の記念ライブに参加し、音楽界に復帰します。
その後、母校でもある音楽専門学校「アン・ミュージック・スクール」でドラム講師として活動を再開。数多くの後進を育て上げました。同スクールは2019年の閉校まで長谷部さんが講師を勤め上げました。
T-SQUARE周年イベントへの参加
現役時代に在籍したT-SQUAREとの縁は今も続いています。30周年(2008年)・40周年(2018年)のいずれのイベントにも長谷部さんは参加しており、往年のファンに往時の姿を見せています。
2018年9月には、楽器メーカー・パール楽器製造の公式Twitterが「本日は長谷部徹さんが来社されました!主にドラムセットについて様々なご意見をいただきました!」と投稿。現在も第一線のドラマーとして評価され続けているのが伝わってきます。
アン・ミュージック・スクールの閉校後も、長谷部さんはドラムに関わる仕事を続けており、2021年には布施明さんのコンサートツアーにサポートドラマーとして参加したという情報もあります。
長谷部徹の再婚を調べる人向けの関連情報
長谷部徹さんのことをより深く知りたい方に向けて、ドラマーとしての足跡や家族に関する情報を詳しくお届けします。
ドラマーとしての経歴とT-SQUAREでの活躍
長谷部徹さんは1963年6月21日、千葉県習志野市生まれ。現在もスタジオミュージシャン・ドラマーとして活動しています。
その名を全国に広めたのが、フュージョンバンド「THE SQUARE(現・T-SQUARE)」への参加です。1982年から1985年まで在籍し、アルバム『脚線美の誘惑』や『ADVENTURES』などに参加しました。
特に『ADVENTURES』は大ヒットを記録し、収録曲2曲がサントリーホワイトのCMソングに採用されたことで、THE SQUAREの知名度が一気に爆発。長谷部さん自身もこの時期に脚光を浴びました。
1985年にTHE SQUAREを脱退した後は、スタジオミュージシャンに転身。春畑道哉さん、長渕剛さん、井上大輔さん、河内淳一さん、やしきたかじんさん、久松史奈さんなど、多彩なアーティストのレコーディングやコンサートにサポートドラマーとして参加し続けました。仙波清彦のはにわオールスターズといったセッションバンドにも参加するなど、その守備範囲の広さが評価されていました。
THE SQUAREを脱退してからも、長谷部さんの腕前に惚れ込んだアーティストたちからのオファーは絶えなかったようです。知ったときびっくりしませんでしたか?アイドルグループ出身のドラマーが、日本を代表するフュージョンバンドで活躍し、さらにトップアーティストたちに引っ張りだこになるなんて、なかなか凄いキャリアですよね。
元ジャニーズ・ギャングスからANKHへの道
実は、長谷部徹さんはジャニーズ事務所の出身です。これを知っている人は少ないかもしれません。
1976年、4人組アイドルグループ「ギャングス」としてデビュー。子供番組『とびだせ! パンポロリン』で歌のお兄さん役を務め、人気バラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』にもレギュラー出演しています。
ギャングスでは川崎麻世さんのバックバンドとしても活動。ダンスのバックアップも担い、アイドルとして活躍していました。
1980年、メンバー内でバンドを結成しグループ名を「ANKH(アンク)」に改名。テレビアニメ『鉄腕アトム』のテーマソングなどを担当し、アイドルバンドから本格的な音楽グループへと進化します。この頃からドラマーとしての実力が周囲に認められ始め、それがTHE SQUAREへの道を開くことになりました。
ジャニーズのアイドルとして芸能活動をしながら、音楽の腕をコツコツ磨いていた……そういう地道さがあったからこそ、後のミュージシャンとしての成功につながったのかなと思います。
息子2人の現在
長谷部徹さんと甲斐智枝美さんの間には、息子が2人います。
長男は1991年生まれで、2026年現在は35歳頃。次男は1994年生まれで、32歳頃になります。
2006年に甲斐さんが亡くなった時点で、長男は中学3年生(14〜15歳)、次男は小学6年生(11〜12歳)でした。思春期に母を突然失うという経験は、二人の人生にも大きな影響を与えたことでしょう。
その後は、長谷部さんが父子家庭として息子たちを育てたと考えられています。
現在、二人の息子さんは芸能界には入っておらず、一般人として生活しているため、名前や職業などの詳細は一切公表されていません。「父親の影響で音楽をやっているのでは?」と期待するファンの声もありますが、今のところそうした情報は確認されていません。
二人が静かに、でもしっかりと自分たちの人生を歩んでいるなら、それが一番ですよね。
甲斐智枝美の芸能活動と「ポスト山口百恵」の軌跡
長谷部徹さんの元妻・甲斐智枝美さんは、1980年代を代表するアイドル・女優の一人でした。
1963年6月16日、福岡県大牟田市生まれ。1979年に人気オーディション番組「スター誕生!」に出場し、第29代グランドチャンピオンに輝いて芸能界入り。1980年にシングル「スタア」でデビューし、「KIRARI! 瞳が語る」というキャッチフレーズとともに、ホリプロが「ポスト山口百恵」として送り出しました。
ところが、デビュー当時は松田聖子さん、柏原芳恵さん、河合奈保子さんといったアイドル全盛期の才能たちとの競争が激しく、歌手としてはなかなか波に乗れませんでした。最高ランキングは103位(「マーマレード気分」)とふるわず、1983年には歌手活動を事実上停止しています。
しかし女優・タレントとして再起します。1980年の「GOGO! チアガール」(準主役)、1981年の「野々村病院物語」に立て続けで出演し、そのキュートなルックスが大きな人気を呼びました。1987年には読売テレビ制作の全130回に及ぶ大長編ドラマ「見上げればいつも青空」でヒロインに抜擢され、全国区の知名度を獲得。1983年の映画「逃れの街」では水谷豊さんと共演し、演技力でも注目を集めました。
バラエティタレントとしても「三角ゲーム・ピタゴラス」の司会を1年間務めるなど、歌・演技・バラエティの三刀流で活躍した人でした。
引退後も元所属事務所のホリプロが復帰を熱望していたほど、そのタレント性は高く評価され続けていたのです。
世間の声と長谷部徹への評価
長谷部徹さんに対する評価は、現在も音楽ファンの間で非常に高いものがあります。
音楽業界からは、パール楽器製造が公式Twitterで来社を歓迎するメッセージを投稿するなど(2018年9月)、プロドラマーとして厚い信頼を得ていることが伝わります。
「加賀八郎さん追悼でANKHを聴いたが、長谷部徹、松原秀樹さんらがいたジャニーズ所属のバンド、いいバンドです!」という音楽関係者のSNS投稿に象徴されるように、ジャニーズ時代のANKHからT-SQUAREに至るキャリアは、往年の音楽ファンにとって今も輝かしい記憶として残っています。
T-SQUAREの40周年イベント(2018年12月)への参加時には、SNSで「長谷部さんが来た!」と喜ぶファンの声も多く見られました。
甲斐智枝美さんの突然の死という深い悲しみを乗り越え、息子たちを育て上げながら音楽の世界に戻ってきた長谷部さん。その姿に、静かな尊敬を感じているファンも多いのではないでしょうか。
長谷部徹の再婚のまとめ
- 長谷部徹は1963年6月21日生まれ、千葉県習志野市出身のドラマー・スタジオミュージシャン
- 元ジャニーズで、アイドルグループ「ギャングス」→「ANKH(アンク)」として活動
- 1982年〜1985年にTHE SQUARE(現T-SQUARE)に参加し、『ADVENTURES』で脚光を浴びた
- 脱退後は春畑道哉、長渕剛ら多数のアーティストのサポートドラマーとして活躍
- 甲斐智枝美と堀越高校で出会い、20歳から7年間の交際を経て1990年に結婚
- 甲斐智枝美は「ポスト山口百恵」として期待されたアイドル→女優・タレントに転身した実力派
- 二人の間には息子が2人(1991年生・1994年生)
- 2004年に甲斐智枝美が日テレ「あの人は今!?」に出演、幸せな結婚生活を披露していた
- 2006年7月10日、甲斐智枝美が自宅2階の寝室で首つり自殺。享年43歳
- 死亡推定時刻は午前3時ごろ。遺体を発見したのは当時中学3年生の長男
- 自殺の原因は不明だが、更年期障害による体調悪化・金銭的な苦しさが背景に
- 葬儀での長谷部さんのコメントは「疲れていたのかもしれませんが、前兆はなかった」
- 死別後、長谷部徹の再婚は確認されていない
- 2008年にTHE SQUARE 30周年イベントで音楽界に復帰
- 「アン・ミュージック・スクール」で2019年の閉校まで講師を務めた
- 息子2人は成人しているが、一般人として芸能界には入っておらず情報は非公開
- 「風祭ゆきと再婚」という情報は同姓同名の別人(作曲家)のものであり事実ではない


