木村沙織さんの旦那・日高裕次郎さんの職業って、「カフェをやってたよね?」くらいのイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。
実は、パナソニックの社員を辞めてまで妻の夢を叶えるために動いた人物で、現在はアパレルブランドも手掛けているんです。
この記事では、日高裕次郎さんの職業経歴を時系列で丸ごと解説。気になる「ヒモ疑惑」の真相も明らかにします!
・木村沙織の旦那・日高裕次郎の現在の職業とキャリア経歴
・カフェ閉店の本当の理由と接客態度への酷評の真相
・「ヒモ」疑惑が生まれた背景と年収格差の実態
木村沙織の旦那・日高裕次郎の職業と経歴まとめ
元バレーボール日本代表の木村沙織さんの旦那・日高裕次郎さんは、元プロバレーボール選手というユニークな経歴の持ち主です。
引退後はカフェ経営、そして現在はアパレルブランドへと転身——その職業の変遷を詳しくご紹介します。
日高裕次郎のプロフィールと学歴
木村沙織さんの旦那・日高裕次郎さんのことを「顔は知ってるけど詳しくは知らない」という方も多いのではないでしょうか。
まずは基本的なプロフィールから見ていきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 日高裕次郎(ひだか ゆうじろう) |
| 生年月日 | 1986年11月21日 |
| 出身地 | 鹿児島県霧島市 |
| 身長 | 約191〜192cm |
| 最終学歴 | 日本体育大学卒業 |
| 元職業 | インドア・ビーチバレーボール選手 |
| 現在の職業 | アパレルブランド「GOOPARS」共同経営 |
生まれは鹿児島県霧島市。
九州男児らしいたくましさと、独特のファッションセンスを持つ人物です。
身長については複数の情報があり、Wikipediaには192cm、本人がYouTubeで語ったのは191cmと若干のばらつきがあります。
いずれにせよ、妻の木村沙織さんが185cmですから、それより確実に5cm以上は高く、2人が並んだ写真を見てもまったく違和感がありません。
日本体育大学を卒業後、バレーボール選手として実業団チームに所属。引退後は会社員、カフェ経営者、アパレル経営者へと多彩なキャリアを歩んできました。
鹿児島商業時代のバレー成績
日高さんのバレーボールとの出会いは中学生時代までさかのぼります。
中学時代には全国都道府県対抗中学バレーボール大会(JOCジュニアオリンピックカップ)に鹿児島県代表として出場し、見事「優秀選手」に選ばれています。
同じ大会に、後に全日本の主力として長く活躍することになる清水邦広さんや福澤達哉さんも出場していたというから、いかにこの大会のレベルが高かったか、そして日高さんがどれほど将来を嘱望されていたかがわかります。
中学卒業後はバレーボールの名門校・鹿児島商業高校へ進学。
1年生のときからスタメンとして出場し、第35回春高バレーでは「九州を代表するエース」として全国的に注目される選手へと成長しました。
日体大インカレ優勝
高校卒業後は日本体育大学へ進学。
ここでも活躍は続きます。
3年生の時には、なんと日体大として15年ぶりとなる全日本インカレ制覇に大きく貢献。
翌4年生ではインカレ2連覇も果たしています。
また国際経験も豊富で、東アジア地区バレーボール選手権やアジア太平洋カップなどの代表メンバーにも選出されています。
なんか、ここまで聞くと「すごい選手だったんだな」と改めて実感しますよね。
バレーボール選手からビーチバレーへの転向
日体大インカレ2連覇を達成した日高さんは、2008年12月にNECブルーロケッツへの内定選手として契約。
翌2009年1月からVリーグの試合に出場し、同年4月に正式入団——と、順風満帆なスタートを切ったかのように思えましたが、わずか1ヵ月後に予期せぬ事態が起きます。
2009年5月、入団からたった1ヶ月でNECブルーロケッツの休部が決定してしまったのです。
入社1ヶ月で会社が倒産するようなもの…、これはきつかったでしょうね。
実業団選手は社員扱いなので「失業」にはならなかったものの、バレーボールを続ける場所を突然失った日高さんは、新たな活躍の場としてビーチバレーへの転向を決意します。
NECの社員として働きながら、青木晋平さんとペアを組んでビーチバレーのツアーへ参戦。
2012年にはロンドンオリンピック日本代表決定戦まで駒を進めますが、朝日健太郎・白鳥勝浩ペアに敗れ、悔しくもオリンピック出場は叶いませんでした。
その後、2014年には強豪インドアチームのパナソニック・パンサーズからの誘いを受けて入団。
1年間プレーしたのち、2015年に現役を引退しています。
インドアからビーチへ、そして再びインドアへという異例のキャリアを歩んだ選手でした。
パナソニック社員時代の仕事内容
現役引退後の日高さんは、そのままパナソニックの一般社員として就職します。
インドアとビーチ、両方のプロバレーボール選手として長年活躍してきた日高さんが、サラリーマンとして会社員生活を送るというのも少し想像しにくいかもしれません。
パナソニックは日本を代表する大手電機メーカー。
具体的な業務内容については公表されていませんが、大手企業の社員として安定した生活を送っていたことが推測されます。
一般的に30代男性の大手企業の年収水準から考えると、当時の年収は600万円前後だったと推定されています。
ファッションへの強い関心も持つ日高さんはインスタグラムで積極的にコーディネートを発信するなど、仕事の傍ら自分のスタイルも磨いていたようです。
パナソニック社員時代の日高さんは、安定した大企業社員として着実に社会人キャリアを積んでいたようですね。
カフェ「32(サニー)」開店のきっかけ
パナソニックで会社員生活を送っていた日高さんが、カフェ経営という新たな道へと踏み出したきっかけは、妻・木村沙織さんの夢でした。
木村沙織さんは「子どもの頃からカフェをやりたい」という夢を長年持ち続けていたそうです。
2018年には丸の内で期間限定のキッチンカーカフェ「kimura saori “Chocotto” cafe Gallery」を試験的にオープンするほど、その熱意は本物でした。
そして2019年、日高さんはパナソニックを退社し、妻の夢を実現するために本格的なカフェ経営へと踏み出します。
……なんか、これ素敵ですよね。
安定した大企業の社員という立場を捨ててでも、妻の夢を叶えようとした行動力は、なかなかできることではありません。
2019年10月、大阪市西区北堀江にカフェ&バー「32(サニー・Sunny Thirty Two Club)」をオープン。
店内はアメリカンテイストなインテリアで、昼はカフェ、夜はバーとして営業するスタイルが話題を呼びました。
お店では日高さんが調理を担当し、木村沙織さんが接客担当というスタイルで運営。
開業当初は木村沙織さんに会えるお店としてファンの間でも大きな話題となり、連日にぎわっていたといいます。
カフェ閉店の理由と接客態度への酷評
順調なスタートを切ったカフェ「32」でしたが、2020年から状況が変わりはじめます。
新型コロナウイルスの感染拡大により、休業や時短営業を余儀なくされる時期が続きました。
特にバー営業に欠かせないアルコール提供が制限されたことは、売上に大きなダメージを与えたといいます。
さらに、2023年2月に木村沙織さんが第一子となる男の子を出産すると、育児が多忙になりお店に立てる機会が激減。
日高さん一人で店を切り盛りする状況が続きました。
Googleの口コミ評価
木村さんが来店できない状況が続いたことで、木村さん目当てで来店するファンは徐々に減少。
それに伴い、お店への評価も厳しくなっていきます。
閉店前にはGoogleの口コミ評価が5段階で1.6という厳しい水準まで下落。
「旦那さんの接客が……」「旦那、全く接客に向いていない」といった辛辣なコメントが目立つようになっていきました。
もちろん、接客の善し悪しは好みや相性もあるので一概にはいえませんが、口コミという形で表に出てきたのは事実です。
そして2023年末に、カフェは4年間の営業に幕を閉じます。
日高さんは閉店理由についてこう語っています。「子育てで引っ越すので、奥さんも仕事があるので大阪を離れるためにお店をたたむということです。お店は続けようと思えば続けられますので。次にすることは決まっていますけど、今はまだ言えません。まずは子育て優先で、その後はまたお楽しみにという感じです」
公式な閉店理由は育児と引っ越しでしたが、コロナ禍での打撃やコアファン離れなど複合的な要因があったことは想像に難くありません。
閉店後に立ち上げたGOOPARSの現在
カフェ閉店後、「次にすることは決まっている」と語っていた日高さん。
その正体が2024年に明らかになりました。
木村沙織さんと2人で立ち上げたのは、オリジナルアパレルブランド「GOOPARS(グーパース)」です。
GOOPARSのコンセプトは、1990年代〜2000年代のアメリカンスポーツとアメリカントラディショナルをベースにした、ライフスタイルアパレルブランド。
2024年4月にブランドを立ち上げ、同年5月からオンラインショップでの販売を開始しました。
Tシャツ(6,000〜7,000円)はほとんどのデザインが完売、キャップ(6,800円)もSOLD OUTになるほど好調な滑り出しを見せました。
2024年7月には長崎で展示会を開催。
8月には広島や名古屋でも展示会が予定されるなど、全国展開も着々と進んでいます。
日高さんがアパレルに専念するスタイルになったことで、以前のような「接客が苦手」問題は解消。
これは日高さんの強みを活かせる仕事のあり方という点でも、夫婦にとって良い転換点になったのかもしれません。
読んでいて、この2人のビジネスへの前向きさはすごいなと思います。
カフェをやりきったら、次はアパレルと、常に新しいことに挑戦し続けているところが印象的です。
ヒモ疑惑の真相と年収格差
「木村沙織の旦那はヒモ」という噂、ネットで見たことがある方もいるのではないでしょうか?
これ、結論から言うと完全にデマです。
噂が広まった背景には、木村沙織さんと日高さんの間に大きな収入格差があったことが関係しています。
木村沙織の現役時代の年収
木村沙織さんは現役時代、日本バレーボール界史上最高レベルのスター選手でした。
2012年のロンドンオリンピックでは銅メダル獲得の中心選手として活躍し、引退前はトルコのトップリーグ・ワクフバンクに所属。
当時の年俸だけで約1億3,400万円相当と報じられており、スポンサー収入なども合わせると、年収は2億円近くに達していたとも推測されています。
一方、日高さんはパナソニックの会社員時代の年収が600万円前後と推測されており、その差は歴然でした。
「妻の方が稼ぎが圧倒的に多い」という状況が「ヒモ」というレッテルにつながったわけですが、収入格差があることと「ヒモ」であることはまったく別の話です。
日高さんはカフェでは調理担当として毎日お店に立ち、家庭では木村さんがバレーボールの仕事で不在の際は料理や犬の散歩など家事を積極的にこなしてきました。
現在はアパレルブランドの共同経営者としてビジネスを動かしています。
ヒモとはほど遠く、むしろ妻の夢を実現するために安定した大手企業の職を辞し、ともにビジネスを育ててきたパートナーといえるでしょう。
木村沙織の旦那の職業を調べる人向けの関連情報
旦那さんの職業とあわせて、木村沙織さんとの馴れ初めや家族のことが気になる方も多いはず。
こちらでは、2人の夫婦のストーリーをまとめてご紹介します。
木村沙織との馴れ初めと結婚のきっかけ
木村沙織さんと日高裕次郎さん。
2人は同い年(1986年生まれ)の元バレーボール選手同士ですが、実は出会いは意外と地味なものでした。
もともとは中学生時代から「男子代表チームにいる選手」「女子代表チームにいる選手」として、互いの存在は認識していたそうです。
ただ接点はほとんどなく、特に仲が良かったわけでも、恋愛的な感情があったわけでもなかったといいます。
2人が急接近したのは、木村沙織さんが27歳の頃のこと。
先輩に誘われて参加した鍋パーティー(食事会)に、偶然日高さんも来ていたのです。
久しぶりの再会で一気に仲良くなり、連絡先を交換。
そこからやり取りが始まりました。
木村さんがこの時に感じたのは「LINEの返信が早い」こと。
「特に用がなくてもスタンプを送ったら向こうからもすぐ返ってくる。そんなふうにやりとりの波長が合う」と語っています。
当時、木村さんはトルコリーグのワクフバンク・テュルクテレコムに所属していたため、2人は日本とトルコの超遠距離恋愛状態でした。
それでも日高さんはトルコまで会いに行くほどの熱意を見せ、約1ヶ月で交際がスタートしたといいます。
2016年12月31日、木村沙織さんが自身のブログで結婚を報告。「既に入籍は済ませ、二人で新生活を始めています」と発表しました。
驚いたのは、この報告がまったくメディアにスクープされていなかったこと。
交際報道もなければ熱愛スクープもなく、突然の結婚発表にSNSでは祝福と驚きの声が混在しました。
それだけ2人は慎重にプライベートを守りながら交際していたということですよね。
格差婚といわれる理由と2人の関係
木村沙織さんと日高さんの夫婦は「格差婚」とも言われることがあります。
「格差婚」と呼ばれる背景には、知名度・収入の両面での差があります。
| 比較項目 | 木村沙織 | 日高裕次郎 |
|---|---|---|
| 知名度 | 日本バレー史上最高選手の一人 | 日本代表決定戦まで出場した元選手 |
| 推定年収(現役期) | 約2億円近く(トルコリーグ+スポンサー) | 約600万円前後(パナソニック社員) |
| SNSフォロワー | 数十万人規模 | 一般人レベル |
| 結婚後の役割 | タレント・アンバサダー等として活動 | カフェ調理→アパレル経営 |
こうして数字で見ると確かに大きな差がありますが、2人が「格差があるから不幸」かというと、まったくそんなことはありません。
インスタグラムやSNSで見せる2人の仲睦まじい姿は、格差どころか理想の夫婦と称えられるほどで、「憧れ夫婦」「こんな関係が羨ましい」といった声が多く寄せられています。
木村沙織さん自身もインタビューで、日高さんの「自然体でいられる安心感」を選んだ理由として挙げており、スペックや収入よりも相性の良さを重視していたことが伝わってきます。
子供・煌太郎誕生後の夫婦の生活
結婚から約6年後の2023年2月28日、木村沙織さんと日高裕次郎さんに待望の第一子が誕生しました。
その名前は「煌太郎(こうたろう)」くん。
「煌」という字には「きらきら輝く」という意味が込められており、親の願いが感じられる素敵な名前ですよね。
煌太郎くんの誕生は、夫婦の生活にさまざまな変化をもたらしました。
木村沙織さんはカフェに立てなくなり、日高さんが一人でお店を切り盛りする状況に。
結果としてこれがカフェ閉店の一因にもなりましたが、2人は育児を優先しながら関東へ拠点を移し、家族3人での新生活をスタートさせます。
2024年の結婚記念日には「夫婦になって9年目 みんなで乾杯」と木村沙織さんがSNSに投稿。
家族3人の幸せな様子が多くのファンから祝福されました。
育児をしながら新事業のGOOPARSを立ち上げ、展示会まで開催しているのだから、この夫婦のエネルギーは本当にすごいものがあります。
子供が両親の血を受け継いで、将来バレーボール選手になったりしたら……なんて想像するだけでワクワクしますね。
夫婦に対する世間の声
木村沙織さんと日高裕次郎さんの夫婦には、SNSを中心にたくさんの声が寄せられています。
肯定的な声としては、「2人の仲の良さが写真からにじみ出ている」「身長が高い夫婦が並んでいる姿がかっこいい」「木村沙織さんをサポートする旦那さんが素敵」「GOOPARSのデザインがおしゃれ」「カフェ閉めちゃったのは残念だけど、これからも応援してる」「煌太郎くんが生まれてますます幸せそう」といった温かいコメントが多く見られます。
一方で、カフェ時代の口コミには「旦那さんの接客が……」という辛辣なものもありましたが、当の日高さんはアパレル事業に転換したことで直接接客の機会が減り、自分の得意領域で勝負する形になっています。
「ヒモ」「格差婚」などのネガティブな噂は尽きませんが、2人が仲良く生活している実態は本人たちのSNSから十分に伝わってきており、多くのファンが2人の幸せを応援しています。
夫婦のあり方は人それぞれ。
収入の大小よりも、互いを尊重し合える関係が一番大切ですよね。
木村沙織の旦那の職業のまとめ
- 木村沙織の旦那は元バレーボール・ビーチバレー選手の日高裕次郎
- 日高裕次郎の生年月日は1986年11月21日、鹿児島県霧島市出身
- 日本体育大学でインカレ2連覇に貢献した実力派の選手だった
- NECブルーロケッツ入団1ヶ月でチームが休部という不運な経験あり
- ビーチバレーでは2012年ロンドン五輪代表決定戦まで出場(惜しくも出場権を逃す)
- 2014年にパナソニック・パンサーズへ入団し、2015年に現役引退
- 引退後はパナソニックの会社員として安定したキャリアを歩む
- 2019年に木村沙織の夢を叶えるため大阪でカフェ「32(SUNNY)」をオープン
- カフェでは調理担当として日々お店に立ち続けた
- 2023年、育児・引越し等を理由にカフェを4年で閉店
- 閉店前にはGoogleの口コミが1.6(5段階)という厳しい評価に直面していた
- 閉店理由として日高の接客への酷評も要因の一つとされている
- 2024年4月にアパレルブランド「GOOPARS」を夫婦で設立
- GOOPARSはTシャツもキャップも完売が続くほど好調な立ち上がりを見せた
- 「ヒモ」疑惑はデマ。むしろ妻の夢を叶えるために安定した職を捨てた行動力のある人物


